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しろやぎさん⇄くろやぎさん往復書簡

【最終回】
57通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2019.5

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倉敷のくろやぎさんへ

くろやぎさん、お元気ですか。平成最後の日にこのお手紙を書いています。長い間ごぶさたしていましたことをお許しください。

 本屋を退職してちょうど5か月になりました。働いていたことがもう、5年くらい前のことのように思います。隙あらば本屋に立ち寄るしろやぎの習性は変わっていませんが、目線はすっかり「お客さん」側です。「今月の『SAVVY』の特集なにかな~」「ヤマザキマリの新刊出てる!知らなかった!」「村上春樹、もう文庫になったんだ」。雑誌の次号予告で特集をチェックして取次に配本増を依頼するとか、出版社や取次の新刊情報を気にかけているとか、本部の一括注文数に頭を悩ませるとか、そんなこともはるか彼方の出来事のように思います。ただただ、普通に本屋さんを楽しんでいます。しろやぎにとって、本は、仕事にしていた物質的な「生きていくためのもの」から、生活のなかにある精神的な「身近にあってほしいもの」に回帰したように思います。2か月間の充電期間を経て、新しい仕事も始めました。平成から令和になるいま、節目を迎えられたことはとても幸福なことだと思っています。
 本屋を卒業して時間ができたので、図書館司書の資格をとろうと通信教育を始めました。図書館司書は、中学生のしろやぎがなりたかった職業でした。しかし、忘れもしない高校2年の時、担任の先生が雑談の中で、将来の仕事はなれる可能性の高いものを目指すべきだというような話をされました。その例えとして「図書館司書はなりたいと思っても採用が限られていて、本当にその仕事に就ける人はごくわずか。目指すにはリスクがある」と話されたのです。もしかすると「それでもガッツがあれば夢は実現できる」というような内容であったのかも知れませんが、当時のしろやぎは心に秘めていた「図書館司書」ということばが公然と晒されたことにまず怯んでしまい、「図書館司書にはなれないんだ」と思い込んでしまいました。今、30年前の小さな傷を治しにいこうと思いました。そしてそれは、本屋を去る直前に出合った米澤穂信さんの『本と鍵の季節』(集英社)に寄るところが大きいのです。男子高校生ふたりの推理と友情が描かれた図書室ミステリーは、繊細な心の揺れや深刻さを笑いに変える、高校生ならではの自意識にあふれた面白くもせつなさもある物語です。物語の謎を解くために図書館の分類記号が使われるトリックがありました。それがとっても新鮮でかっこよく思い、けれども図書館で働くひとならもっと深く共感できるのではないかという思いにもかられ、とても羨ましくなり、俄然図書館司書の資格を取り返しに行く思いが強くなったのです。資格取得のためスクーリングにも参加しました。70人ほどのまさに老若男女に混ざり、しろやぎも講義を聴きました。本をとりまく環境が厳しいと言われている今も、図書館で働きたい人は変わらずにいて、なれるなれないに捉われずにチャレンジする諦めない気持ちを少し取り戻せたように思います。51OvYEMVPhL._SX348_BO1,204,203,200_.jpg
もうひとつ後悔の気持ちを取り返しにいくできごともありました。4月に発表された今年の本屋大賞は瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)でしたね。昨年しろやぎが働いていた店に瀬尾さんがお越しになられたけれど、会えなかったというお話を前回のお手紙で書きました。瀬尾さんは2002年に発売された『卵の緒』でデビューされていて、1999年の途中から書店員を始めたしろやぎと僭越ながら本の歴史が重なることもあり、また実は瀬尾さんとしろやぎは同じ年で、ご出身も関西ということからとても身近に感じていました。不在のしろやぎに瀬尾さんは直筆のお手紙を残してくださっていたにも関わらず、本屋人生の締めくくりにお会いできなかったことに後悔がありました。本屋大賞のご受賞も、一ファンとしてうれしくもあり、「大作家になられて、もうお礼など伝えることはできないだろうな」という諦めも出てきたのも事実です。そんなとき、書店員仲間Kさんが「今度瀬尾さんがトークイベントに来られるよ」と教えてくれたのです。Kさんはこのくろやぎさんとの往復書簡を読んでいてくれたのでした。本屋でなくなっても声をかけてくれるつながりや、くろやぎさんとのこの連載を見えないところで読んでくださっているみなさんとのつながり、本が引き寄せてくれる縁をまたもや実感することができたのです。イベントには、瀬尾さんのお子さま(「ママー!」と大きな声の応援団がとってもかわいかったです!)やご家族も来られていて、お客さまからの質問にも一つずつ丁寧に答えらえる、アットホームな雰囲気でした。最新刊『傑作はまだか』(エムオン・エンタテインメント)は、25歳で初対面した息子と父親の物語。血はつながらないけど親子の絆はある『そして、バトンは渡された』とは、ちょうど対になるような物語になっています。明日や明後日が楽しくなる物語にしようと思って書き始められた作品で、瀬尾さんの物語は家族をテーマにしたものが多いのですが、人と人とのつながりや関係を書いていったら家族の話が多くなっていっただけで、ごはんを食べる場面が作中に多く登場するのも、家族がしゃべるのは食卓の場が多く、料理も手の込んだものではなくても、好きなものを好きな人と食べたら幸せ、そんな思いで描かれているそうです。サイン会では、ずっと気がかりだったお礼も伝えることができました。しろやぎの名前を見て「覚えてます!」と言ってくださいました。話すことが得意ではないので(でも、関西人らしく笑いをとっていらっしゃいましたよ)、トークショーに出演されることはめったになく、これからも受けないかもしれないとおっしゃられる瀬尾さんに今出会えたことは、しろやぎの気持ちの整頓ができるタイミングを引き寄せていただいたようで、本当にうれしかったです。
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新しい仕事を初めてからも、本屋から「バトン」を受けたようなことが少しづつ起きています。2月に神戸新聞「ひょうご選書」欄に書かせていただいた『次の本へ V3』(苦楽堂)を、今の仕事の上司が気づき課内に配ってくださったこと。作成した何百冊もの冊子を配布する際、その陳列法を「さすが元書店員、手際がいいね」とほめてもらい、「店長!」と呼ばれていること(しろやぎは店長になったことないのにね)。そして、くろやぎさんとのこの往復書簡でお世話になっているくとうてんさんと、また違った分野でとてもお世話になりそうなこと。簡単に「奇跡」ということばは使いたくないのですが、本が運んでくれたつながりを感じる毎日です。くろやぎさんの先生でもいらっしゃった渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」、それを指針とするような日々を過ごしています。
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 くろやぎさんにもこれからもずっとお世話になると思います。本屋をめぐる状況も日々変化しています。私たちの思いや働き方、それらも含めて自由に解釈できるよい時代にしたいですね。そのためにはつながれる現場があることが不可欠だと思います。日本中、世界中の本屋で、倉敷で、関西で、いろんな場所で、くろやぎさんやみなさんとこれからも会えることも楽しみにしています。
 長々とお付き合いいただき、本当にありがとう。感謝感謝です。そしてこれからも引き続きよろしくお願いします。
阿倍野改め、甲子園のしろやぎより

56通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2019.1


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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 秋にお便りの返信をするはずが大幅に遅れに遅れあけましておめでとうございますになってしまいました…!ごめんなさい!言い訳になってしまいますが11月の終わりから有難いやら何やらクリスマス繁忙期に巻き込まれ気づいたら年が明けておりました…。
 復帰して久々に肌で感じるクリスマスシーズンは忙しいけれど込み合うレジや鳴り続ける電話応対、お問合せに応じながら「これこれ!この感じ…!」と血が騒ぎました。忙しい時期は何て言うんでしょう、集中力が高まり頭も体も良く動きます。クリスマス無料包装コーナーを毎年設置していますが、お恥ずかしいことに毎回渡し忘れや渡し違いが発生していました。今期は何としてもそれをなくすため、包装受付の流れの説明書を作り、昨年クリスマス繁忙期を経験していないスタッフの方々には事前講習も設けたところ、事故やミスはゼロにすることができました。チーム倉敷の皆がそれぞれに意識をして頑張ってくれたことが結果に表れてとても嬉しい思いでした。
 そんな繁忙期、クリスマスのラストスパート週はくろやぎ7連勤と意気込んでいた矢先、連勤最終日に何と復帰後初の保育園呼び出しがありました。お昼寝中、娘が激しく嘔吐したというのです。早退し迎えに行くと顔面蒼白の娘が。汚れたお昼寝布団と娘を抱え自転車に乗ろうとしたところでまたもや嘔吐。一目散に病院へ連れて行くとまさかのノロウイルス診断…!!マーライオンのような嘔吐をスピルバーグ監督の映画以外で見たのは初めてだなぁ…などと不謹慎なことを思いつつ看病していましたが、翌日の夜から今度はくろやぎ自身がマーライオンに。翌々朝8時までトイレに居座り続け脱水症状と嘔吐のし過ぎで意識が朦朧となったため急遽義母に救急外来まで連れて行ってもらい点滴2本を打ってもらって症状が落ち着きました。結局繁忙期シーズンに5日間もお休みを頂くという迷惑をかけてしまいましたが、年末年始はご飯もしっかりと食べられ、穏やかに新年を迎えることが叶いました。あとで聞いたところ、保育園のお友達、そのお母さん方、先生も数人同じ症状になっていたそうで、ノロウイルスの脅威を身をもって実感しました。
 そうそう、前回しろやぎ先輩がお便りで書いてくださっていた元倉敷店スタッフのNさんがくろやぎの仕事納めだった12月30日にお店に来てくださいました。久々の再会に熱い抱擁を交わしました。今は他県の別の書店で倉敷同様文庫担当をされているNさん。しろやぎ先輩がおっしゃるように明るくエネルギッシュで、良い意味でこだわりがなく柔軟な姿を見ながら、私はいつもNさんのような働きぶりがしたいと思っています。倉敷を去ったあともかつての仲間がこうして度々会いに来てくれるのが嬉しくてなりません。
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 2018年も色々な本を売りました。復帰しての8か月はあっという間に過ぎていきました。そんな中、年末頃から今も売れ続けている本を一冊ご紹介しますね。『女子のための一生困らない手に職図鑑』(光文社)です。数多く職業資格本はありますが、子育て中はどういう状況になるのか、育休後、復職・再就職は可能なのか、など生涯を通じて仕事をし続けるための具体的な例や説明がここまで充実しているものはなかったように思います。新入社員の頃には想像しがたい長く働いた先のイメージも持ちやすくもっと早く知り合えたら良かったと思う本でした(笑)。この本を地元の新聞の書評で紹介させてもらったところ、記事掲載の翌日記事をもって本のお問合せを下さった方もいて、大変ありがたかったです。
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 もう一冊、今読み始めた本は『ぐりとぐら』の作者・中川李枝子さんのエッセイ『本・子ども・絵本』(新潮社)です。帯の「生まれてきて良かったと、子どもに思わせたい」というフレーズに胸をぎゅっと掴まれ手に取りました。大人とは全く違う目線で世界を見ている娘の子育ては楽しいけれどなかなかに困惑することもあるなか、この中川さんの本を読んでいると「うん、大丈夫!」と思うことばかりで沢山元気をもらいます。エッセイの中で「ひざの上の幸福感」というエピソードがあるのですが、そこで紹介されていた『ちいさなねこ』(福音館書店)を娘をひざにのせて一緒に読みました。お母さん猫の見ていない間に子猫が外の世界に一人で出てしまい、自動車や大きな犬など様々なものに遭遇するというスリリングな展開なので、こちらも緊迫感をもって読み上げると娘も一緒に絵本の世界に入ってくれます。このところ毎晩「ちいさいねこ、よもー!かーかー、ここちゃんちして!」と床をバンバン叩きながら絵本を持ってきてくれます。
 今月末はイオンのイベントで絵本の読み聞かせがあり、くろやぎは絵本の好きな当店スタッフさんと二人で参加します。今からどんな絵本と手遊びをやろうか二人でワクワクしながら考えているところです。娘と同じように参加してくれた子供たちが少しでも絵本の世界を一緒に楽しんでくれるものにしたいです。
 今年もしろやぎ先輩にとって充実した一年になりますように!では、また。

倉敷のくろやぎより

55通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2018.10


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倉敷のくろやぎさんへ

 くろやぎさん、今日はとってもうれしい来客がありました!くろやぎさんとしろやぎと、倉敷店で働いていた日々に、共に働いていたNさんとYさん、そしてしろやぎが倉敷店から異動後に入社して8年ほど働かれたMさんが阿倍野店に立ち寄ってくださいました。Mさんとは一緒に働いてはいないのですが、Mさんが倉敷店で働き始めたとたん、「しろやぎに似ている!」との洗礼を受けたMさん。実際にお会いするMさんはとても可愛く、お気に入りの本を蔵書用と読書用と2冊も買ってしまうような、本を愛する素敵な方。そしてNさんはわたしが倉敷店に異動する前から倉敷店の文庫販売に尽力し、てきぱきと仕事をこなし、明るくおおらかなお人柄で倉敷店のスタッフを引っ張り、当時のしろやぎも何度も助けていただきました。Yさんは、本を売る方から書く方へと驚きの転身をされました。優しくて、みんなの気持ちを掬い取る能力は、書く方でも存分に生かしていらっしゃいます。ポップを書くのも上手でしたね。そんな今の倉敷店を築き上げた歴代の書店員のみなさん。時が経ち生活が変わっても、同じ書店で働いた日々は、大変な中にもかけがえのない楽しい日々で、そんな共通の思いが心に留まっているからこそ、嬉しい再会が実現するのだと思います。本屋で働くって、いい仕事ですよね。くろやぎさんに自慢したくて、いち早くお便りを書いたしろやぎです。
 10月は嬉しいご来店、ご訪問が重なりました。千客万来な阿倍野店の自慢を今回はお届けいたしますね。
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 まずは、作家の呉勝浩さん。新刊『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』(光文社)のオビとパネルに、しろやぎの感想コメントを採用していただいたことがご訪問につながりました。小説のあらすじを簡単に説明することは到底不可能、物語の佳境の佳境まで、外車でアクセルフルスロットのような疾走感を味わえ、かつ「イヤミス」以上のぶっとんだ展開に、血圧も急上昇しそうです。キャッチコピーの、「どうせ説明したってわかりゃしねえよ。黙って読んで」。この有無を言わせなさ加減にも思わず笑ってしまったのですが、本を開けると三次元の空間から飛び出してくるような勢いがありまくる物語です。物語はとてもパワフルで異端的なのですが、作者の呉勝浩さんはいたって穏やかで、まじめな方です。弊店の暑い休憩室で額に汗を浮かべながらサイン本と色紙を作成していただきました。大阪芸術大学のご出身で、阿倍野やお隣の西成にもよく出没(!)されているそうです。地域密着の阿倍野店のお客さまにも、ファンがこれから増えていくことを確信しました。
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お二人目は、知念実希人さん。新刊『ひとつむぎの手』(新潮社)の、著者ご自身の営業キャンペーンは、一日で大阪の堺市から枚方市までの書店11店舗!その大阪縦断の一店に選んでいただきました。現役のお医者さまでもある知念さん。今も診療を行いながら執筆をつづけていらっしゃいます。実は前日に行われた、知念さんと関西の書店員のお食事会にも出席させていただいたのですが、超ご多忙のなか、2ヶ月に一度くらいの刊行ペースを守り抜くその綿密な計画は、理系脳ならではの思考を生かされていらっしゃるのでしょうかと、お伺いしたところ、そういう意識は全くないそうです。ただ、医者の立場で体験したこと、医者しかわからない感情を小説に落とし込む、そのリアルさは小説で追い続けたいという主旨のお話を伺うことができました。医療関係者ではない筆者が書いた物語のなかで、圧倒的なリアリティを描けることに驚かれたのは、山崎豊子さんだそうです。「『白い巨塔』の主人公の財前五郎は、医者の立場では悪人ではないのですよ」と知念さん。お医者さまの視点でそのようなお話を聴けたことも感慨深かったです。知念さんは、福山市ご出身の島田荘司さんが選ばれる、ばらの道福山ミステリー文学新人賞を受賞されデビューされたのですが、宴席中、島田荘司さんより、知念さんへ原稿依頼のメールが入ったのです。少し焦りながら、居住まいを正してすぐにメールのご返信をされる、とても生真面目な知念さんのお姿を間近で拝見できたことも、とてもうれしく、貴重な体験でした。
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 最後は瀬尾まいこさん。『卵の緒』『幸福な食卓』『強運の持ち主』『戸村飯店青春100連発』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』、そして最近刊の『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)。全作品ではないものの、ずっと読み続けていた瀬尾さんにお会いしたかったのですが、しろやぎが休みの日がご来店日となり、とても残念に思っていました。しかし、翌日出勤すると、瀬尾さん直筆のお手紙を残しておいてくださったのです!今までも休日に作家の方のご来店が重なり、涙を飲んだことはありましたが、お手紙をいただいたのは初めてでした。対店舗としてだけではなく、一人の書店員として向き合っていただけたように感じました。しかもそれがずっとご本を読み続けていた、その本を生み出したご本人からのお手紙とは、何だか実際にお会いするより嬉しい贈り物をいただいたように思うのです。書店員を続けていれば、お会いすることはまた叶うと信じたいですし、その時は今よりもっと喜びが膨らむような気がします。読み続けて、5年経ち、10年経ち、そして実際にお会いできることになった!これも仕事を続けているからこそですが、何だかそこいらの恋愛よりもドラマチックだと思うのは、しろやぎだけなのでしょうか。
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 実は10月にもう一度、ドラマチックなできごとが待っています。しろやぎの母校で行われる「作家と語る」というイベントに、OG枠で登壇することになりました。ゲストは森絵都さんです。しろやぎは入社してしばらく経ったころ、児童書を担当していました。その頃から『リズム』『DIVE!』『カラフル』など、森絵都さんのご本は児童書売り場になくてはならないものでした。その後、森さんのご本は、次々に一般文庫化され、大人の読者の方にも広く読まれるようになり、2006年には『風に舞い上がるビニールシート』で直木賞を受賞されました。来春には『みかづき』(集英社)がテレビドラマにもなりますね。しろやぎもその後、文庫や文芸書担当になるなど、森さんの出版されるご本と自身の書店員の担当歴が重なる点も多く、今回母校より声をかけてもらえたことも、ありがたいご縁であるなあと思っています。「作家と語る」のイベントについては、次のお便りでぜひ書かせてくださいね。
 くろやぎさんが触れていた、スリップレスの課題についてもお話ししたかったのですが、そろそろ文字数オーバーですね(もっと簡潔明瞭にお便りが書けるようになりたいです、、)。われらがアナログ書店員にとってはどんな時代になってもスリップはなくてはならないものだと思っているのですが、某大手総合出版社は、スリップを作る・挟む過程を削減すれば、年間2億円の節約になるそうです。驚愕です。また、先日出席した歴史書専門版元の合同研修会で、「スリップが必要ですか?」との問いに挙手した書店員は、半分もいませんでした。店の規模や仕事の内容により、スリップへの思いがそれぞれであるのはわかります。でも、ちょっと寂しいなと思ったのも、しろやぎの正直な気持ちです。
 くろやぎさんと秋の夜長、スリップのこと、おもしろかった本や映画のこと、倉敷店で一緒に働いていたときのことなどを肴に、飲み明かしたい欲望にかられるしろやぎでした。
ではまた。くれぐれもお体大切にしてくださいね。

