2019.3月 (50)海文堂最後の日々

2018.12月 (49)サイン会

2018.10月 (48)ブックフェア

2018.9月 (47)客注

2018.7月 (46)古書

2018.6月 (45)取次

2018.5月 (44)朝礼

2018.4月 (43)招待・説明会

2017.12月 (42)作業場

2017.11月 (41)ご近所

2017.10月 (40)いただきもの

2017.9月 (39)年末商品

2017.8月 (38)書くこと

2017.7月 (37)道案内

2017.6月 (36)ショーウインドウ

2017.5月 (35)木の本棚

2017.4月 (34)長期休暇

2017.2月 (33)海会(カイエ)

2017.1月 (32)パタパタさん

2016.12月 (31)ラッピング

2016.11月 (30)女子更衣室

2016.10月 (29)ノーベル文学賞

2016.9月 (28)バイトくん

2016.8月 (27)天井

2016.7月 (26)階段

2016.6月 (25)自分の棚

2016.5月 (24)書評棚

2016.4月 (23)外商(公共図書館編)

2016.3月 (22)3.11

2016.1月 (21)ベストセラー

2015.12月 (20)中央カウンター

2015.11月 (19)ギャラリー

2015.10月 (18)戦記のおじさん

2015.9月 (17)棚卸し

2015.8月 (16)ローテーション

2015.7月 (15)2階

2015.6月 (14)本屋の眼

2015.5月 (13)自動ドア

2015.4月 (12)新刊紹介

2015.3月 (11)外商〈教科書販売編〉

2015.1月 (10)お手洗い

2014. 12月 (9)新刊台帳

2014.11月 (8)ブックカバー

2014.10月 (7)店内放送   

2014.9月 (6)大雨   

2014.8月 (5)食堂   

2014. 7月 (4)仕分け棚 

2014. 6月 (3)制服   

2014. 5月 (2)担当デスク

2014. 4月 (1)レジスター

kumakitop.png

(50)海文堂最後の日々


海文堂書店が店を閉めて、はや5年半になります。その後も次々と老舗と呼ばれるような書店が閉店し、またオープンからさほど経っていないお店も撤収し、本屋地図の書きかえは終わることがありません。個人の方が小規模な店舗を始めたといういくつかの情報がかすかな明るい材料ではあります。
 その5年ほどのあいだ、どんどん過去になって行く海文堂のことをこの場をお借りして書いてきたのですが、私にとっての海文堂も次第に遠くなってきました。この切りの良い50回目で「海文堂のお道具箱」は終了します。なので閉店の頃のこと、さっとおさらいしますね。
 2013年8月初旬、その日の朝礼は、曜日ごとの担当者ではなく社長が行うことになりました。何かお話がある時の常です。ただしこれといったお話はありませんでした。プリントが配られて、そこには2カ月弱の期間にどのように店を空にするかの日程表が書かれていたのです。私たちはその時初めて、9月末に海文堂が閉店することを知らされたのでした。平野さんの「何か他におっしゃることはないんですか」との質問に、少なくとも私たちが聞きたい知りたいことへの回答はひとつもなく、経緯も理由も真意も展望も何も分からないまま99年もの歴史に幕が落とされることになりました。この時の終わりの始まり方が、喉に刺さった小骨のように引っかかったまま長く私の内に残ってしまいました。
 海文堂の閉店は倒産ではありません。会社は存続していて書店を廃業したのです。倒産であれば奇特な資産家の方がおられたとして、負債ごと買い取られて店を続けるなどという夢のようなことがあり得たかもしれませんが、土地建物が自己物件であり、売りに出されてもいない本屋はオーナーのなすがままに店を閉じるしかありませんでした。
 それから閉店までの2か月足らずは怒涛の日々だったと言って良いかと思います。海文堂最後の日々が始まったのです。新聞社やテレビの取材が入り、ご近所からも遠方からもお客様がお見えになり、顧客の方も初めての方も久しぶりの方も一気に来店されました。出版社の方々も大勢ご挨拶に来てくださいました。それまで喧騒とは程遠いのんびりした海文堂だったのが一変し、急に「神戸市民話題のあの」海文堂になりました。
 通常なら閉店や撤収は商売上の敗者がするわけですから、ひっそりと、時には憐みの視線を浴びつつ消えてゆくものだと思うのですが、なぜか海文堂には非常に好意的な同情の声が集まりました。多くの方が惜しい、残念だ、あんなにいい店なのに、すばらしい棚なのに、街の損失だと発信してくださったのです。それはあたかも真面目が取り柄の目立たない子が急に脚光を浴びるような経験でした。そんなにすごい書店だったとは、働いている我々ですら知らなかったことです。新聞記事の論調が大きく反映されたことを実感しました。
 オリジナルのブックカバーが大人気となり、帆船の絵のしおりが突如お宝のような扱いを受けました。来店記念に鳥瞰図絵師の青山大介さんが描いてくださった『海文堂書店絵図』を買ってくださる方も多く、夏葉社さんが急遽出版してくださった海文堂の写真集も完売しました。フェアはいつにない売れ方をし、海文堂バブルは9月末の最終日まで大きくなり続けました。あまりに忙しくすべきことが多く、先のことなど考える余裕もありません。最終日の長蛇のレジ行列や最後のシャッター閉めを見守った方々の多さは想像をはるかに超えるものとなりました。
 そして閉店、残務整理、スタッフのお別れ会、有志の方々によるお疲れさま会、有休消化。比較的若かったスタッフ4名は書店員として新たな環境で働き始めました。その他のスタッフの多くは順次仕事を見つけ、たぶん元気で今に至っているはずです。
 最後の2か月の印象があまりにも強く、それ以前に私が海文堂で働いた10年間の記憶はすでに薄っすらしてきました。この「お道具箱」で海文堂の日常を書こうと思ったのは、海文堂ファンでいてくださった方々にお礼の気持ちを表明したかったのと、先に書いた「小骨」のせいかもしれません。平野さんが『海の本屋のはなし 海文堂の記憶と記録』(苦楽堂)を上梓したのも、私と似たような引っかかりがあったからではないかな。
 閉店の経緯を語る時はいつも会社を非難しているような口調になってしまいます。見苦しくてすみません。私は前に働いていた書店が倒産し当日に突然の閉店を知らされた経験と、海文堂のように前もって閉店日を決定する形態の両方を経験したことになります。どちらの場合も、それまでお給料をくれていた人を批判してしまうような状況になったことが残念です。また、本屋の仕事や同僚たちのことが嫌いになって辞めた訳ではないので、しばらくの間は心が残りました。引き剥がされるような形で退職せざるを得なかった人が立ち直るのには割と時間がかかるのです。でもおかげさまで、たくさん書かせていただいて整理もつきました。もう元町商店街3丁目も歩けそうです。