阿倍野のしろやぎより


54通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2018.9


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阿倍野のしろやぎ先輩へ

ようやく秋の気配。出勤時の汗だくから解放されましたね。ただお風呂上りは娘がピタリと体をくっつけて「この絵本を読もうぜ!」と渡してくるため、子供の体温で汗まみれになっているくろやぎです。
 店内は9月に入り夏休みの喧騒からいつもの落ち着きを取り戻しています。夏休みの間、前回のお便りでお話しした仕掛けコミック『花野井くんと恋の病』①巻(講談社)をとても嬉しいことに随分と売り伸ばすことができました。自店他店舗の売上冊数を確認して他店より販売できていることが分かると一人ガッツポーズしたくなります。倉敷では動きがおとなしい本をしっかり売り伸ばしている店舗を見ると、どんな風に販売しているのだろう?!といつも想像をめぐらせ、倉敷でももっと売ることができないだろうかと考えます。初回入荷冊数が強気な店舗を見ると、その店舗の担当の経験と知識からなのだろうな、と触発されます。心斎橋店で精神世界の本『超常戦士ケルマデック』(M.A.P.出版)を自作のPOP類の装飾により尋常でない冊数を販売していて人文担当の方に連絡をとったところ、売上推移の詳しい説明と共に手書きのPOPを沢山送ってくれました。倉敷もあとに続いて売りたいと思います。
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 最近多数の版元からスリップレス化のお知らせを受け取るようになってきましたね。もちろん圧倒的な冊数を処理しなければならないコミックスや文庫のようなジャンルにおいては、効率の良い方向であると思います。ただレジ業務の合間に売れたスリップをチェックして、あれこの新刊午前中のうちにこんなに動いてる、とかこのキーワードの本、やけに売れるな、とかその日のうちにスリップから反応できなくなるのは困るなと思うのです。もし専門書までスリップレスになってしまうのなら、リアルタイムで売れた本の順番まで分かるシステムを導入して欲しい…。
 『スリップの技法』(苦楽堂)の著者・久禮亮太さんが9月15日に文京区・小石川に「Pebbles Books」という本屋をオープンされましたね。オープン初日にツイッターに売上スリップの分厚い束の写真をあげておられるのを見て、やっぱりスリップ、良いなぁ、と思わずにはいられなかったんです。確かにここでお客様が本を選んで購入して下さったことの結晶、というと大げさかもしれませんが、スリップにはそう言ってしまうような力がある。久禮さんの新しい本屋の活気にあふれる姿を見て、まだ確かに存在する書店の力を感じました。
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 さて、くろやぎの娘は今月で一歳半。なんでも自分1人でやりたい場面が増えてきました。「さりげなく手伝ってあげて」と何かの子育て記事で読んだので試みましたが、さりげなく手伝うというのがとても難しい。大抵の場合手伝っているのがばれて、「イヤイヤ!!」と叫ばれます。この間もお茶を注ごうとするのでボトルをこぼれないように支えたところ、めちゃくちゃご立腹でした。これが世に聞く「イヤイヤ期」の片鱗なのか?!とこれから訪れるであろう本格イヤイヤ期のことがちらつき、おののきつつ、佐々木正美先生の『3歳までのかわいがり子育て』(大和書房)をめくる日々です。母は広い心で見守る姿勢の訓練が必要なようです。子育てはこうあるべき、こうすべき、と本の通りに考えすぎても無理なのを「大丈夫!」と抱きしめてくれたのは『新米母は各駅停車でだんだんと本物の母になっていく』(大和書房)という大平一枝さんのエッセイです。大平さんの長女が三歳、長男七歳の時から十七年間連載した日々のことをまとめたエッセイを仕事の休憩時間に少しずつ読んでいます。
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子どもが幼い頃はなにもかもいっぱいいっぱいで、見えなくなりがちだけれども、手探りの力ずく、失敗の日々の中で、少しずついろんな謎が解けてゆく。一生終わらないんじゃないかと思う子育ての日々は、けっこう早く、するりとその手からすり抜けてしまう。だから、あまりがんばりすぎず、正しいお母さんを目指しすぎないでいい。(本文より)

 大平さんの飾らない語り口に肩の力が自然と抜けてゆきます。

 何気ない日々の描写が美しい本の紹介をもう一冊。J・D・サリンジャーの新訳短編集『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』(新潮社)です。久々にサリンジャーの作品を手に取り、学生時代の読書の思い出が瑞々しく蘇りました。サリンジャーは、日常のなかに訪れるふとした永遠のように輝く瞬間を切り取り、本当に美しく描きだす人だなぁと思います。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の終盤、セントラル・パークの回転木馬にホールデンの妹フィービーが乗っているのをどしゃ降りの雨のなかホールデンが眺めるというとても美しいシーンがありますが、この場面と同じくらい素敵な場面が随所にちりばめられた短編集です41WrQR0FdcL._SX336_BO1,204,203,200_.jpg
 先日は仕事も母業からも離れて秋の夜長に一人レイトショーを見に行きました。全世界1.350億円超えの興行収入を記録する大ヒットホラー『死霊館』シリーズの最新作『死霊館のシスター』という作品です。娘の寝かしつけを夫に頼み、久々の夜の映画館。カフェラテ片手に座席について周囲を見回すと、一人で見に来てるの、くろやぎだけでした。作品は1952年のルーマニアの修道院で、ひとりのシスターが自らの命を絶ち、その事件の真相を究明するため神父とシスター見習いの主人公が派遣される、といういかにも何か起こりそうな設定です。カメラワーク、効果音楽も「ここ!ここでこれからすっごくびっくりするからね!!」という演出に満ち溢れていました。登場人物たちも行ってはいけない場所へ1人で足を踏み入れたり、変な音の後をついて行ったり、ホラー映画の王道要素をふんだんに詰め込んでいて、素晴らしいものでした。シリーズの第1作と2作目(DVD化してます)は特に優れた作品ですので、しろやぎ先輩にも自信をもってくろやぎがおすすめします!
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 来月の手帳・カレンダー陳列一大作業に向けた配置図を作成しつつ9月も終わりそうです。朝晩の冷え込みで風邪などひかれませんよう。ではまた。
                     坐骨神経痛になった倉敷のくろやぎより
                              (腰、大事です)

53通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2018.8


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倉敷のくろやぎさんへ

 くろやぎさん、残暑お見舞い申し上げます。地震に酷暑、そして度々の大雨、台風。今夏は決して良い意味ではなく、忘れられない夏になりそうです。6月に起きた大阪の北摂地方を震源とした地震では、二十四年前の阪神大震災を呼び起こされました。怖かったです。自宅にいましたが、何も出来ませんでした。そして少し気持ちが落ち着いてきた頃に起きた、7月の豪雨災害。倉敷市の聞き慣れた地名がニュースで流れるたびに、心が乱れました。そしてわたしはやはり何もできないのです。「きちんと生きよう」という信条なんて、災害を目の前にすると役に立たず、結局無力な自分しか残らないのです。能動的に行動できないのなら、パニックで判断を誤らないように、機械的にでもマニュアルに沿って動けるように、あらゆるパターンを想定して対策を打たなければならないことを痛感しました。しろやぎの父母は「何かあったらわたしたちはいいから、あんただけ逃げて」と真面目に言います。そんなことは思いも及ばないのですが、だからといって、深刻な状況に陥った大人3名を安全に非難させる力量は、しろやぎには到底ないのです。幸いに地域のコミュニティには恵まれているので、みなさんの力も借りて、もっと踏み込んだ危機管理を考えなければならないと痛切に思っています。しろやぎが4年9カ月住み、お世話になった大好きな倉敷が、穏やかで元気な町に戻りますように、祈りとともに心から応援します。
 天気が優れなくても立ち寄っていただけることが、本屋の良いところでもあります。台風で交通機関が不通になる中でも、わが店は早期閉店せずに、店を開け続けます。ただ少し、自分が勤務後無事に帰ることができるのかは、ハラハラするのですが、、。お客さまから「閉めないの?がんばるねえ」と声をかけていただいたら、笑うしかありません。正直、気持ちは複雑なのですが、こういった会話も、お客さまの労りに支えられた、「開かれた」店なのではないかと思います。ちょっとしたピンチもふっと和む瞬間です。本当にありがたいですよね。

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 そうそう、もう一つ、思わず笑顔になったことがありました。しろやぎはエプロンに、『きげんのいいリス』(新潮社)の、販促用の缶バッチを付けているのです。2017年の本屋大賞翻訳部門第一位の『ハリネズミの願い』と同じ著者、トーン・テレヘンの作品です。忘れっぽくて気のいいリスと、悩みを打ち明けにくる動物たちの、かみ合っていそうでかみ合っていないやりとりが、例えばしろやぎとしろやぎ母の日常の会話のように、とても人ごととは思えない「ズレ感」なのです。お互いがとても好き、でも好きすぎて距離の取り方を間違えてしまったり。親や兄弟、友だち、会社のでの人間関係、色んなところでのリスと動物たちが、結果オーライでも幸せになれますように、そんなふうに思えるおかしみとせつなさがミックスする物語です。そうしたわけで、密かに「えこひいき」応援中でエプロンにバッチをつけています。前置きが長くなりましたが、お取り寄せの注文を受けたお客さまに、お控えをお渡ししようとしたところで、「それと、、」と切り出され、しろやぎのエプロンを指し、「この本も探していたの、思い出しました。」とおっしゃられました。突然のことだったので思わず、書店員としてではなく、一般の『きげんのいいリス』の読者として、「わあ~」と思わず言ってしまいました。お客さまも笑ってくださったのでまたうれしくなりました。ご所望の本1冊はお取り寄せになってしまったものの、『きげんのいいリス』を買っていただくことができました。いまここには「この本おもしろかったですよ」などという営業トークはいらない気がしました。初対面の人と、なにか好きなものでつながれた、例えば新学期に、使っていた筆箱のキャラクターが一緒で友達になれた、というような感覚です。すべてのお客さまと叶う関係性ではありませんが、本当に嬉しい瞬間で、それだけで仕事の帰り道はスキップや鼻歌が出そうになるのですから、しろやぎを上機嫌にさせることは、容易いことなのですよ、上司のみなさん!?
 素敵な物語と出会い、その思いを共有できるのは、お客さまとともに、出版社の営業の方の功績も大きいのです。実は『きげんのいいリス』について、出版社から「しろやぎさんの感想を読んで、弊社の営業女性がとても喜んでいる」と知らせていただいたことがありました。しろやぎはその営業女子の方とは直接お会いしたことはありません。ゲラの感想などを送ったその文章を「僕の机の横で、声を出して朗読してくるのですよ」との、しろやぎ店担当の営業マンの弁です。「『しろやぎさんの感想で、私は生きていけるのよ!』とまで言ってますよ」と苦笑いの営業マンからのご報告に、しろやぎの胸は熱くなりました。本当におもしろいな、素敵だなと思い、推敲もせず思いのままをストレートに書いた本の感想に、お会いしたことはないけれど、この本を読者に届けることを仕事にしている方と、感想を共有できることは、書店員としてもですが、根本的な本に対する思いを認めてくださったようで、とても幸せなできごとでした。

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 益田ミリさんの『マリコ、うまくいくよ』にも、感想をお送りしたのですが、今度は前述のしろやぎ店担当営業マンから電話があり、「今日は私の用件ではないのです。となりにいるI(営業女子)が、しろやぎさんに取り次いでほしいと言っているので、代わります。」とおっしゃいます。そこで、初めての直接電話談義が実現しました。本に登場するマリコたちが、いかにわたしたちの仕事に投影しているのかなどのお話を、何だかお互いに感極まり、もう仕事というより、感謝を伝え合うような、お電話になってしまいました。『マリコ、うまくいくよ』は、色々な年代のマリコが働くごとにぶち当たり苦労する姿が、過去の自分や未来の自分にも思え、世代を越えた同期が出来たように感じられるエッセーです。一人ページを繰り終わり、「いい本だったな」と悦に入ることも貴重な体験ですが、その「よかった」や感動を、分かち合えるのも、とても稀有な体験です。版元の中には、「お忙しいなか、お読みいただいて、、」などと恐縮される方もいらっしゃいますが、書店員が一人の人間である以上、仕事は度外視してでも、本の力を多くの人に伝えたいと思っている人は多いと思うのです。ですので、商売とは直接結びつかないところであったとしても、本に近い人と本の話ができるのも、書店員であることの幸せな恩恵であると思うのです。

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 ですから、くろやぎ娘さんが、しろやぎが選んだ『じぶんでひらく絵本』(文化出版局)を、気に入ってくれたことは本当にうれしいです。くろやぎさんに続き、くろやぎ娘さんともとても大切な本でつながる仲間になれる気がします。好きな本が一緒って、心強い仲間ですよね。何十年時を経ても読み継がれる本の力や、そういったものを扱える本屋でできることを、信じていきたいと思うのです。

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 くろやぎさんおすすめコミック『花野井くんと恋の病』(講談社)を探しに、弊店の漫画館に行くと、なんと在庫なし!たまたまのことだと願いたいのですが、やはり理想の前に、日々の業務の未完成な部分をひとつひとつ潰していかねばなりませんね。上げたり下げたりすみません。人生は緊張と緩和の繰り返しなのでしょうが、本に関わる仕事ができていることに感謝をしつつ、くろやぎさんの上司のように「さすがじゃ、、!」とリスペクトされる書店員を目指します。
 さあ、今日の帰りは買えなかったコミックを求めて、駅ナカの「ソウルメイト本屋」に寄り道だ!それもまた楽し、ですね。
 大変な夏でしたが、小さな楽しいことがこれからは積み重なりますように。現実にできることと、妄想のバランスも取りながら、心身ともに健やかに過ごしていきたいですね。
くろやぎさんも、お店のみなさんやご家族と、楽しい夏を元気に駆け抜けてくださいね。

阿倍野のしろやぎより

52通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2018. 7

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 しろやぎ先輩、お久しぶりです。6月の棚卸お疲れさまでした!梅雨が明けた途端、息をするのもはばかられる熱風に朝の保育園到着からすでに汗だくのくろやぎです。イタリアじゃないのにシロッコでも吹いているんじゃないかと錯覚してしまいます。綿麻パンツの威力すらもへし折る酷暑にもはやランニングと半ズボンで仕事がしたくなっている今日この頃。
 今年の7月は忘れられないものとなりました。7月6日から降り続いた豪雨でまさか西日本各地、そして倉敷・真備町がこんなことになるとは…。7日の夜中に家のすぐ横の用水路の水が溢れ出しくろやぎ一家も深夜に夫の実家に避難しましたが、翌日、職場のイオンモールも避難してきた人々で溢れかえるなかでの営業でした。同僚、同僚のご家族数名が被災されました。今でも通勤時に自衛隊のトラック、泥まみれの車両を数多く目にします。当たり前のように日々は過ぎていき、被災された方々に役立つ何かができないか?と歯がゆくなることもあります。しかし普段と変わらない生活をし、しっかりと仕事をして市の税収につなげる。そして市に寄付する(色々なNPO団体への寄付などありますがこれが一番確実に届く方法なのではと感じています)。罪悪感を持つのでも、自己満足でもなく、継続的に自分にできることをやろう、と今は考えています。

 しろやぎ先輩からの6月のお便りを今も度々読み返しています。ともすれば災害の不安と悲しみといった負のオーラに影響されそうになる気持ちが、しろやぎ先輩のイタリア旅行と、85歳のお客様との店頭での交流エピソードによってみるみる上調子になっていくのです。しろやぎ先輩が言っていたように、日々の生活の中で〝気さく″で〝こちらに対して開かれた″心に私たちが触れた時というのは、それがどんなにささやかな出来事であったとしても、その時居合わせた人の心を優しく元気づけてくれるのだと思います。お客様と接している時も同僚に対してもそんなふうに上機嫌な人でありたい、と近頃思うのです。最近ツイッターで不機嫌な人は「コスト」がかかる、という言葉を目にし、大いに頷き共感したんです。不機嫌でいることは相手にご機嫌伺いを強要させるし不要な忖度をさせてしまう。周りにとって害悪でしかないという指摘に自分自身も誰かに余計なコストをかけさせてしまってはいないだろうかと我が身を振り返りました。意識して上機嫌でいること-職場でもそうした明るい雰囲気はスタッフ間だけでなくお客様へも自然に伝わりますよね、きっと。
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 夏休みに入り、平日から若いお客様が多く当店にも足を運んでくださっています。夏らしくフェア台にも怪異ものやホラー小説を展開していますが、『事故物件怪談恐い間取り』(二見書房)、『絶対に出る世界の幽霊屋敷』(日経ナショナルジオグラフィック社)、『凡人の怪談』(中央公論新社)という変化球的な変わり種が好調です。夏休みという特殊な高揚感も手伝っているのでしょうか。こうした動きはとても嬉しいです。『ゲゲゲの鬼太郎大解剖』(三栄書房)というムック本と『正伝岡田以蔵』(戎光祥出版)が予想外の動きを見せていますが、その動きに瞬時に反応し、店頭一等地に素早くコーナー展開している上司のセンスを見て、さすがじゃ…!と改めてリスペクトしています。私も負けていられない!と久々にこれから仕掛けを試みてみようとしているコミックがあります。といってもしろやぎ先輩のおられる阿倍野店ではもうすでにかなり売れている本なのですが…。少女漫画を最近読んでいなかったくろやぎが久々に胸キュン!し何度も読み返したコミック『花野井くんと恋の病』(講談社)です。純粋で暖かい心の持ち主のヒロインも、容姿端麗成績優秀であるけれど愛情表現がエキセントリックな花野井くんもとても魅力的で、主人公二人の心の機微を絶妙に表現した表情の各コマに幾度となく心をざわざわさせられました。先日来店してくれたスターツ出版の営業の方も、今中高生女子が本を読みたいと思う理由のナンバーワンは「キュンキュンしたいから」だと言っておられたので、この作品が倉敷に足を運んでくださるお客様の「胸キュン」に繋がると良いなぁと楽しみでいます。
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 さてくろやぎの娘も7月で1歳4か月。言葉は上手く操れなくてもこちらの話すことの理解度はグングン進みコミュニケーションの幅が広がってきました。アニメ『楽しいムーミン一家』のDVDを荒々しい操作でプレーヤーに自らの手で入れて見られるようになっています。(ディスクを入れると勝手に再生されるのですが、そのうち壊れるんじゃないかとハラハラです…)スティンキーがムーミンママの畑から大きなカボチャを盗んで逃げるシーンで毎回大興奮しています。そんな娘は月齢月齢で夢中になる本も変わってきていて、現在の一大ブームはしろやぎ先輩が贈ってくださった『じぶんでひらく絵本』(文化出版局)です!4冊が一つの箱に入ってセットになっていますが、4冊ともそれぞれのページが折り返しになっていて、その折り返しを開くと中からワクワクする色々なものが出てくる仕掛けになっていますね。それが本当に楽しいようで、自分の知っているものが出てくると「モーモー!」「ゾゥー!」と鼻息荒く指差しが止まりません。子供のあくなき探求心と集中力は無限で、4冊を一度読んでも満足せず、一日に4冊×2,3回は読んでとせがまれます。夫は先日もう2回読んだよ?!と訴えていましたが「アイっ!」と笑顔で絵本を渡され再び読み、その後ぐったりしていました(笑)。真剣に絵本の朗読をするとなかなかに体力を消耗します。

 そんな疲れた時にはminchiさんの『いっさいはん』(岩崎書店)という絵本を読んでほっこりしています。「ねてもはげしいいっさいはん」というページの〈かおのうえにのりあげてくる〉〈かかとおとし〉に心からあるある!と共感したくろやぎです。8月も暑さに負けずご機嫌で本を売りたいものです。しろやぎ先輩も熱中症などくれぐれもお気をつけて。早く秋になぁれ…!


倉敷のくろやぎより

51通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2018.6


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倉敷のくろやぎさんへ



くろやぎさん、6月ですね。お元気ですか。6月と言えば棚卸し。閉店後に業者の方がカウントしてくれるようになって、棚卸しもずいぶん楽になりましたが、片づけなければならないことは細々と出てくるものです。ああ、あの出版社、この出版社が廃業したなと振り返る侘しさもあります。店舗責任者は、業者の方々と共に徹夜ですが、帰宅し睡眠も取れるしろやぎは、棚卸しの終わった開店前の店が、あまり思い出したくないこともすべてリセットされたようで、何となく好きなのです。今年もそんな気分が味わえるように、事前準備をぬかりなく進めたいと思います。  
 育児書棚で出会った、くろやぎさんとお客さまとのやりとりを楽しく読みました。荻窪の書店Titleの店主は、本棚に並べる本の指針として、「切実な本」という言い方をされています。「切実」とは色々な解釈ができると思うのですが、実用書であっても文庫であっても、雑誌であったとしても、お客さまの必要としている熱量が大きければ大きいほど、購入してくださる可能性が高くなります。しろやぎも先日、お客さまと楽しい語らいができました。吉沢久子さんのご本をお探しの女性のお客さま、「私85歳なのよ」と教えてくださいました。吉沢さんのご本は、「100歳~」とタイトルにつくものだけでも何冊も出ています。どれが売れている?どれが一番新しい?お客さまは的確に質問してくださいます。正直申し上げて、刊行点数の多い著者のご本は、文芸担当のしろやぎですが把握しきれていないことがあります。それを、お客さまと一緒に検証(?!)していく過程が、お客さまのお人柄もあり、とても楽しかったのです。85歳、今でも週に2日は働き、仕事のない日はボランティアで小学生のために交通整理の旗持ちをし、毎日の犬の散歩も欠かさない。趣味は映画観賞と読書。旦那さまとは趣味が合わないけれど、ごはんの用意はちゃんとしてくるのよ、と。この充実ぶりは、その半分くらいしか生きていないしろやぎですが、すでに完敗です。「お金のあるうちに、本は買っておくわね(笑)」と結局、吉沢さんの「100歳」本を3冊もお買い上げくださいました。「また映画を観に来られたときにお立ち寄りいただければ」と、ご購入を留まらせた経験、しろやぎは初めてでした(笑)。「もちろんまた来るわよ」と言いつつ、やっぱり3冊買ってくださった、何というか、お客さまの気さくで、スタッフに対しても開かれたお姿に、このような雰囲気を私たちスタッフのほうにも身につけていけたら、きっと良い店になるだろうなと感じ入りました。忙しい時や、漠然と気持ちが乗らないとき、表面上では「大人の対応」が出来ていたとしても、その人の持つ空気感はなかなか変えることができません。また、それに気付くひと・気付かないひともそれぞれだと思います。それでも目に見えない「何か」の力が悪い方に作用することがあるようにも思うのです。少しオカルト的(?)なお話になってしまいましたが、そんなマイナスパワーを跳ね飛ばさなければ、本屋が集いの場へとならないような気がするのです。
 こんな風に思ったのは、5月にイタリアの宗教都市アッシジを訪れたからかも知れません。本屋に勤めて以来、いちばん長いお休みをいただきました。中学高校時代の4人の友人との個人旅行、どこに行きたいかは希望を出して決めていきました。友人の一人は声楽家で夙川教会などを拠点に宗教曲を歌うソプラノ歌手です。イタリアへは旅慣れている彼女が、まだ行ったことのないアッシジを訪れたいと言いました。私はアッシジと言えばリストのピアノ曲に「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」という曲があったような、なかったような、というくらいしか思い浮かびませんでした。ですが、実際に行ってみて驚きました。ローマのテルミニ駅から電車で約2時間でアッシジ駅に到着。駅から町の中心部まで車で20分くらい。着いてしまえば、歩いて回れるほどの小さな町ですが、教会が至るところにあります。カトリック教の中心部であり、軍服を着た兵士たちのものものしい警備が、私たちの旅で浮ついた気持ちも否応なく引き締められるのですが、教会の中に入れば「静謐」ということばがぴったりの、神聖で凛とした内部が広がります。田舎町で、交通の便も良い場所ではないのに、教会には常に人の出入りがあり、寂しさはありません。高貴なのに温かい、本当に不思議なのですが居心地の良い空間だったのです。お盆や法事、そして心が弱くなった時は神社仏閣に頼ってしまう、そんな生活が日常のしろやぎさえも拒まない、常に神さまをそばに感じ、祈りを捧げる人々の暮らしが、寛容でありがたく、祈るという行為の偉大さを、ほんの少しですが体感できた思いがしました。町並みもとても美しく、ジェラートやカフェ、エノテカというワインに合う料理が食べられるお店なども充実しています。町の人もとても親切です。サラミやチーズを味見させてもらい、生ハム(ホテルで部屋呑みです)を買うときもとても丁寧に計量、包装してくれます。信じることと日常が地続きである、忘れられない町になりました。
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 旅の仲間がそれぞれ行きたい所を提案しましたが、しろやぎの夢も見事に叶えてくれました。一つはアッシジから車で1時間ほどの城塞の町コルトーナ。このお手紙でもたびたび「推し」で登場する、山口晃さんの『すずしろ日記』に書かれていた町だったからです。山口さんの偉い(上から目線ですみません)ところは、立ち寄ったレストランの名前も明かしてくれているところです。もちろん行ってきました、“オステリア・デ・テアトロ”。そして『すずしろ日記』に違わず、そのお料理が本当においしかったのです!ポルチーニのパスタ、それに合うワインも『すずしろ日記』に「安い」、とあったので怖がらずに注文できました。すべてが日記のままでした。「山口さーん、ありがとうございます!!」4人がコルトーナの中心で愛を叫びました(古い?)。旅慣れたソプラノの友人は、このランチがいちばんおいしかった!と帰りの飛行機で邂逅していました。コルトーナの景色もすばらしく、限られた時間のなかで満喫しようと、この日の歩数計は二万歩を超えました。(ちなみに、ローマではトラムの乗り方に苦戦し、三万歩歩きました、、)。ごちそうをいただいた分のカロリー、消費していますよね。くいしんぼうしろやぎ、実はナポリのディナーも、佐伯泰英さんが、岩波書店のPR誌『図書』のエッセーに書かれていたレストランを所望しました。それに賛同してくれる友人たち、本当にありがとう。ナポリは海辺の町、少し治安が悪いとも聞いており、このレストランも知らずには入りにくい店構えだったのですが、佐伯さんが書いているなら間違いない!と、「チャオ!」と入店。開店少し前に到着したのですが、「中で待ってくれたらいいよ」と椅子を提供してもらい、とても親切で感じの良いお店でした。海辺では魚介でしょ!と、ムール貝のワイン蒸し、イカやタコのフリット、エビのパスタなどすべてがおいしかったです。イタリアの晩ごはんは19時30分頃から2時間くらいかけていただくので、必然的に帰りが遅くなります。路線バスに乗って無事に帰れるだろうか、と心配していたわたしたちに、乗客の現地のお兄さんが聞きとりやすいようにと丁寧に降りる停留所を教えくれました。バコルトーナ景色0516(1).jpgスを降りてかコルトーナランチ0524(1).jpgらもバスの窓から顔を出して(こちらの説明はよくわからなかったけど)、何か一生懸命伝えようとしてくれました。「いいひとやな、、」情にもろい関西人4人は感動しました。たまたま出会っただけなのかもしれませんが、イタリアの人には開かれた印象を持ちました。ローマの休日で有名な真実の口がある教会で、しろやぎ人生初、男性からウインクをされました。ひゃあー、、、ウインクで返せばよかったのでしょうか(出来ないけど)。なんだかどきどきしてしまいましたが、観光名所ともども、名前も知らない人たちとの出会いもずっと記憶に残るように思います。旅は出てみるものですね。インドア面倒くさがりやのしろやぎですが、とても良い体験ができました。




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 そのほかにも、イタリアの児童書の読みものの本の装丁のかわいさに驚いたり、携帯電話にダウンロードしたグーグルマップの優秀さに思った、紙の旅行書の不必要さの切迫感や、チップを日本から持参したポチ袋に入れて渡したときの、レストランのお姉さんの笑顔から、「紙モノ」のかわいさは人類共通だわ!と再認識したり、書きたいことは尽きないのですが、ひとまずはこのへんで擱きますね。 



 そうそう、くろやぎさん、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」の、北海道砂川市のいわた書店さんの回はご覧になられましたか。3000人の人が、1万円選書を待っているそうです。店主の本への愛情と共に、まだ少なくとも3000人の人が1万円を払ってでも面白い本を読んでみたいと思っていることに、本屋としてできることをもっと考えていかなくてはならないと思います。旅と棚卸しで気持ちのリフレッシュをしたしろやぎは、目先のことはもちろんですが、本を必要とする人と人との間でできることを考えたいなと思っています。この思いが早々に消えてなくなりませんように。そのためには、くろやぎさんパワーも必要です。遠隔パワーで、お互いに元気になれたらいいなあ。これからも、どうぞよろしくお願いいたしますね。

阿倍野のしろやぎより

50通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2018. 5

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 しろやぎ先輩、くろやぎ現場へ帰還いたしました!気が付けば復職から早1ヵ月が経過しています。このひと月でようやく仕事と家事育児の両立のリズムが整ってきたという感じです。復帰して初めの2週間は育休で衰えてしまった基礎代謝の影響なのか帰宅後は体力ゲージがゼロになり、帰るなりソファに文字通り倒れこむこと30分、そこからヨボヨボと起きだして夕食の支度をする。夜は娘の寝かしつけなのに先に自分が夢の中。そんな日が続きました。更に追い打ちをかけたのは、保育園の洗礼・風邪フェスティバルでした。毎週異なるウィルスを持ち帰り、鼻水・咳・発熱を繰り返しました。ゴールデンウイークは家族でウィルスを仲良く分かち合い寝て過ごしました。日に日に減ってゆく有休の日数におびえつつ、それでも両実家の親たちの協力で何とか今日まで生き延びています。職場では時短勤務ということもあり、残業できない状況を気遣って上司たちは働きやすい環境を整えてくれています。本当に今ほど自分が周りの人々に支えられて生きていることを実感したことはありません。合掌の毎日です。
 娘もはじめのうちは登園時、母がいなくなることに大号泣で、くろやぎも後ろ髪引かれる思いで保育園をあとにしていましたけれども、最近は先生、お友達と過ごす楽しく充実した保育園での生活に慣れてきたようで、笑顔で「ババーイ」と言ってあっさり教室へ入って行きます。(成長と理解しつつも母は少しサミシイ…)
 娘の通う保育園では絵本の読み聞かせに力を入れていて、大きな本棚に年齢別にたくさんの絵本が並んでいます。毎週木曜日に1冊借りて帰ることができ、娘はその日がとても好きな様子です。先日は『ぱんだいすき』(福音館書店)を自ら選び取りました。かわいらしいタッチの絵ですがパンの匂いが漂ってきそうなリアルさもあって大人でもページをめくっているとお腹が鳴りそうです。娘は「パン…!!」(なぜか小声)と囁きながら何度も読んでいます。しろやぎ先輩が1歳のお誕生日にと送って下さった『くだもの』(福音館書店)を読む時も近頃はパクパクとくだものを食べる真似をしたり、食べさせてくれるしぐさを見せてくれます。
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 今までは保育書の担当でありながらただ漠然と保育士さんは忙しいのだろうな、と想像でしかないまま棚に陳列していましたが、実際に保育園に通うようになり現場の先生方の働きぶりを目の当たりにして「これ、いつ本読むの?!」と思わず声に出してしまいそうな忙しさにびっくりしています。登園の早い時間にもすでに先生たちはお部屋の掃除や園庭に遊び場のセッティングなど走り回って準備されています。他にも両脇に一人ずつ子供を抱えてあやしていたり、丁寧に一人ひとりトイレ指導をしていたり。帰宅時に毎日受け取る連絡帳にはとても細やかに子供のその日の様子、出来事を綴って下さっていて、書店員など足元にも及ばないマルチタスクだと思いました。何より小さな命を預かっている非常に責務の重い職業であるなか、保護者にはそうした仕事のあわただしさや困難を微塵も見せず笑顔で「おかえりなさい」とお迎え時に声をかけて下さいます。こうした姿を見て大げさかもしれませんが、保育書を棚に入れる覚悟が変わりました。
 戻ってきた書店現場は、棚のレイアウトやスタッフの顔ぶれ、話題書など大きく変わっていることもありますが、10年働いてきて体に染みついている経験や動きが少しは役立っているのか、大きく動揺することなく働けています。先日の朝は雑誌を出しながら上司と韓国のゾンビ映画『新感染』の感想で大いに盛り上がりました。職場でのゾンビ話にああ、戻ってきたのだ…と実感しました。復帰後は文芸、教育を担当しながら実用チームの指導・補佐を行っているのですが、先日とても嬉しいことがありました。育児本の棚前でお客様から1歳の子供のおやつの良い本はないかと問い合わせを受けたのです。丁度自分の娘と同じ月齢くらいでしたので、実際に自分が使ってみて助かった本を2点おすすめしたところ、1冊は即購入下さり、もう1冊は店頭在庫を切らしていたのですがわざわざ注文して下さいました。素朴なことですが、自分の読んだ本をおすすめしてお客様に購入して頂けるというのは、すごくすごく嬉しい瞬間ですね。
 さて、前回のお便りのなかでしろやぎ先輩の本屋大賞受賞と本屋の旅をワクワクしながら読みました。しろやぎ先輩の他書店を訪れた時の売り場、そこで働く人へのまなざしがいつも大好きです。いつかしろやぎ先輩が辿った本屋さんガイドを読んでみたい!本屋大賞受賞式はリアルタイムのネット中継で見ていました。辻村深月さんを囲んでの記念撮影でしろやぎ先輩が壇上にいるのをくろやぎはピピっと見つけ鼻息荒くタブレットを握りしめて見守りました。辻村さんの受賞スピーチ、素晴らしかったですね。辻村さんが逃げ場のない気持ちでいた時、この小説の鏡のように本が扉となって様々な世界へ連れ出してくれた――。しろやぎ先輩の言葉を借りれば、小説は人生の伴走者になってくれる。日々数多くの新刊を並べるとき、小説に内包された豊かさ、力を忘れないでいたいな、と文芸担当として思いました。
 来月は恒例夏の文庫入れ替えと棚卸という2大イベントがやって来ますね。疲れで本を売る瑞々しい喜びを曇らせることなく進みたいものです。しろやぎ先輩の異国の旅のお話も楽しみでなりません。ではでは。