 ここからはこれまでの連載でテーマに挙げなかったことを。お道具箱拾遺です。

〈立ち読み〉
 立ち読みはリアル書店の特権ですからね、どうぞご遠慮なく。手に取って手触りを確かめ、装丁を愛で、奥付を確認し、著者の略歴を見、目次にも目を通してください。任意の1ページを読めば読み通せるかどうかだいたい分かります。あ、これは書店員が本を店に出す時のやり方でした。そうでない方に立ち読みのルールはありません。売り物ということを念頭に置いてさえくだされば、どんな読み方をしても構いません。売り物だから丁寧に扱うということに関連してお願いがあります。立ち読みする時にスピン(栞代わりのひも)を使わないでほしいのです。
 ある日、三国志を題材にした小説のシリーズの棚から、スピンのはみ出た1冊を見つけました。スピンは買った人が初めて使うべきと私は思っているので、はみ出ないように本の中に収納しました。翌日、同じ巻の少し進んだページからスピンがはみ出ています。また戻します。どうやら毎日少しずつ読み進んで行くつもりのようです。実際何日もかけて日々着々と進んでいる様子。こちらもスピンのページを一気に進めたりして対抗したのですが、結局何巻か分、読み終えてしまったようです。後にはすっかり毛羽立ったスピンのはみ出た本が……。私の負けです。スピンが毛羽立っていると、一気に古本っぽくなるのです。どうしてもというなら中に挟んである出版案内などで代用してくださいね。あと、本屋あるあるだと思うのですが、平台にあった本を手に取ったあと裏向けに戻す人が多いのはなぜなのか。何を読んでいたか知られたくないから? 余計にばれると思うのですが。

〈万引き〉
 もうこれは言語道断。思い出すだけで悔しくて腹が立って……。私の今の職場が万引きとは無縁の業種なのでそれだけは幸いと思う。本屋には老若男女、誰が入って来ても違和感はありません。硬い人も柔らかい人もお金持ちもそうでない人もオッケーだし、買う気のない人でも入れます。お客様を選ばない業種だからこそ狙われるのです。売ってもたいした額にはならないでしょうに。
 前の本屋の時、勇敢な女子スタッフが万引き犯を追いかけて地下街を走りに走ったことがありました。一時は対決して「返して下さい!」と言ったそうですが、無念、逃げられてしまいました。これってものすごく危険なことです。よく無事に帰って来られたと思う。海文堂でも男性スタッフが何人も捕まえました。でも捕まえることが出来なかった方がはるかに多い。棚の一部がぱっくり空いているのに気付いた時の焦り。スリップは?取り置きは?どちらもない時の衝撃。丹精込めて作った棚を破壊されるショック。それが一回ではなく、味を占めて何回も続くのです。泣き出す女子スタッフもいましたよ。盗られる方が悪いって? いいえ!盗る方が絶対悪いんです!
 万引きの多さに多くの書店は疲弊しています。精神的にも経営的にも。書店員の心を蝕むこの犯罪が、街の本屋を減らす一因でもあるのですよ。

 〈店頭販売〉
 海文堂は店頭を業者の方に場所貸しして、ワゴンで何がしか販売してもらうことがありました。ほぼ常設のCD屋さんに次いで長かったのがフェアトレード品のワンビレッジワンアースさんです。女性お2人が交代でやって来て、大きなトランクから珍しい商品をワゴンに並べて売っておられました。東南アジアから仕入れた可愛らしい雑貨や細やかな手仕事の品は見ていて飽きないものでした。wさんとは海文堂の棚卸しでペアを組んでから親しくなりました。もうお一人のIさん共々、商品についての知識がとても豊富で、歴史的な背景などの詳しい解説にいつも感心していました。私はこんな風にお客様に熱心に説明できただろうか…と反省を促すものでもありました。ここで見つけた細かいクロスステッチのモン族の定期入れを、今も大事にしています。

この「海文堂のお道具箱」を読んでくれる人っているんだろうかと思いつつ書いて来ましたが、いつもコメントを寄せてくれるくとうてんのGさんとEちゃんにはとても励まされました。少なくともお2人は読んでくれている。その実感だけで続けて来られたような気がします。この場を提供してくださったくとうてんのみなさまにお礼申し上げます。

(三毛小熊猫 元書店員)