倉敷のくろやぎより


49通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2018. 4


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倉敷のくろやぎさんへ


 くろやぎさん、育休復帰おめでとう。復帰するとうかがった日にちょうどこのお手紙を書いています。「書店員を続けます」、くろやぎさんの有言実行には頭が下がります。そして、くろやぎさんをそういう気持ちにさせた、倉敷店やスタッフのすばらしさ(内輪褒めですみません)にも思いがめぐります。受け入れてくれた保育園にも、ご家族の応援にも、なによりご当人のくろやぎ娘さんにも。自分一人の願いや力だけでは何も動かせないことを、しろやぎも父のリハビリ計画で直面したことがあります。どれ一つ欠けても実現しなかった復帰です。くろやぎさんが元気に幸せな日々を送ることが、一番うまくいく方法だと思います。どうか本当に無理をしないで、慣れていってくださいね。
 くろやぎさんが教えてくれた、我らが本好きとおしゃれの教祖(注:あやしい宗教ではありません)の、菊池亜希子さんもお母さんになられたのですね。本WEB管理人ゴローさんも愛読するという『マッシュ』(小学館)の続刊も待ち遠しいです。そして、もう一人の「教祖」(注:以下同じ)としろやぎがあがめている西加奈子さんも、昨夏ご出産されたそうです。今年2月に2年ぶりの新刊『おまじない』(筑摩書房)が発売になりました。待望の短編集です。少女、ファッションモデル、キャバ嬢、レズビアン、妊婦・・・さまざまな8人の女性たちが悩んだり傷ついたりしながらも、他者との関わりの中で生きていく姿を鮮やかに描きます。表紙も西さんご自身が描かれた煙突のイラストで、収録された短編の一つと深くつながる、心象風景のような素敵な絵です。また、西さん自身が妊娠中に書かれた「マタニティ」というお話は、あまり生々しくならないように注意したとのこと。登場する女性たちとしろやぎに共通点はあまりないのですが、どれもおもしろく胸に迫りました。西さんの書くテーマの普遍性に唸ります。主人公の女性たちだけでなく、その人と対峙する周りの人たちもまた人間。しかもその女性より弱い人かも知れない。どの人もただ、普通に生きていることが幸福、そんな西さんの根底に流れる哲学のような、包容力のある物語がしろやぎは好きです。ところで、くろやぎさんには「おまじない」はありますか。しろやぎは、「だいじょうぶ」がおまじないです。ずっと前のお便りでも触れた、いとうひろしさんの絵本『だいじょうぶだいじょうぶ』(講談社)を読んでから、“だいじょうぶ教”の信者です。「だいじょうぶ、ハイ、だいじょうぶ!」、これがとっても利きますよ。くろやぎさんにこっそりお教えしますね。
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 宗教色(?)から脱却して、本屋大賞のお話です。今年は本屋大賞15周年の記念の年、第二回目から参加している者として、一度は現場に行ってみたい夢が叶い、今年やっと参加することにしました。大賞の発表は夜からですので、もちろん早めに上京し、東京の本屋さんめぐりです。はじめに、そごう千葉店JUNNUにある「16の小さな専門書店」。シアターとカフェを併設した書店というと、今どき複合書店をイメージするのですが、本棚は売り上げを取ろうとする気合がみなぎるような堅実な棚です。面出しが多い見せる棚なのに、1冊1冊が選ばれた本であることが伝わってくる、密度の高い棚づくりです。良い棚と売れる棚の共存を実現させた、本屋側の自己満足で終わっていない本屋さんだと思いました。
東京に戻り、今回本屋大賞に出席することを後押ししてくださった、本屋にはなくてはならない図書カードの会社にお勤めの先輩Iさんと合流。おのぼりしろやぎなら電車に乗ってしまう移動を、Iさんは徒歩ですいすいと案内してくださります。日本橋のタロー書房は、おしゃれビル、コレド室町の地下1階。仕事の合間に立ち寄るビジネスマンを意識した、欲しい本がぱっと見つくように配置されています。ちらりと見えた平台下のストックも、ものすごくきれいに整頓されていました。しろやぎはストックを持たない方なのですが、限られた広さで商品を回転させる、担当者の矜持を垣間みた思いです。
続いて銀座の教文館。Iさんのお知り合いの女性書店員さんにご挨拶ができました。1885年創業の、1階雑誌、2階書籍、3階キリスト教書部、4階はカフェ、6階は子どもの本のみせナルニア国と各階ともお客さまから絶大な信頼を得ている老舗です。「チェーンの書店さんに比べたら、うちなんて小さな書店です」と謙遜されていたのですが、とんでもない。話題書は目に付く平台に、新刊と既刊がバランスよく並べられ、お客さまに目に留めていただきたい本がとてもよくわかります。しろやぎと同世代とお見受けする、がんばる女性書店員さんの姿は本当に頼もしく、束の間のお時間ながら「ブラック書店」のユーモアあふれるお話もできました。4階のカフェの教文館ブレンドのおいしかったこと!
 その後、ギンザシックス内の銀座蔦谷書店へ。おしゃれ感は言わずもがな、ただやみくもにおしゃれなのではなく、きちんと客層を把握した選書であることがよくわかる、“ビジネス的”に優れている本屋であるなと思います。例えば、ここでしか買えない『すずしろ日記』著者、山口晃さんのグッズも、念願叶って購入することができました。こういったわざわざ来てもらう「リアル書店」のしかけが、しろやぎの知らないところにも至るところにしかけてあるのだろうなと思わせてくれる書店です。東京駅から銀座まで散歩できるなんて、しろやぎ独りでは決してできなかったことです。Iさん、本当にありがとうございました。
そして、いよいよ本屋大賞会場の明治記念館へ。格式高い建物に、気持ちも上がってきます。テレビで見たことのある景色が広がります。大賞発表会の運営も、全国の書店員がボランティアでしていることを目の当たりにし、賞が大きなものになっても書店員の手を離れることなく、「いちばん!売りたい本」を選ぶ精神は15年前と変わらず続いていることが、うれしくなりました。書店員は手作りの大賞作品のポップが入場券になります。しろやぎも、切り絵のような花柄を貼った、いつもよりよそゆき仕様のポップを持参しました。今年の本屋大賞は、辻村深月さんの『かがみの孤城』(ポプラ社)。スピーチにもあった辻村さんの本屋大賞への思いは、本の雑誌増刊『本屋大賞2018』で読むことができます。今号には歴代本屋大賞受賞作家のことばも収録されていて、どちらもそれぞれの作家らしい本屋大賞愛にあふれていて、書店員、とくに文芸担当者は心が震えます。小説はきっと、人生の伴走者になってくれる、その思いをお客さまに届けなくてどうするのだ、こんなにすばらしい物語の数々を、知らずに死んでいくことは心底勿体ないと思うのです。「絶対売りたい!」気合と根性を注入された旅でもありました。
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開けて二日目も本屋めぐりを続けたのですが、エンドレスなお便りになりそうなので、またの機会に(近日中にあればいいですね)。本屋大賞でお話しした情熱的な書店員さんとの語らいや、くろやぎさんの育休復帰は、しろやぎにとっても「わたしたちはこの仕事を続けますよ」と自覚した大切な節目になりました。くろやぎさん、くろやぎ娘さん、本当にありがとう。お別れの季節だけではない、花粉症の季節でもない、少し苦手な春がだいぶ好きになったしろやぎでした。
ではまた。次回はしろやぎ私的旅土産話の予定です。ご期待くださいね。

阿倍野のしろやぎより



48通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2018. 3

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 おだやかな小春日和がようやく訪れた今日この頃、しろやぎ先輩いかがお過ごしですか。先月倉敷での再会の折、先輩があたたかい笑顔と共に残していって下さった幸運の種が花を咲かせました。娘の保育園内定が決まりました!毎日郵便局員さんのバイクの音が聞こえては足早にポストを覗き見る日が続いておりました。1枚の内定を知らせるハガキを手にした時には、玄関で一人心の中でマツケンサンバを踊りました。(※娘がお昼寝中だったため。えっ、古い?)翌日から会社とは復職に向けた具体的な事務手続きであったり、入園説明会、健康診断があったりと途端に慌ただしくなり、ふと、もう残り一か月くらいしか一日中こうして娘と一緒にいられる日々もないのだと何とも形容しがたい寂しさが押し寄せてきて、娘をぎゅうと抱きしめて頭の匂いを嗅いでしまいました。今までは早く仕事がしたい気持ちでいっぱいだったはずなのに人の心は贅沢ですね。仕事と子育て、どちらも全力で完璧にできるはずはありません。育休前の生き方とはまた形を変えてしなやかに対応していく様でありたいという思いがこの時頭に浮かびました。

 今年に入り、しろやぎ先輩をはじめ多くはないけれどとても大切な人たちとの「再会」に恵まれてきました。以前倉敷店で働いていたIさんは私と同様現在育休中で、復職後の家庭と仕事両立の不安や、子育ての喜びやとまどいを分かち合っています。共に働いていた時にはなかった深く温かい交流です。同じく元同僚のNさんとも昨年ふとしたことがきっかけで再び交流が始まりました。Nさんとは仕事のことだけでなく、家族のこと、生きること、他愛のないこと、色々な話をします。一人で考え悩んでいたことがNさんと話していると整理され答えが見えてくるようです。IさんもNさんも、言葉ですべてを語らずとも自然となんとなく思いが伝わり合っている、という不思議な親密さがしろやぎ先輩同様ある人たちです。皆倉敷店で一緒に働いていた、ということは無関係ではないかもしれませんね。
 それからもう一人、十数年ぶりに高校時代の友人との再会がありました。偶然私がインスタグラム上で出会った美しい写真を撮っていた掲載主がその友人でありました。倉敷の美観地区で古美術のうつわを用いたお料理教室(萬やのゆきさん、というお名前です)として活動されていることが判り、驚きと喜びでドキドキしながら久々の連絡をとりました。学生時代から自分の手で何かを創り出すこと、美しいものが好きでスタイルが一貫していた彼女でしたが、五感をフル活用して素材の活かし方と磨き方を人々に伝え、美しい器に出来上がったお料理を並べ味わうという独自の形を見出し進んでいることを再会とともに知り、くろやぎも自分らしくありたい、と強く触発されました。彼女との出会いがこれからの生活に伴う自信のなさやとまどいをふわりと取り払っていってくれたように感じます。
 復職を目前にして心底実感しているのは、昨年夏のNR出版会さんの神戸イベントや図書新聞さんに書かせて頂いた書評、くとうてんさんのこの往復書簡、大事な人たちとの再会といった出来事一つ一つが、働くこと、子育て、生きていくこと全体の背中を「大丈夫!」と押してくれているということです。皆に分けてもらったエネルギーを他のだれかを支えられるように今度は私が使いたい、そう思ったのでした。

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 くろやぎ今月の一押し本、参ります。女優・石田ゆり子さんのエッセイ『Lily-日々のカケラ』(文藝春秋)。数年前にほぼ日より刊行された彼女の『はなちゃんの夏休み』という黒ラブラドルレトリバー・はなちゃん視点の日記形式のエッセイを読んだ時から、くろやぎは石田ゆり子さんのことを、動物を心から愛するソウルメイトである!と勝手に思っているのですが、今回のエッセイの中の言葉―「小さな頃から動物が大好きで、もしかしたら人間よりも動物が好きだったかもしれない。言葉を持たない彼らとは、魂の一番深いところでいつも会話をしていたような気がします」―この文章に首がちぎれるくらい頷いたくろやぎです。ページをめくっているだけで日々の疲れが癒されていく(本当に!!)稀有な本です。
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 もう一つは雑誌『リンネル』4月号に掲載されている菊池亜希子さんの連載エッセイ「へそまがり」第18回〈3人になった日〉です。(このお便りが届くころにはもう5月号が出ていて読めないかもしれませんが書籍化を願っています。)久しく菊池さんの連載がないなあと思っていたら昨年の秋におかあさんになられていたことをエッセイで知りました。

 私のおなかには小さいいのちが育っていて、もう暫くしたら私はお母さんになる。それなのに、いや、それだからかなのか、私はお母さんになるどころか幼い少女に戻ってしまったみたいで、布団の中で「お母さん…」と声に出して呼んだ。そしたらもっと涙が出た。
(「へそまがり」より引用)

 自分が親になったって、いくつになったって、母は「母」で、立ち止まってその存在を想うと胸がいっぱいになることがあります。言葉にすることがなかなか難しい感覚を菊池さんはすがすがしいほどに掬い取って描いていて、2ページという短い文章ですが、涙と鼻水を何度もぬぐいながら読みました。
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 そうそう、しろやぎ先輩が前回紹介してくださっていた『すずしろ日記』、私もとても好きです。第1巻で山口さんが奥様のパンツを干す時にどこを洗濯ばさみで留めたら良いか戸惑うエピソードは衝撃でした。自分のパンツを干しながら毎日あのページを思い出してしまいます。パンツで締めくくる春のお便り。次回は無事に仕事に戻れた楽しい近況をお知らせできると良いのですが。本屋大賞もいよいよですね。わくわく。


倉敷のくろやぎより



47通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2018. 2


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倉敷のくろやぎさんへ


 年が明け、もう二月。立春を過ぎたというのに、寒い日は続いています。寒さは、二十三年前の一月十七日に起きた阪神・淡路大震災を思い出させます。あの日もとても寒く、余震が収まるまで車の中にいました。車の中にいてもはっきりとわかる余震、寒さと恐怖で歯がガチガチと鳴りました。あの時、たくさんの人に助けていただきました。数日後、滋賀県からポリタンクをかついで、様子を見に来てくれた伯父も、昨年末亡くなりました。寒さは時の流れを経ても変わらないのに、記憶や人は少しずつ変わっていくものですね。今年は特に春が待ち遠しいように感じます。
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 しろやぎは、二月にくろやぎさんと倉敷店を訪ねたのですよね。仕事上でも不穏なことがあり、少し疲れているしろやぎにとって、くろやぎさんとの語らいはとても元気が出るものでした。初対面のくろやぎベビーちゃんはかわいくて賢くて、しろやぎはハートを撃ち抜かれました。本ほんまにWEB連載の「奥のおじさん」の、お孫さんへの想い、身を持って体感できました。しろやぎが選んだ絵本を喜んでくれているという、『だーれだだれだ!』(小学館)を、本当に面白そうにめくったりひっぱったりしている、くろやぎベビーちゃんの目は、絵本を見ているようで、その先にあるこれからも続く未来を映しているようにも見えました。全身で運動し、心の底から嬉しいお顔を見せてくれる、赤ちゃんの反応。これが本当の人間の姿なのに、大人になると、一つ一つの行動や感情に「忖度」が付きまとうことがあります。くろやぎベビーちゃんに、本来の気持ちの表わし方を教えてもらったような思いです。もちろん、くろやぎ母さんにも!自分の思いを言わなければ、やらなければ、何も変わらないのですから。そのチャンレンジには余裕や体力も必要です。そのために、自分自身を見据える正直な視点も忘れないように、希望を見つけていきたいと思います。
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くろやぎさんが読んだ、『英子の森』(河出文庫)に、最初に英語を好きになった瞬間の話として、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌「クライム・エブリー・マウンテン」が登場します。しろやぎもまさしくそうでした。英文科ご卒業のくろやぎさんに初告白しますが、しろやぎは中学、高校と英語部だったのです。正しくは英語部という名のミュージカル部。秋の文化部発表会(文化祭)に向けて、映画原作のミュージカルを40分程の英語劇にして上演していました。今でこそたくさんの対訳本が本屋にも並んでいますが、当時は台本を作るのも、映画のビデオからせりふを聴きとっておこし、それを先生に見せて間違いを正してもらっていました。中学2年の時に出会った「サウンド・オブ・ミュージック」は、しろやぎにとっても英語を好きになったきっかけとも言える作品です。修道女見習いでありながら7人の子どもたちとその父親であるトラップ大佐を好きになったマリアは、身の処し方に迷いますが、修道院長のお導きとして歌われたのが「クライム・エブリー・マウンテン」です。くろやぎさんに久しぶりに会い、ベビーちゃんの全身で生きていることを喜んでいるような笑顔から、何だかこの歌をひたすら繰り返し歌っていた頃のことも思い出しました。くろやぎさん、ベビーちゃん、本当にありがとうございました。しろやぎもまた、次の日から休みの間にたまった常備書籍の入れ替えなどをせっせと出す日常に戻っています。けれども、心の真ん中は動じない、落ち着いた凪いだ感覚を保つことができているように思います。
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 そしてそんな悩める大人たちも、元気になるようなニュースも続いていますね。まずは将棋の藤井聡太六段。五段から六段までわずか半月で昇段されました。『等身の棋士』(ミシマ社)は、ほぼ会話のみによって構成されるインタビュー方式の取材から、命がけにも思える戦いの深遠さを知ることができる好著です。マネージャーや秘書、運転手もいない。後援会やタニマチも持たず、身一つで盤上に向かう棋士の孤高さは、将棋をしらないしろやぎにも目指す生き方の憧憬になっています。それはやはり、師匠や対局相手との出会いや対局を通して多くの人を感動させる、人と人とが巡り合う奇跡のような瞬間を信じていたいからなのでしょう。このすばらしい本を紹介したいと、雑誌のコラムに文章を書いたのですが、提出→校正→ゲラの段階であれよあれよと六段になられて、本誌掲載は五段のままになってしまいました。もう見ることができない五段表記が珍しいということでお許しいただきたいと思います。
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 そして冬季五輪開催まっただなか、羽生結弦選手や小平奈緒選手の金メダルにも、もちろんそのほかのメダルや健闘した選手たちの活躍が、私たちの日々の生活をも元気にしてくれます。もうすぐ雑誌の増刊号などが、本屋の店先を華やかにしてくれるでしょう。しろやぎは待ち切れず、『羽生結弦王者のメソッド』(文春文庫)を購入しました。羽生選手関連本は続々と重版の案内がきています。本屋にも五輪特需、ありがたいことですね。また、某医書版元からは「小平選手が読んでいた本が本書です!」と、リハビリの専門書を大きくアピールしています。お堅いの出版社の、ちょっと浮かれた反応に思わず笑みがこぼれました。専門書も特需にあやかれると良いですね。
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 もう一冊、しろやぎ的にとても待ち焦がれていた本が発売になりました。山口晃『すずしろ日記 参』(羽鳥書店)です。学術出版の東京大学出版会のPR誌『UP(ゆうぴい)』に連載されている漫画エッセー。一か月に一ページなので、計五十回分だと約五年分たまらないと書籍化されないもどかしさ。しかしあっという間の第三巻でした。一巻発売時に、本屋大賞の番外編のようなイチオシ部門(当時はありました)に投票し、本屋大賞本誌に掲載していただいたものが版元営業氏の目に留まり、「山口さんに伝えますね」という僥倖(@藤井六段)にも恵まれました。まだ昨日のことのように思うのですが、あれから十五年も書店員でいられているのだと思うと、こちらのこともこの上ない僥倖であると思うのです。
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 また、『すずしろ日記 参』には、『UP』連載分だけでなく、他の誌・紙面での連載も収められていて、その中に『銀座百点』の連載分も載っていたことが、とっても嬉しかったのです。『銀座百点』は、東京・銀座にある商店組合が編集している月刊誌です。巻頭特集や連載も切り口が面白く、加盟店で配布分は無料で手に入るとは思えないほどの、質量ともに充実した雑誌です。山口晃さんの連載を知った時は、定期購読をしようかとまで考えたのですが、この『すずしろ日記 参』で早々にも漏れなく読むことができて、とても得をした気分です。
『銀座百点』はISBNもなく、本屋での取次ルートでは扱いがありません。しかし山口さんや、作家と老舗店のコラボレーション企画などの贅沢な企画は、通常の雑誌と遜色のない内容です。銀座の老舗のように、出版社もほとんどが中小企業、本屋も大方が中小企業かまたはもっと小規模な商店です。その中での閉塞感や、出来得る戦略など限られたものになっているのなら、出版社や本屋が単独で動くのではなく、いくつかの出版社や本屋や、異業種の企業との協働など、個性を持つ複数の要素を組み合わせることも考えれば、打開策も生まれるような気がします。『銀座百点』を読むたびに、しろやぎはそんな可能性を語りかけられているように思います。山口晃さんのしめきりぎりぎりの極限(?)から生まれる緊張感と、それでいてやはり何にも代え難い味のある絵と文章を楽しみに、しろやぎは『UP』を楽しみにしているのでした。
春はもうすぐ。くろやぎさん、お手紙は続けつつ、また会ってくださいね。

阿倍野のしろやぎより


46通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2018. 1

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 日本列島を身を切るような寒さが覆う日が続いていますが、しろやぎ先輩は体調など崩されていませんか。くろやぎは有難いことに昨年から一度も風邪もひくことなく元気で過ごさせてもらっていますが、年明けに娘が人生初の鼻風邪にかかりました。鼻水がつまると鼻呼吸ができずに夜中何度も目覚めて泣く日々。二週間ほど泣き叫ぶ娘を押さえてズゴゴと鼻水を吸い取る毎日でした。鼻水が詰まるということが人間にとってこんなに大変なことだったのだと身をもって痛感しました。
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 10か月を迎える娘はかなり体力がついてきて、日中あまり活動的に動かないでいると夜なかなか夢の国へ行ってくれなくなりました。そのため母もエンターテイナーに徹し全力で道化となり、娘と遊ぶよう努めているのですがこれがなかなかの体力勝負であります。顔芸もかなり上達しました。そのくせ室内での行動範囲は限られているものですから体重は一向に減りません。顔芸もあまりカロリーを消費していない様子です。室内遊びの中でも特に娘が楽しそうに見えるのが絵本を読んでいる時です。書店員の母を幼いながらに気遣ってくれているのでしょうか。ありがたや。こぶたのプータンシリーズのなかの『プータン おばけだよ』(JULA出版局)という仕掛け絵本があります。お化け屋敷のなかで扉を開くとおばけが現れたり、うさぎが一つ目小僧になったりするのですが、そのページを開くとキャー!と言いながら目を瞑り顔を背けしがみついてくる娘の反応には大変驚き感心しました。親ばかで言っているのではなくて、教えたわけでもないのに、普段見ている人間やいきものとは異なる真っ黒い目や赤い大きな口といった様子の〝得体のしれないもの″を判別、認識しているらしきことが大変興味深かったのです。
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 さて、前回のお便りでしろやぎ先輩が紹介された『スリップの技法』(苦楽堂)をくろやぎも読みました。しろやぎ先輩が言われていたように、スリップとPOSデータを連動、駆使する感覚が本当に絶妙な方だと強く感じました。久禮さんの、スリップは懐古趣味ではなく未だ優れた道具である、という言葉に自分のアナログな働き方を肯定してもらっているようでした。しろやぎ先輩はスリップが担当者とのコミュニケーションツールにも成り得ることに着目していましたよね。私もその点にとても共感しました。この本の中で久禮さんが同僚の方たちとタレント・ROLAの新刊をどこに積むか話し合うエピソードがありますが、その本をどこに陳列するのが効果的で、より多くの方の手に取ってもらえるのかを、ジャンルを超えてクロスオーバーな視点でスタッフの皆さんが想像したり考えているのが素晴らしいと思いました。すべての現場ではないと思いますが、担当者特に長く一つのジャンルを担当しているスタッフにある種の偏狭さというか「これは自分の棚には合わない」と排除してしまいがちな傾向が見受けられると私は感じることがあるのですが、このエピソードでは担当の枠を取り払った、可能性を広げる話し合いがなされていて、風通しが良く、これこそ「チーム書店!」と感じたのです。スリップを通して、言葉だけでは上手く伝えることが難しいイメージや感覚を担当者と共有していくことが豊かにできればその店舗全体に良い効果がもたらされますよね。またこうしたスタッフ間でのやりとりの継続は書店員の目を養い、新人育成にも繋がっていくと思いました。この本の中の言葉を借りれば「スリップから何か兆しを読み取」ることが皆できるようになるかもしれませんね。久禮さんのこの本を読んだことでまたもやくろやぎの中で沸々と仕事したい熱が沸き起こっています。
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 娘のお昼寝タイムに、しろやぎ先輩おすすめコミック『差配さん』(リイド社)を読みました。面倒見が良くって懐の深い親分にゃんこ・差配さんの魅力にすっかりはまってしまいました!作者・塩川さんがなぜ差配さんをはじめ登場する猫たちを擬人化して描くのか分かる気がします。くろやぎ宅で暮らす三毛猫も時折本当に人間なのではないかと思うようなしぐさ、表情を見せるのです。それから必要以上に人に気を遣わずマイペースな猫たちは時に悟りを開いているようにくろやぎの目には映ることがあります。『差配さん』でもそういう自由気ままなところが随所に見られ癒されました。
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 最後に、久々に傑作…!!と驚愕した作品の紹介です。松田青子さんの『英子の森』(河出書房新社)。翻訳家・鴻巣友季子さんがツイッターで「英語教育産業から禁書になるぐらいやばい真実が書いてある」と表現していて手に取りました。幼い頃から呪文のように「英語ができると後でいいことがある」と周囲から言われ続け「英語を使う仕事」に縛られ囚われ身動きが取れなくなった人たちの物語です。英文科で学んだ私自身がなるべく見ないように、気づかないようにしてきたことが、この小説を読んでいると追いかけてきて、途中からは面白いを通り越して恐怖でした。冒頭、主人公の母・高崎夫人の身の回り至る処に小花柄のモチーフがちりばめられているのですが、この小花柄模様が物語後半、ものすごい威力を発揮して、小花柄模様の悪夢を見そうです。こんなに迫力のある暗喩を駆使した作品を久しぶりに読みました。語学書コーナーに仕掛けたら叱られる…かもしれません。
 来月はいよいよ保育園内定結果が判明します。しろやぎ先輩に良いご報告ができると信じて!ではでは、また。

倉敷のくろやぎより

45通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2017. 12


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倉敷のくろやぎさんへ


 秋と呼ぶ間もないくらいに季節が移ろい、朝晩の冷え込みが一段と厳しくなりました。「読書の秋」のフレーズが、売れ行きに反映されなくなったのは気温のせいか、あるいはもっと根源的な要因なのでしょうか。ただ寒いというだけで、布団から出るのも億劫で、仕事に行きたくないなあと思う日も正直あるのですが、それでも店に行くと自然としゃんとします。くろやぎさんが久しぶりに出勤して、お店に立つと感じるのも同じような気持ちなのかなと思います。くろやぎさんの仕事の蓄積は、「とにかく一生懸命やる」から、「真摯に地道にやる」へと移行しているのです。だから、あまり無理をせず、でも、お店に立つ喜びは大切にして、復帰に備えてくださいね。
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 「コッミックエッセージャンルマスター」くろやぎさんおすすめ、『違国日記1』(祥伝社)を、しろやぎも早速行きつけの本屋で購入して読みました。「え、自店で買わないの?」、ごもっともなご意見です。しろやぎの本屋事情を説明しますと、しろやぎが働く阿倍野店は、コミックの売り場がとなりのビルにあるのです。もちろん数10メートルを直進すれば着くのですが、仕事中は行きにくく、休憩中は食事に専念する(?)ので、つい忘れてしまいます。そんな時に頼りになるのが、駅中にある本屋です。20坪ほどの場所ですが、新刊を中心にとても効率よく、わかりやすく並べられています。白眉であるのがコミックの陳列です。しろやぎはコミックに疎く、以前在籍していた上司からは「大型店にいる者はコミックのことを知らんよなあ」と小言をいただいて、返す言葉もなかったのですが、新刊点数も作品の趣向も幅広い大型店では、検索機がないと見つけることができません。そんなしろやぎでも、このお店では短い時間で確実に探しているコミックを見つけることが出来るのです。今回も入店し、すぐに目に飛び込んできた『違国日記1』。発売直後というほどでもなかったのですが、しろやぎの目線に面出ししてあり、「私が買うの知っていたの?」と勘繰りたくなります。以前は『逃げるは恥だが役に立つ シナリオブック』(講談社)を所望していた時も、わが店の初回入荷数を鑑み、もう売り切れているのではないかと数日後に立ち寄ったところ、きちんと並べられていました。その商品の仕入力にも、他店ながら感服していたのですが、本当に普通の駅中の小さな本屋なのに、お客を取りこぼさず、好みを熟知されているような、「ソウルメイト本屋」なのです。ですので、行く方も迷いがありません。置いてないだろうなということは想像しないのです。この信頼度は大きな本屋ほど、精度を保つのは困難であると思うのですが、しろやぎなりに自店で実現したいと思うのでした。
 『違国日記1』はとても繊細な気持ちの機微を描いていますね。セリフやコマとコマの隙間から、色んな感情を掻き立てられます。姪と暮らすことを決めた槙生の姿は、境遇や環境は違っても、人との距離感に苦労する自分自身とも、深いところでつながる部分を感じます。不思議なほどに自分の方へ引き寄せて肩入れしてしまうのです。幼いころや学生時代もあまり漫画と触れ合わなかったからか、コミック全般が茫洋としていて苦手意識がありました。が、くろやぎさんやこの駅中の本屋のおかげで、しろやぎの今まで人生で損をしていた部分が開けてくるように思うのです。
 この季節、自店の児童書売り場にも、プレゼント用にと普段より多くの方がお越しになられます。特にお孫さんに絵本を選ぶご高齢の方などは、普段本屋には行かないけれど、孫が喜ぶものをあげたいという思いが伝わってきます。大きな本屋ほど広く本も多く、選ぶのが難しくなってきます。見て回るのが大変、小さい字も見えにくい、そんな時書店員が薦めた本を驚くほどあっさりと受け入れ、買ってくださる方もいらっしゃいます。責任重大だなと思うのです。しろやぎのように、気になるコミックをすぐ手に入れたい人も、孫の幸せを願う方にも、本屋は文化の拠点というまでに、もっともっと前の段階、その本を購入するのかも別とする位の、直接本に触る、棚の本の前を歩く、ただそれだけの機会が本屋の役割だとも思います。ふと本屋に立ち寄ることが、日常生活から消えてしまいかねない時代、『違国日記』の槙生と朝の食事の描写と同じくらいに、生活の中で本屋が普通にあってほしいと思います。そしてもちろん、本を買うこと、読むことも当たり前の日常であってほしいと思います。
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 くろやぎさんやしろやぎ、自称アナログ書店員を宣言している者にとってなくてはならないものを、とても体系的にまとめた本が発売になりました。久禮亮太著『スリップの技法』(苦楽堂)です。著者は書店チェーンを経て独立。「久禮書店」の屋号で、さまざまな本屋の選書に携わられています。本1冊1冊に挟み込まれている細長い紙、スリップ。スリップを使って、お客さまの傾向やこれから伸びそうなテーマ、仕掛けたい本を考えます。著者のすごいところは、スリップを注文や集計に使うだけでなく、お客さまが買った本の組み合わせに着目して推測、アイデアを生み出します。その人が棚をどう回遊したかを追うことで、意外な本のつながりを読み取る。そしてPOSデータも連動させる。スリップはやる気と妄想の宝庫だけども、その頭を冷やすのがPOSデータというわけです。そのバランス感覚は理解していても、ほとんどの書店員はどちらかに依存しがちです。まさに冷静と情熱のあいだの加減が絶妙なのです。
 11月に神戸で開催されたトークイベントにも行ってきました。著書『スリップの技法』の書影の両手が、そのままお顔につながっているご本人から、実際に売上スリップを使っていつもの作業を見せていただきました。とても楽しそうに分類されているのですが、その本への思いを過大評価することを解消するために、スリップに売上の記録を記入していきます。「いける」と思った本でも思いのほか売れなかった場合、売り上げの過程を記録することで考える余白を作るためにやっている作業だそうです。また、しろやぎが特に聞き入ったのは、担当者とのコミュニケーションにも有用であるということ。実際に直接伝えた上での話ですが、担当者へ「見ているよ」の反応としてスリップで思いを共有する。アナログ書店員にとって、究極の仲間への表現手段のように思えたのです。しろやぎは今まで、注文するための手控えや、スリップを見たりちぎったりすることでその動きと共に知識を体に浸透させるような使い方しかしていなかったので、久禮さんのスリップ道を自分なりに取り入れていきたいと思いました。「『久禮さんだからできるんですよ』という反応はせつないんです」とおっしゃる久禮さん。それぞれの書店員が、スリップの仕分けや店頭のお客さまの様子など、アナログな部分の小さな兆しを増幅させれば、再訪したくなるアイデアあふれた本屋が増えるのではないかなと思います。久禮さん、スリップを1年くらい熟成(!)させて、見直してみることもあるそうですよ。そうするとまた違った見え方がするそうです。まさにスリップソムリエですね。また、出席者の書店員と「好きなスリップ嫌いなスリップ」という話も出て、使いやすいのは、集英社コミックのスリップ(幅が広くて、裏側が再利用しやすい)、使いづらいスリップは築地が本社の某新聞社のスリップ(頭のボウスの部分が大きくて、すぐ飛び出すし、戻しにくいから)だそうです。書店員あるあるですね。楽しい話もたくさんできた夜でした。
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 最後に、コミックエッセイジャンルマスター(長い!)くろやぎさんに、無謀にもおすすめコミックを1冊。塩川桐子『差配さん』(リイド社)です。物語の舞台は江戸時代の町。夫婦げんかや男女の問題、現代と同じように、江戸の町にも多くの問題が山積みです。そんな悩みをさりげなく解決する面倒見のいいおやじ・差配さんを中心に繰り広げらるお話です。この差配さん、実は、実は猫なのです。擬人化された差配さんは人間以上に人の心を読み解けます。だって猫だもの。猫と暮らすくろやぎさんなら、きっとそう思ってくれるはず。人間よりもよくわかっていること、きっとありますよね。そして、女性の着物姿や、商人のちょんまげ姿、絵がとても美しい。プロに向かって失礼千万ですが、漫画家って、コミックって本当にすごいですね。素人感丸出しの感情ですが、お客さまに近い感覚ということで、お許しくださいね。
 来年も、本好きにとってもそうでもない人にとっても、ふらりと立ち寄れて、明日を照らすような、本屋が続きますように。
 くろやぎさん、良いお年をお迎えくださいね。 

阿倍野のしろやぎより




44通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2017. 11

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 しろやぎ先輩、こんにちは。今年の秋は雨続きで秋晴れ!と言える日が少ないまま、あっという間に冬がやってきましたね。朝のゴミ出しの時、吐く息の白さと朝日のコントラストがとても美しいと先日感動したくろやぎであります。
 カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞からもうひと月が経とうとしていますね。受賞の時ニュースを見ながらこの人の特設売り場を自らの手で陳列して展開したかった~!とテレビの前で悔しがりました。その時8か月を迎えていた娘は、悔しがる母の膝で自分の涎まみれの口を入念に拭いたのち、「にやり」と私の目を見て不敵に微笑んでいました。汚れたお口はスタイでは拭かない、母のズボンで拭くのじゃ、が彼女の流儀なのです。話が逸れました。しろやぎ先輩もご覧になったという『カズオ・イシグロ文学白熱教室』。私も大切に録画保存しているんです。番組の中でイシグロ氏がなぜ小説を書くのかについて、「物語は真実を伝える手段」「この世界を生きていく人間として、心を分かち合うこと。この点を小説家として最も大切にしている」と語っていたことが忘れられません。彼の誠実さがにじみ出ている言葉だと思いました。
 10月から11月にかけてくろやぎの身辺では様々な出来事がありました。大学のゼミの恩師から久々に論文の査読依頼をもらったり、新居への引っ越しで足腰が筋肉痛になり、倉敷店の店内改装作業へ2日間ですが顔を出してきました。肉体的にも知的にも常に刺激をもらい続けた2か月でした。特に店舗での久々に棚を触る作業は幸福な時間でした。棚の本数が変わるため、それに合わせて残すアイテムを選んでゆく作業中、産休前から定番であり続けている商品に安堵したかと思うと、見たことのない新顔の表紙に戸惑い奥付を確認しながら選定したり。こうして棚と向き合っているあいだは雑念が消え、棚と本のことしか考えていない。その感覚がとても好きなのだということを久々に実感しました。ちょっとレジにも入りたくなり、少しの間レジに立ってみたり。数か月ぶりだけど大丈夫、電子マネーの処理も忘れていませんでした。お客様に商品をお返ししながら「ありがとうございます」と言う時、顔が若干変な感じに緩んでいました。嬉しくて。すでにクリスマス包装サービスコーナーもレジ横に設置されていて、平日ですが応援を要請するベルが店内に度々鳴り響き、店中央通路を駆け足で移動するスタッフたちの姿を見て、ああ、これこれ…!と懐かしさで身震いするほどでした。上司ともゆっくりとは言えないまでも数か月ぶりに話ができました。ゾンビ情報を更新し合い、売り場の配置についてあれこれと。久しく売り場を離れていた私の目に、10年ほど続けてきたこと、見続けてきた景色が、いとおしく、楽しさに溢れたものに映りました。必ずもう一度この店に戻りたい、と心から思いました。
51EPKF+NmDL._SY346_.jpg 今月はなかなか読書の時間を確保するのが困難で、ご紹介できるものがまたもやコミックしかありません。ごめんなさい。ですが前回しろやぎ先輩に光栄にも「コミックエッセイジャンルマスター」という肩書を頂いたので(ゾンビジャンルマスター称号も嬉しかったです…!)ご紹介したいと思います。ヤマシタトモコさんの『違国日記』(祥伝社)を読みました。少女小説家の槙生(まきお)(35)と、両親を突如事故で亡くした姪・朝(あさ)(15)の不器用で手探りな同居譚です。タイトルの「違国」とは執筆に没頭している時の槙生の姿を朝が「ちがう国に行ってる」と表現しているところからきているようです。大切な人がある日突然いなくなり、会えなくなる。それでも日常は続いてゆく。当然お腹もへる。その日常の象徴のように、度々作中では二人の食事の場面が描かれます。食パンに千切りキャベツをはさんでケチャップとマスタードをかけたサンドイッチ(はさむと落ちるのでウィンナーはサイドメニューになっている)とコーヒー、というざっくりした朝食であったり、槙生の友人も参加して作る手作りギョーザであったり。豪勢ではないのですが、今にも目の前で湯気と共に匂いが漂ってきそうな描き方で、私の中ではよしながふみさんの『きのう何食べた』(講談社)に勝るとも劣らない作品となりました。
 次回はコミック以外のものもご紹介できたらと思っています。今月に入り、高速ほふく前進とぎこちないハイハイを始めた娘が日中、猫を追いかけて家じゅう移動するようになりました。彼女たちを居間に回収し、オムツ替え最中もウンチまみれのお尻で回転しようとするのをペットシーツの上で必死に固定していると(猫のために購入したアイテムがまさかこんなところで活躍するとは誰が想像したでしょう!)、気づけば日が落ちています。21時を過ぎてから23時までの2時間が何者にも邪魔をされない私だけの時間です。そこではビール片手にするめいかをくわえてフフフと本を開いたり、海外ドラマを見たり。くろやぎ至福時間です。
 そうそう、しろやぎ先輩は「ピアノジャンルマスター」、「万葉集ジャンルマスター」でありますが、同時に「絵本選定マスター」であります。娘に、と頂いた絵本は毎日読んでも興奮してムキャムキャ言っております。すごい。またおすすめの絵本の紹介をぜひお願いします。そしてしろやぎ店長の、全国の書店員ジャンルマスターを集結した空想書店出店応援、いつでも馳せ参じます!クラウチングスタートで待っています!


倉敷のくろやぎより

43通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2017. 10


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倉敷のくろやぎさんへ


51VxmA+0vvL._SX338_BO1,204,203,200_.jpgくろやぎさん、秋ですね。それでも、荷開けのあとはやはり汗まみれのしろやぎです。
半月ほど前に新店応援より生還しましたが、9月はいろいろなことがありました。そのなかでも特筆すべきは、9月2日に神戸まちづくり会館で開催された、NR出版会『書店員の仕事』トークイベントIN神戸です。「母くろやぎ」になられてからの初めての再会、本当に嬉しかったです。しろやぎの店舗運営面などのぐちに助言をくれた、くろやぎさんの芯の通ったぶれない姿勢に、ますます頼もしさを感じました。もちろんイベントででも!43名の参加者、関西の書店員だけでなく、大学生協や大阪高裁内のブックセンターの職員、出版関係者、執筆者、本会を運営して下さったNR加盟社、そしてしろやぎくろやぎの元同僚と、本WEB連載担当のくとうてんのゴローさんもお越し下さいました。東京では、書店員や書店についての話が中心になったので、神戸ではこの、『書店員の仕事』についてもっと焦点を当てようという目的がありました。
本会でしろやぎが特に印象に残ったのは、『書店員の仕事』に三分の一以上書かれている東北の震災時の書店の状況や在り方について、震災経験のある神戸で、町の本屋の存在意義を語ることができたこと。そしてもう一つは『書店員の仕事』を書評紹介などで、単なる職業紹介の本ではないという取り上げ方をしていただいたこと。普遍的な仕事や社会との関わり方の本として、「書店論」という一元的なもの以上の、執筆者や担当編集者が意識していなかった以上の共感できる部分があったのではないか、ということです。関わった者としては、藤井聡太四段のおことばを借りれば、まさに「望外の僥倖」という気持ちです。
もちろん、否定的なご意見・「つぶやき」の類にも、イベント中に触れられました。センセーショナル感や万人受けすることと、コアな読者を想定した「内向き」な本、どちらの捉えられ方をしても、批判は出てくるものだと思います。それらのご意見一つ一つに真摯に向き合おうとされている、版元、編集担当の姿勢こそが、書店の店頭でも必要なのではないかと思いました。少し話がそれますが、今回応援に行った新店は、イオンモールに入店しています。「クレームは飛躍のチャンス」という主旨のポスターが、バックヤードの共用部分のあちこちに貼ってありました。女子トイレにまで貼ってあったのを見て、かつての着任地の光景を思い出し、「変わらないなあ」と思わず笑ってしまったのですが、実際に店でお金を払ってくれたお客さま、実際に本を買って読んだお客さまの、身を持って体感した方々のご意見は謙虚に受け止めるしかありません。
本屋の店頭でも、お問い合わせを受けて在庫がなかったものは、客注などの直接的な注文にならなくても、可能な限り棚に1冊置いてみる。これは書店という場をその土地に受け入れられるような、開かれた場所にするための、手っ取り早い一番の方法だと思います。そのような経緯で仕入れた本とは言い切れないのですが、先日新潮文庫にある五木寛之の著書の問い合わせがあり、お客さまにお持ちすると、「何軒か本屋を回って、いつもここで欲しい本が見つかるんや」と言ってくださいました。この文庫は売れ行き良好に付くランク外の本でしたが、なぜか(結果オーライでも良いですよね)1冊棚に差してありました。ここだけの話、少し「うるさ型」のお客さまかとお見受けした方が、あえてかけて下さった言葉が本当に嬉しかったのです。だいぶ脱線してしまいましたが、NRのみなさんにもそのような一つ一つの意見に向き合おうとする細やかな姿勢に、小出版社ならではの矜持のようなものを感じ入りました。
くろやぎさんと、登壇者のYさんと、おいしいコーヒーとホットケーキを食べられたのも本当に楽しかったです。あまり占いなどには頼らないようにと戒めているしろやぎですが、このひととはうまが合う、波長が同じ、ソウルメイトだ、という感覚的なつながりは否定できないものですね。くろやぎさんとは勤務場所が変わっても、年を経るごとに絆は強くなっていると感じますし、新店の応援中も、5年から10年ぶりくらいに久しぶりにお会いする上司や同僚にも、一緒に働いていたときの感覚がありありと蘇る瞬間がありました。神戸でのもうお一人の登壇者Iさんとも、しっかりお話したのは東京での会が初めてだったのですが、今はペンパルにしていただきました。やっぱりアナログでしょう(笑)。でも、このような出会いがとてもありがたく、書店員をしている力になっているのです。
51lFFpsYkoL.jpg41rnQeBo4VL._SX336_.jpg41wQ0pzfwkL._200_.jpgそしてそして、くろやぎさん!本屋にとってとても嬉しいニュースがありましたね。カズオイシグロ氏のノーベル文学賞受賞です。受賞予想を「わりと迷惑」と書かれていた(『村上さんのところ』新潮社)、村上春樹氏ともお親しいカズオイシグロ氏。きっと春樹さんも心から喜んでいらっしゃると想像します。くろやぎさんも、以前この往復書簡で『忘れられた巨人』(早川書房)の感想を書かれていらっしゃいましたね。快哉の声をあげられたと思います。凡(やぎ)人しろやぎは、このお祝いムードに乗っかりたいと、部屋の本棚をごそごそします。『わたしを離さないで』の単行本、これは刊行時、社内の本読みの先輩に「読まねば人生損をする」と煽られて読んだなあ、でも、今までにないほどの重たい読書体験だったなと反芻します。そのとなりには、NHKEテレ「カズオ・イシグロ文学白熱教室」のDVD。これは早川書房の営業女子が、見逃したしろやぎに親切に自前で焼き増ししてくださったもの。画面の中の動いて話すイシグロさんは、『わたしを離さないで』の重たいイメージとは違って、親身に聴き手の学生の話の意図を汲み取って、ウィットに富んだ話をされていて、作品よりもイシグロさんご本人に魅力を感じてしまいました。この番組は、受賞後早々に再放送されていました。受賞後のイシグロさんのインタビューでも、その印象は変わりませんでした。イシグロさんご本人がとても素敵なのですよね。日本の芥川賞・直木賞でも、作家のコメントで本の売れ行きが左右されます。こういったところ、本屋には気になるところです。最後にこれは、自分をほめたい(?)一冊を本棚の隅(というところが情けない)で発見。柴田元幸責任編集『MONKEY VOL.7 FALL/WINTER2015』(スイッチ・パブリッシング)。特集は古典復活。川上未映子氏が村上春樹氏にインタビューする記事に魅かれて購入しましたが(『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮社)という単行本になっていますね)、カズオイシグロ+翻訳者の土屋政雄氏との対談、司会は柴田元幸氏という豪華メンバーで「カズオ・イシグロ、自作を語る」との記事が掲載されています。今回改めて読んでみました。これが本当に面白い対談でした。二年以上前にもイシグロさんは、自作が日本語に翻訳されることを「つねに特別なことです。日本は単に多くの国のひとつではなく、ある意味ではわたしのもうひとつの故国です」と述べておられます。受賞後のインタビューと全く違いません。翻訳者の土屋政雄さんもほとんど人前に出られることはないとの柴田さんのご紹介を受け、翻訳者しか体験していないイシグロさんの文章の完成度、作品による相違などを話されています。『忘れられた巨人』は、2004年くらいに書き始め、40ページくらい書いたところで奥さまに見せたところ、会話の言葉づかいが馬鹿みたい(!)と、「一からやり直すのよ」とダメ出しを受けたそうです。失意から立ち直ったイシグロさん(!)が再び書き始めた時、接続詞などを排除し言葉をシンプルにすること、超自然的な存在に、人間的な本物の感情を投影しようと思ったこと、そしてSF的な設定よりも、どちらかというと古いファンタジーの設定で、記憶を取り戻すこと、抑圧を解くことを表わそうとした。それは子どもの頃に読んだりお母さまに読んでもらった日本の物語も、記憶の水から汲み上げていた、と答えられています。すごく素敵なお話です。受賞によって自分の本棚を見直してみる、本を所有する読書の醍醐味ですよね。たまたま持っていた、眠っていた本に、今知りたかった、感じたかったことが見つかるということは、起こるべくして起こることだと思います。これが、しろやぎ的「引き寄せの法則」です。
519IY992FUL.jpgkazoku.jpgshinya.jpg411MG05FCTL00_.jpgくろやぎさんおすすめの『大きい犬』(リイド社)を、しろやぎも引き寄せられて読みました。短編はどれも哲学的、コミックというには考えさせられるお話でした。遠い星に住む子どもたちに会うまでに3年かかる「梅・桃・桜」と、大きい犬の後日譚「大きい犬・その後」、「小さい犬」が特によかったです。くろやぎさんの薦めるコミックやコミックエッセーは本当に面白い。この前の『家族ほど笑えるものはない』や『深夜食堂の料理帖』、高野文子さんの『黄色い本』、しろやぎが未踏の場所に連れて行ってくれます。前任の店の取次店Nの営業の方の名刺には、役職以外に「○○マスター」という肩書が載っていたのです。「ソーイングジャンルマスター」「宗教ジャンルマスター」など。実用、人文というジャンルより細分化された、書店でいう「小見出し」レベルでの専門家。「この棚のことはこの人に聞け」の最たるものです。書店員でもそんなことができれば面白いなと思います。棚担当ジャンル以外でも構わないので、ある一つの分野をとことん突き詰める。くろやぎさんなら「コミックエッセージャンルマスター」や「ゾンビジャンルマスター」(コアすぎでしょうか?)。しろやぎなら「ピアノジャンルマスター」や「万葉集ジャンルマスター」かな。自薦は少し恥ずかしいですね。そしてもちろんジャンルマスター任命後も、自己研鑚を忘れてはなりません。日本全国の書店員ジャンルマスターを集めたら、日本最強書店が出来ると思うのです。この壮大な空想書店を出店の際には、くろやぎさんぜひ新店応援をよろしくお願いします。「保活」が滞りなく済んだくろやぎさんとまた働きたいなと夢見るしろやぎでした。
ではまたね。



阿倍野のしろやぎより


42通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2017. 9

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

51VxmA+0vvL._SX338_BO1,204,203,200_.jpgしろやぎ先輩、今月は新店舗への長期に渡る応援、本当にお疲れさまでした。前回7月にお送りした手紙の祈りが届いたのか(?)朝晩がとても過ごしやすくなりましたね。来月で7か月を迎える娘のあせももようやく落ち着き、ほっとしているくろやぎです。
 今月9月2日に神戸・元町通にあるこうべまちづくり会館で開催されたNR出版会さんの『書店員の仕事』トークイベント。座談会のメンバーとして参加できたことはくろやぎの書店員人生の中でとてもとても大切な出来事となりました。事前にNRの皆さん、座談会メンバーの書店員の方たちと当日の進行についてメールで何度もやり取りを交わしていましたが、丸善京都本店のIさんとは初対面、丸善岡山シンフォニービル店のYさんとも一度人文会の会合でお会いしたのみでした。ですが当日会って早々まるで以前から店頭で共に働いていたかのような雰囲気と気持ちになり、くろやぎはとても驚いたのです。それはきっとしろやぎ先輩同様、この方たちが書店員として真摯に日々売り場、棚と向き合い続けている同志だからだろうと確信しました。途中から登壇してくださった「海のおじさま」Hさんの語られた震災フェアのお話。『書店員の仕事』の中に収録されたHさんの文章を何度も読んで励まされてきていたけれど、お隣で静かに話されるベテラン先輩書店員としてのひとつひとつの言葉を私は噛みしめるように聞いていました。またNR出版会の方たちのこの本に込めた想いを生の言葉で聞くことができ、しろやぎ先輩が前回のお手紙で書いていた〝一冊の本を売ることを大切にする″姿勢を新たにしました。イベント本番までの自由時間にしろやぎ先輩が連れて行ってくれた順喫茶・元町サントスでのひとときは忘れることができません。おいしいホットケーキと濃い目のコーヒーと久々の先輩との会話の至福の時間に元気をたくさんもらいました。9月は倉敷店でベテランスタッフの方が2名それぞれの新しい道へと進むべく店をあとにするしんみりとした月でもありましたが、神戸で過ごしたこの一日は私にとって復職への活力となり、仕事に向き合う気持ちを奮い起こさせてくれるものとなりました。

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 復職、に向けてこの夏からくろやぎは娘の保育園入園調査に繰り出しました。世にいう〝保活″です。産休前に職場で購入していた日経BPムック『保育園に入りたい!2017年版』を熟読しました。ここに掲載された体験談も、その他チェックしたブログなどでもとにかく嫌というほど目にした単語は「待機児童」「保育園落選」でした。日本で子育てをする人々を取り巻く環境の厳しさを物語っています。岡山県は全国でも5本の指に入る待機児童の多さなのですが、特に壮絶なのは岡山市で、倉敷市はそれほどひどい話もこれまでは聞いてこなかったので、大丈夫かなとどこかで悠長に構えていたのですが実際見学に行った先の保育士さんに言われたんです。「正社員の方でも宝くじに当たるようなものだと思っていてください」と…。(※ムンクの『叫び』の表情のくろやぎを思い描いてください)調べたら倉敷にも100人余りの待機児童がいるではありませんか。昨年流行語大賞にもランクインしたあの言葉―「保育園落ちた日本死ね」-は乱暴な表現かもしれませんがそう叫ばざるを得ないお母さんの切迫感が今ならよく理解できます。子供が保育園に入れなければ、その親、特に母親は自らのキャリアを手放さなくてはならない。それは家計を圧迫するという問題だけではなく、子育てと同じくらい大切なその人の人生の描き方にも大きな影をおとしてしまうと思います。社会学者・古市憲寿さんの『保育園義務教育化』(小学館)を読んでいますが、保育園探し真っただ中のくろやぎには希望を与えてくれる内容です。日本全体の政策として実現できたらどんなに良いだろうと心から願うものでした。入園結果が判るのは年明けです。お宮参りに参拝した氏神様にも新年お願いに伺おうと思っています。それまでできる準備は手を抜かず、あきらめず、進めていきたいです。
519IY992FUL.jpg 最近読んだ本の紹介も一冊。スケラッコさんの『大きい犬』(リイド社)というコミックです。『大きい犬』は文字通り住宅サイズの〝大きい犬″と、友人の留守番を頼まれ大きい犬くんの隣人となった人間・高田くんの交流を描いた作品です。(※高田くんは犬語が堪能)スケラッコさんの描く線はとてもシンプルで絵本を読んでいるような心地よさがあります。収録されている他の作品も神さまが登場したり、遠い未来の話であったりと非日常要素満載であるのになぜかこたつでポケーとくつろいでいるかのような安心感に包まれます。穏やかな秋の陽気の中でゆったりと読んで欲しい作品です。
 なんだか師走まであと少しなんですね。先日は職場で今年クリスマスラッピングコーナー設置をしてくれるスタッフと下準備や打合せをしながら、この前娘が誕生したと思ったのにもうクリスマスのことを考えてる?!と季節の移ろいのスピードにおののいたり。手帳やカレンダーのお問合せも店頭で多くなってくる季節ですね。風邪も流行り始める時期なので、しろやぎ先輩もどうか体調には気を付けて過ごしてください。新たに文芸担当となったり、新体制あべのエピソードを聞けるのを楽しみに待っています。



倉敷のくろやぎより

41通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2017. 8


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倉敷のくろやぎさんへ


 くろやぎさん、残暑お見舞い申し上げます。ちょうどお盆にこのお手紙を書いています。商品の入荷も止まり、午前中の店内も割に静かです。みなさん帰省中なのでしょうか。
先日新聞社より、「今読むべき戦争本」の紹介を依頼されました。わたしの担当は小説。ノンフィクションは多くの本が浮かびますが、小説は何が良いだろう。思いを巡らせた結果、中島京子『小さいおうち』(文春文庫)と、周防柳『八月の青い蝶』(集英社文庫)を挙げました。取材に訪れた記者は、くろやぎさんとわたしの間くらいの年齢の女性の方。しろやぎ同様、幼いころは図書館で『はだしのゲン』を読み衝撃を受け、『ガラスのうさぎ』を読み、戦争の悲しさや恐ろしさを知ったという共通体験で話が弾み、取材を受ける緊張も解けていきました。
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 『小さいおうち』は、始めは戦争の物語だと思えない展開です。実際の当時の一般家庭でも、背後に戦争が迫っていたとは思わなかったように思います。食べるものに困り、若者が徴兵されても、それでも近所の暮らしぶりや、もたらされる情報の制限などから「そういう世なのだ」と認識していたのではないでしょうか。著者の中島京子さんは、そのような感覚を、当時の雑誌の記事などを当たり、習俗をうまく物語に取り込みます。中島さん自身も女性誌の編集者をされていたこともあり、「肌をきれいにする記事など、女性の関心事は当時も今も一緒なのだと思った」とインタビューで語られています。普遍的なのですよね。ところが戦争が始まっても、髪を整え、子どもの受験に頭を悩ませていた生活も、あの東京大空襲ですべてが変わってしまう。これは小説のストーリーですが、現実にも起こったことです。日常の関心事や悩みが現代ともさほど変わらないことが余計に、戦争が全てを奪う、破壊する恐ろしさを小説を通して訴えられているように思うのです。
 もう一冊、『八月の青い蝶』は、戦争を体験した男性の人生の最期の日々と、語らないままの戦争の記憶を描いた小説です。戦争の体験を語らない、見えない歴史の重み。見てはいけないものを見たこと、思い出したくないものを語らない。命を落した人より生き延びた自分が、つらい体験を語るのは美徳ではない。そういった価値観を一生抱えて生きていくのです。その信条や心の傷は、察するに余りあるものなのですが、戦争を体験したわたしたちの祖父母の世代が存命の間に、出来る限り聞いておきたいですし、それを残しておけるのが、「本」という形態であると思います。戦争のことだけでなく、本や語りから得た教養は、戦争を止めようとする力になるはずです。72年前に戦争が終わったという情報だけでは、戦争を抑止することはできません。生の声や、本から得た直接自分とは関わりのない知識も、複合的な教養となり、戦争は悲惨だ、決して繰り返してはならないという情緒にも響く体験が必要なのではないかと思います。本屋は戦争を考える始めの一歩となる場所ではないかと感じたお盆です。

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 くろやぎさんが出合った『さよならのあとで』(夏葉社)は、生涯心に留めておきたい詩です。知人とお別れしたとき、死を意識したとき、きっとわたしはこれからも動揺すると思います。でもこの本を本棚の手に取れる場所に置いていることは忘れないでおこうと思います。個人的な体験ですが、小学校一年生のときに伯父の死に接しました。そのとき、火葬場にも行きました。死ぬということはこうなることなのかと、その光景は忘れることはできません。その後、くろやぎさんのように、夜中布団のなかで子どもなりに死ぬということを考えて眠れなくなる日がありました(それでもいつの間にか寝ているのですが)。それに輪をかける出来事もありました。祖母に連れていかれた田舎の寺で、地獄の絵の掛け軸を見ました。悪いことをしていなくても、肉や魚を食べる殺生をしているから、人間はみんな地獄に行くのかなと、子どもらしい妄想が広がりました。小学生にとっては強烈な体験でしたが、幼いころに命について考えられたことは、今となっては良かったと思います。『地獄 絵本』(風涛社)という絵本が、聞き分けのない子どものしつけに有効という事例があって、絵本もずいぶん売れましたが、その場限りではない、命のことを考えられるように読まれてほしいなと思っています。
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 戦争のお話から少し暗くなりましたね。その後、死について悶々としていたしろやぎを救ってくれた一つに、さくらももこ『もものかんづめ』(集英社)の「メルヘン翁」というエッセーがあります。アニメ「ちびまる子ちゃん」では、友蔵じいさんは愛されるキャラクターとして登場しますが、実際のさくらさんの祖父は「ろくでもないジジィ」だったそうです。そのおじいさんが亡くなった時のことが、どうしようもなく笑ってしまうように書かれていて、気持ちに嘘をつかずに死を笑いにできることに、とっても驚きました。ちびまる子ちゃんも好きでしたが、さくらももこはすごいなと思ったのはわたしにとっては断然エッセーのほうです。そして、同じことを思っていらっしゃったのが朝井リョウさん。『クロワッサン』8/25号の特集「本のない、人生なんて」で、『もものかんづめ』を取り上げてらして、とても嬉しくなりました。読みやすく、読んで得るものもない、朝井さんはさくらさんのエッセーを「とにかく本を読むことのハードルをすごく下げてくれた」と語っておられますが、深刻な死への恐れを解いてくれたさくらさんのエッセーはわたしにとっても忘れられない本です。そんな誰かにとってのさくらももこを目指して書かれた、朝井さんの最新エッセー『風と共にゆとりぬ』(文藝春秋)も最高です。ちょうど昨年、映画「何者」の試写会で、朝井さんとお会いできる機会があり喜んでいたのですが、実はそのころ朝井さんは、お尻付近の重大な悩みと格闘していたというエッセー、その名も「肛門記」は、公衆の面前では読めない抱腹絶倒の「一大叙事詩」なのです。「朝井さんは、天才です」とは某出版社の営業担当者の弁ですが、このエッセーで実感しました。朝井さん、天才です。笑いをとるために自分をおとしめずに、ありのままの事実と状況を筆力で読ませる。そんな直球勝負の本は、わたしにとっての『もものかんづめ』のように、色んな場所で多くの人を救うと思います。
 その後の余談ですが、書店に入社後しばらくすると、『もものかんづめ』が文庫化されました。この本が本当に好きだったと女性上司に語ると、「それならこの文庫の販売隊長になりなさい」と、毎週各店の仕入と売上状況を社内掲示板に挙げ、店舗間での販売競争を促進する役を任せてくれました。うまく乗せてくださったのでしょう。売上報告とともに、「隊長の一言」を書く欄もあり、そのことばに実感が伴っていてよかったよ、と褒めていただいたことは、今でもよい思い出です。さくらももこさんが、文庫販売のためにだけ描いた「ももさるたい」のバッチも、各店の文庫担当者に授与されました。こんなことをいうと怒られるかもしれませんが、当時は一冊の本を売るということを、書店も、出版社も、もしかしたら著者の方も、今より大切にしていたのではないかと思います。もうそんな時代ではないからと諦めずに、今もできることは残していきたいと思います。
 今回は懐古的なお話でごめんなさい。来月は『書店員の仕事』(NR出版会)の関西でのイベントもあります。将来を楽しく妄想?するお話ができればいいなと思います。
 それでは、また。

阿倍野のしろやぎより

40通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2017. 7

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

51VxmA+0vvL._SX338_BO1,204,203,200_.jpgしろやぎ先輩、お帰りなさい。前回のお便りは『書店員の仕事』出版記念会会場の熱気としろやぎ先輩の喜びがくろやぎにもバシバシと感じられて興奮しました。『書店員の仕事』を読んでいるだけでも感じられる同志がいることの心強さを、実際にその方々と語り、共有できる場などめったにあることではないですよね。しろやぎ先輩の旅レポートを読んで私は自宅に居ながらにして、頑張れ!と背中を押してもらっている気がしました。しろやぎ先輩の東京・書店巡りの旅にもにんまり。素敵な本屋さんで見つけた本って自店の棚で普段見かけるのとは全く違う立ち姿(?)であったりして、ついつい手を伸ばしてしまいますよね。今日はどうしてそんなに美しいの?!とか思ってしまう。久々に本屋巡りをしたい衝動に駆られました。
 NR出版会事務局Tさんのご厚意で毎月NR新刊情報を現在自宅に送って頂いているのですが、先日この記念会の対談のレポートと写真も拝見しましたよ!育休中であるにも拘わらずこうして仕事を近くに感じ続けていられるのは連載記事「書店員の仕事」や、しろやぎ先輩とのお便りがあるからだなぁと改めて感謝せずにはいられません。それから、有難いことに倉敷の上司や担当を引き継いでもらっているスタッフも定期的にメールで店舗の様子やニュースを知らせてくれます。先日も上司からゾンビ映画の巨匠・ロメロ監督死去の悲しみを綴ったメールが届きました。上司の悲しみを少しでも癒すべく、『ゾンビスクール!』という映画がチキンナゲットを食べてゾンビになる小学生たちが出てきておススメですよ、と返信しておきました。産休以前の自分の中での仕事のモチベーションを保てていられるのは倉敷の皆のおかげです。
51Yr9Alq5NL._SX451_BO1,204,203,200_.jpg くろやぎ育休中の近況としては、娘が4か月になったことでしょうか。前回のお便りでお話しした「よっしゃいつでも来~い!」な力みも落ち着き、お互いのリズムに慣れてきました。近頃は興味のあるものを何でも手に持ち、口へ運び、納得のゆくまで舐め尽くすのが娘の中でブームのようです。先日『ペネロペとあそぼう』(岩崎書店)が倉敷の児童書コーナーに山積みされていたので購入したところ大変ご好評頂いております。触るとビニール袋をクシャっとした時のような音のするページや、ティッシュのようにシュッと取り出せる布が仕掛けてあるページがあり、それらを手にしては鬼のような形相でヂュウヂュウと吸い続けてくれています。布絵本の有難い所は洗える、という点に尽きますね。
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 娘がペネロペ絵本に夢中な合間に私はテッド・チャン『あなたの人生の物語』(早川書房)を読み終えました。先日『メッセージ』という邦題で映画化された作品の原作です。迂闊に感想を述べるとネタバレさせてしまう危険性があるため多くは語れませんが、素晴らしい作品です。今までSF映画は好きでもSF小説は苦手だったくろやぎでしたが、涙を始終止められない小説でした。鈍いくろやぎは一度目の読後は作品の「仕掛け」に気づけず、二度目で気づいてさらに泣きました。何が素晴らしいかというと特に生まれて間もない赤ちゃんの描写が秀逸なのです。主人公の女性ルイーズが見つめるわが子の様子は私自身がまさに体験し、感じたことそのものでした。著者は男性ですがあまりにすごい描写のため疑って検索までかけました。巻末の著者の作品覚書きによるとこの作品は新しく母となった友人が自分の生まれたての赤ん坊について話したことを取り入れたということなのですが、著者自身が母親なのではないかと錯覚してしまう描き方に脱帽です。
41o8KpTcZ7L._SX342_BO1,204,203,200_.jpg もう一冊は偶然心に留まり手にした本です。『さよならのあとで』(夏葉社)という英国の神学者であり哲学者でもあった著者による詩の邦訳本です。シンプルな装丁と、ずっと触れていたい紙の手触りと題名に惹かれました。題名のない原詩は “death is nothing at all.” という一文で始まります。とても短い詩ですが邦訳は一言一言、ゆっくりと朗読されるかのように一文ずつにページが割かれています。このページの作り方が読んでいるこちらには非常に心地良く、何度も読み返しました。丁度一年前の夏に父方の祖母が亡くなりました。久しぶりに連休を取り、明日そちらに行くねと伝えた翌朝、突然のことでした久々の再会のための休暇が祖母の葬儀となりました。その後妊娠が判り、慌ただしい日々が始まりましたが、時折真夜中に二度と会えない祖母や大切な人たちのことについての想いが押し寄せて来ることがありました。幼い頃から死ぬということ、自分の思考が無くなるということ、を考えだすとそこから抜け出せなくなることがあったのですが、この詩を読むと「あれ、今までの恐怖や悩みはなんだったのか…」と思えるという不思議な感覚を味わいました。


死はなんでもないものです。

私はただ

となりの部屋にそっと移っただけ。

 詩の中でとても好きな言葉です。自分の葬儀では大切な人たちにこの詩を読んでもらいたい…と思いました。娘のよだれにまみれた絵本の話から急にしんみりさせてしまったでしょうか。ごめんなさい。夏が始まったばかりだというのに一刻も早く涼しい秋が来ることを願いながらお便りを締め括ろうと思うくろやぎです。(夏が好きなみなさんごめんなさい)しろやぎ先輩もくれぐれもお体ご自愛下さいね。


倉敷のくろやぎより

39通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2017. 6


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倉敷のくろやぎさんへ


51VxmA+0vvL._SX338_BO1,204,203,200_.jpg くろやぎさん、ただいま。東京から戻りました。5月26日に文京区民センターで行われた、「NR出版会 『書店員の仕事』出版記念会」に出席してきました。東京で18時過ぎからの開催に関わらず、全国から『書店員の仕事』執筆者18名(お一人は二次会から参加)、書店員、出版社、出版関係者、NR出版会加盟社・会友社など約90名の参加者が集まる盛会でした。わたしは、会の中で座談会の当番が当たっていたので、どきどきしながらも、前回のくろやぎさんからのお手紙にあった、「棚を触る喜び、結束バンドをリズミカルに切って、新刊を箱から取り出して検品する時のワクワク感、番線を押しながらインクまみれになった手、客注短冊をお客さまと話しながら切り渡す瞬間」、まさにそのような、背伸びしない日常の楽しさを皆さんと共有したいな、と思いながら向かいました。到着後、一緒に登壇する丸善京都本店の書店員さん(しろやぎと同じうさこちゃん好き!)、担当編集者、NR事務局の方々と打ち合わせをしたのですが、いざ始まると、代表幹事のご挨拶、乾杯と過ぎたあとの90余名の皆さんの、久しぶりの再会や初めましての大交流会となり、その熱気と興奮は、打ち合わせで確認した進行をどこかへ飛ばして行ってしまいました。いよいよ出番、ビールの入ったコップ片手に少し高い場所に着席。目の前にはワインのボトルを用意してくださっていて、ああもう今日のこの空間を思いっきり楽しもう、そんな気持ちになりました。台本や話したいことを準備しても、その場の雰囲気、ライブ感にはかなわないですね。ともっともらしく述べてしまいましたが、実はどんな話をしたのかあまり思い出せないでいます。ただ、集まった大勢の皆さんと、これからも本屋という場を楽しんで作っていこう、盛り上げていこうという前向きな気持ちを共有できた、とても温かい会であったことは間違いありません。信頼している版元、同じ方向を向いている同業種の方が集まるとすごい勢いが生まれるという瞬間に立ち会えました。共に登壇してくださった丸善京都本店の頼れる先輩書店員さんと、親しくなれたのも本当に嬉しいです。未定ではありますが、関西でも集いをという声も出ているそうです。密かに楽しみにしておきたいと思います。
 出席した割には何も語れない座談会の内容は、NR事務局でテープを起こし、NR出版会新刊重版情報などに載せていただけるようです。ですので(と逃げて)、個人的に今回の会で印象に残ったことを三つ記しておきたいと思います。
 まず、出席された書店員は女性がとても元気ということ。『書店員の仕事』を読み、特に私が感銘を受けた、元リブロ池袋本店の方に事前にお声をかけ、登壇していただきました。初めにご挨拶すると、文章で受けた印象のままの明るくて思慮深い方でした。以前弊社にいた女性上司のような雰囲気の方といったらくろやぎさんには通じるかしら。また、連載時より「書店員の仕事」の愛読者でぜひ参加したいと、関西から参加の女性書店員さんは、次の日は昼からお仕事というタイトスケジュールのなか、お越しになられていました。そのほか、現在は書店の現場からは離れられているものの、東北から日帰りを敢行された、大学生協勤務の大先輩の方。そして、本連載「しろやぎくろやぎ往復書簡」を毎回読んで下さっている方とも初めてのご対面を果たしました。内容についても共感していただいていて、もう感謝の気持ちしかありません。
 そして二つめは、本屋をリタイアされた書店員の大先輩の方々は、今も本屋への情熱が衰えることなく、飽くなき探求心を持ち続けておられること。「書店員の仕事」連載第一回目の方は、掲載時お勤めの書店は退職されたのですが、自宅で本屋を始めようと図面を引いているとお話ししてくださいました。また、在職中フェアを開催する時に、フリーペーパーではおさまらない、無料小冊子を手書きで作成し、お客さまやフェア協力版元に配られていたという大先輩は、手作りフェアの効力を熱弁、そしてわれらの「海のおじさま」Hさんに、直取引の出版社の経理上の管理について細かく質問されていました。疑問に思えばすぐ尋ねる、これも名古屋の書店員の大先輩のおことばにある、「書店員としてすべてのジャンルを網羅することは難しいが、このジャンルならこの人に聴けば間違いないというオブザーバーを得ることはとても大切」という信条を目の当たりにしたできごとでした。
 最後に三つめは、本や本屋を好きでいてくれる人はご縁を大切にされるということ。Hさんは30年来のお知り合いという大学出版会の営業の方と久しぶりの再会を果たされていました。めったに会わない、そして専門書の性質上、金額面でも大きな商いが見込まれるものではないつながりにも、機会があれば店に足を運び、営業そっちのけで本の話をする。時が経ち、また寄る年波を感じると今日の出会いがまた叶うという保証はありません。そんなことはビジネスの場面では感傷的に取り上げないことが公然になっているなか、それぞれが感じる寂しさを秘めながら集える喜びを冗談ながらに確認し合う。とても温かい会でした。
 それはひとえにNR出版会という出版社の集まりが、単独で何かを成し遂げるのではなく、いくつかの出版社や時に異業種とも協働し、それぞれの個性を保つ複数の要素が組み合わさった出版活動をされているからで、まさにこの出版記念会で体現されたと思うのです。そんな、とても貴重でうれしい場面に立ち会えた幸せな日でした。

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 出版記念会の前後には、神保町や荻窪も散歩してきましたよ。戦利品は、神保町の東京堂書店で、石田千『きなりの雲』(講談社文庫)のサイン本と、やっと行けた荻窪の本屋Titleで『IN/SECTS いいお店の作り方』2016年5月号(LLCインセクツ)。『きなりの雲』は編みものを仕事とする女性の失恋の物語なのですが、なんとも心に沁みる物語です。石田千さんは、もっと読まれるべき作家だと思っています。
インセクツは実は大阪の出版社の発行です。Title店主に「ここで買わなくても(笑)」と言っていただいたのですが、Titleだからこそ出合えた、商いの面白さが味わえる小さな1冊です。併設カフェのTitleブレンドのコーヒ-もとってもおいしかったです。
 そうそうくろやぎさん!行きの新幹線で、カフカヤマモトさんの『家族ほど笑えるものはない』(KADOKAWA)を読みましたよ。自店に在庫がなくてがっかりしていたのですが、新大阪構内の書店で発見!なんというご縁、ひとり破顔のあやしいひとです。乗り込むなり面白くて面白くて、爆笑をこらえるのが大変でした。でもおかげで東京までの道のりの緊張を解いてくれました。読み応えのある本ですよね。カフカさんの旦那さまで子どもたちのお父さんのキャラクターが、岡田あーみん風ですね。ああ、楽しい。みんなに薦めたいです。実はスタッフの入れ替わりなどで、文芸書担当になるもよう。まずこの本をしかけてみようかな。くろやぎさんがお休みのときに、追いつけ追い越せ倉敷店!焦らせたかな。だいじょうぶ、倉敷店はくろやぎさんの復帰を心待ちにしていますよ。
 それでは、また。暑くなるので、くろやぎベビーちゃんともども、仲良く水分補給してくださいね。


阿倍野のしろやぎより

38通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2017. 5

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 5月だというのにもう真夏のような日が続いていますが、しろやぎ先輩いかがお過ごしですか。今年もくろやぎは綿麻パンツをタンスから引っ張り出してはいております。
 娘との新生活も気が付くともう2か月半。授乳や睡眠のリズムも徐々に整い始め、昼過ぎまでに晩御飯の支度や家事を終わらせ、夕方グズりがちな娘(黄昏泣きってやつですか…?)を「よっしゃ!いつでも来~い!!」と待ち構えることにも慣れてきました。幸か不幸か異常なまでに段取り力がレベルアップしている今日この頃です。最近は娘の視野がかなり広がり、メリーやTV、母の姿を頭をコロコロ動かし追いかけ、表情豊かに笑うようになりました。しろやぎ先輩に頂いたしかけえほん『だーれだ だれだ』(小学館)は大大大好評で、「おはなに かくれて いるの だーれだ だれだ?!」と読みながら開閉可能になっている部分を開けると中から出てきた動物たちに「アウアウ」と話しかけています。前回のお便りでも感じたことですがしろやぎ先輩の絵本選書力はやはり流石です!
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 こうして娘と絵本を読むまで気が付かなかったことですが、絵本って子供の興味を引き付ける工夫が本の形や色、大きさなど随所にしてあるんですね。赤ちゃんは特に鮮やかな色彩と笑っている顔に興味を示すみたいなんですが、『だーれだ だれだ』はまさにそれらの要素をしっかりと組み込んで作ってある。今までお客様におすすめの児童書を聞かれた際苦手意識からつい担当者に任せてしまっていたのですが、復帰したらしろやぎ先輩のように自分の言葉でお伝えしたいなと思いました。


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 それからこのほんまにWebさんで『海文堂のお道具箱』を連載されている小熊猫さんよりエッセイの中でお祝いの言葉を頂けてとても嬉しかったです。海文堂さんで担当者が不在の時いかにして他スタッフが棚のフォローをしていたかのエピソードから書店員としての在り方というのでしょうか、色々考えさせられました。小熊猫さんが言われていた担当者の「並べ方のクセ」であったり、雑誌・芸能書担当さんの「誰にもまねできない」棚。それらこそが本屋の面白さを生み出している大切な要素ではないかと思ったのです。産休育休を頂くにあたり職場に迷惑をかけないよう引き継ぎは一通りしたけれど、それで万事OK、私がいなくても全然大丈夫、だとしたらそれはなんだか寂しい…。「この棚はこの人にしか作れない」「いないと困る」ような書店員で在りたいし、そう言われるような存在になりたい、と強く思いました。
 そうそう、NR出版会さんの会報連載をまとめた『書店員の仕事』が刊行されましたね!書店現場から離れている今、この往復書簡と共にこの本が私と「書店員で在り続ける」思いを繋いでくれています。どの書店のどの方の文書を読んでも付箋が何百枚あっても足りないほど書店員という仕事を続けていく上で大切にしたい生の言葉に溢れています。棚を触る喜び、結束バンドをリズミカルに切って新刊を箱から取り出して検品する時のワクワク感、番線印を押しながらインクまみれになってしまった手、客注短冊をお客様と話しながら切り取り渡す瞬間。離れているから余計にでしょうか、この本を読んでいるとそんな日々の仕事をとてもいとおしく感じます。序文で新泉社の安喜さんがこの本のことを「次代を担う若者に向けた『仕事論』の本としても」読むことができると書いておられますが、まさにそうだと思います。倉敷店ではおそらく文芸新刊台のノンフィクションや書評をまとめた所へ並べそうですが、ビジネス書棚であってもいいし、エッセイの棚でもいいですよね。本当に様々な角度の読者に向けた本だと思います。


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 もう一冊今のくろやぎを励ましてくれる本を紹介させてください。カフカヤマモトさんのコミックエッセイ『家族ほど笑えるものはない』(KADOKAWA)です。倉敷店でも売れていると文芸担当が連絡をくれた本です。著者がインスタグラムにアップしている子供と家族の日々の記録を一冊の本にまとめたものです。著者のカフカさんご自身、1年の育休の後フルタイムの仕事に復帰して子育てとの両立をしているお母さんということもあり、共感しながら何度も読み返しています。明け方の授乳中間違ってテンションMAXになってしまうエピソードに頷いたり、食べ物によって色々なリアクションを見せる様子を描いた離乳食百景シリーズを読んでは娘もこんな風になるのかな?とまだ見ぬ光景に想像を膨らませたり。子育てエッセイは数多く刊行されていますが、カフカさんの本の魅力は、笑いは何気ない家族の日常に数えきれないくらいちりばめられているのだと気づかせてくれる点ではないでしょうか。笑いの雰囲気はどこか岡田あ~みんを彷彿とさせ、昭和りぼん世代にもおすすめです(笑)。日々の仕事や育児に疲れた時、癒されてほしい一冊です。


 今月末は東京で『書店員の仕事』刊行記念会がありますね。くろやぎは参加できなくて残念ですが、次回のお便りでまたどんな会だったか是非教えてください!!
それでは、また。



倉敷のくろやぎより

37通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2017. 4


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倉敷のくろやぎさんへ


 くろやぎさん、ご出産おめでとうございます。お忙しいなか、幸せなお便りをいち早くいただいて、しろやぎはほっとしています。最近の不安定な天候のなか、雨の日が続く桜も、風の強い日の桜も、それはとてもかれんで美しく、晴れの日の桜を見るよりも貴いものに思えてきます。子育てもお仕事も、もしかしたら向かい風を感じることもあるかもしれませんが、くろやぎベビーちゃんのご誕生は、これからの人生をきっと良い方向へ導いてくれると思います。無理をしないでがんばってくださいね。
 それにしても、出産・入院をしながらも、看護の棚を冷静に考察するくろやぎさんの観察眼に恐れ入ります。もう復帰後のことに思いをめぐらせているくろやぎさんは、まさに本屋職人です。看護・医書は、分類がシステマティックな分、棚に差す場所を間違えると、専門職のお客さまからは「なんでここに?この書店の棚担当者はわかってないな」ということになります。しろやぎも以前、自身の入院体験から、甲状腺疾患の外科手術が耳鼻咽喉科に属することを知りました。親の入院から、理学・作業・言語療法の線引きを知り、脳疾患の棚に、摂食嚥下のリハビリの本を揃えたのも、経験から得た知識でした。親の寛解が見えはじめた頃は「この体験を絶対仕事で生かしてやる」と、転んでもタダでは起きない妙な気概がありました。しかし、まだまだお客さまからみると、とんちんかんな棚差しをしているかもしれません。『難病事典』(学研メディカル秀潤社)の本を、しろやぎは指定難病という言葉にあるような、治癒症例の少ない、限られた疾患というイメージでとらえていたのですが、出版社に伺うと、糖尿病や透析などの、長く治療期間がかかり、完治が難しい病気のこともあてはまるということでした。だいぶ思い違いをしていたのです。近頃は、ボウズ(スリップの頭)や裏表紙に、「小児看護」「消化器看護」などといった棚差しプレートレベルの、小ジャンル分類を記載してくれる出版社が増えました。それらを参考にしつつ、自分の思っていた分類と違っていたならば、知識を軌道修正する作業を課したいと思います。流れ作業にならずに、立ち止まって考えることは、本屋の仕事ではとても大切なことではないかと思います。
 くろやぎさんとベビーちゃんに選んだ『わたしのろばベンジャミン』(こぐま社)を気に入っていただけて、とてもうれしいです。動物を愛するくろやぎさんに、まず思い浮かんだ絵本です。ここだけの話ですが、自店には置いていなかったので、よそのお店で求めました。1994年発行で厚生省中央児童福祉審議会推薦というお墨付きもあり、ロングセラーと言ってよい絵本だと思うのですが、残念ながら売れ行きの良い本ではありません。本屋に置いていないのを責めることはできないのですが、もし小さな本屋さんでこの絵本を見つけたら、しろやぎならこの本屋さんをひいきにすると思います。趣向も、選書も、店の方針もそれぞれで、1冊の本で店の「良・悪」を判断することはできませんが、その積み重ねが、本屋の客層、方向性を決めていくと思います。
 『わたしのろばベンジャミン』を出版している、こぐま社には思い出があります。児童書担当になりたての頃、お客さまから絵本の対象年齢や年齢に合ったおすすめ絵本を何度も尋ねられました。絵本に「じぶんでよむのは○歳くらいから」「よんでもらうのは○歳くらいから」と書いてあるものは、自信を持ってご紹介できましたが、とても人気のある『しろくまちゃんのほっとけーき』には、対象年齢は明記されていませんでした。そこで営業の方に伺ったのです。答えは思いがけないものでした。「『こぐまちゃん』シリーズはお話によって対象年齢が違います。0~1歳の赤ちゃんから読んでもらえるものもあるけれど、『しろくまちゃんとほっとけーき』はお話が割に長く、しっかりしているので、早過ぎるということはないけれども、理解してもらえるのは2歳過ぎだと思う」という主旨のお答えでした。驚きました。赤ちゃん絵本と認識していた「こぐまちゃん」シリーズで、その中でも一番人気の「ほっとけーき」が、赤ちゃん絵本と呼ぶには高度であったこと。また、出版社の方ご自身が「○歳から読めます」と断定的に話されないことにも驚きました。こぐま社の絵本は、現在も本自体には対象年齢の表記がありません(ホームページには参考年齢が書いてありました)。対象年齢やジャンル分けをあえて書かない姿勢、その思いも受け取らなくてはいけないと感じたのです。「ほっとーけーき」は、わたしも幼いころ、長期間にわたって読んでいた記憶がかすかに残っています。「お気に入りの絵本なら年齢は気にしなくてよい」、そんなご案内も担当者としてできたらいいなと思いました。「ほっとけーき」も、赤ちゃん絵本コーナーよりは、通常の絵本コーナーに面陳していた思い出があります。
 重要な気づきを与えてくださった、こぐま社の営業の方も、この年度末で退職されました。店を異動し、担当ジャンルも変わっても、訪問いただいたときは声をかけていただき、毎年年賀状をいただきました。18年にわたる細く長いお付き合いは、これからもしろやぎの宝物になると思います。

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 2月には、個人的にも大好きな「ちいさなうさこちゃん」の作者、ディック・ブルーナさんが亡くなられました。『うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん』(福音館書店)では、絵本でおばあちゃんの死を描き、『うさこちゃんときゃらめる』(福音館書店)では、うさこちゃんがお店のキャラメルをこっそりポケットに、万引き!という衝撃的な内容の絵本も出版されました。大人になってから、かわいい、楽しいお話だけでないうさこちゃんを知ることができたのも、本屋に勤めていたからだと思います。「うさこちゃん」シリーズも赤ちゃん絵本に分類してしまいがちですが、こんなお話ですと、小学生にも読んでほしい内容です。生まれてきた以上は考えなければならない「死」を、絵本を読むことで理解したり、本当のことを見抜いたり、登場人物の立場で考える必要に迫られたり。そして少し高い壁を乗り越えたとき、誰かと苦楽を共にするような、心の豊かさが開けてくるように思うのです。
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 本屋大賞のこと、2日間だけの「海の本屋」復活スペシャルのこと、刊行された『書店員の仕事』(新泉社)のこと、まだまだお話ししたいことはあるのですが、今回はこのへんで。でも本屋大賞のことだけは、次のお便りでは遅くなりそうなのでやっぱりもうひとつ。恩田陸さん『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)が直木賞とW受賞になりましたね。「打倒、直木賞」を目指していた本屋大賞なのに、それはどうなの?というご意見もごもっともなのですが、何より『本屋大賞2017』(本の雑誌社)の受賞コメントでも、恩田さんがとても喜んでくださっていること、そもそも直木賞に権威があるのは当然で、書き手が選ぶ直木賞と読み手が選ぶ本屋大賞が、数ある物語のなかで一致をみたというのが奇跡のようだとしろやぎは思います。恩田さんの新聞紙上での「盆と正月が一緒に来たような感じ」というコメントが、庶民的で思わず笑ってしまったのですが、本屋大賞を直木賞と対等に思ってくださる表現に、とても感激しました。書き手も、読み手も、売り手も、本は「盆と正月」ほどの幸せをみんなに運んでくれる力を持っていると、しろやぎも恩田さんの言葉を信じています。そして、昨年の『羊と鋼の森』(文藝春秋)に続き、また音楽(それもピアノ!)と小説の親和性を感じる連続受賞、そんなことにもくらくらしているしろやぎなのでした。いちばんの「読み手」であるお客さまも、「W受賞なら絶対読まないとね」と思ってくださるように巻きこんでいかないといけないですね。
 それでは、今度こそこのへんで。くろやぎベビーちゃんにもどうぞよろしくお伝えくださいね。

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阿倍野のしろやぎより


36通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2017. 3

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阿倍野のしろやぎ先輩へ


  暑さ寒さも彼岸まで。ようやく日中に小春日和らしき穏やかなぬくもりを感じられるようになってきた三月下旬。しろやぎ先輩、先日は出産お祝いに素敵な贈り物を送って下さりありがとうございました!
 くろやぎの出産予定日は三月下旬だったのでこのお便りも中旬くらいに用意して…と思っていた矢先、胎盤が剥離しかかっているという予想外の出来事のため去る三月五日緊急帝王切開手術になりました。更に生まれてきた娘が1964gという低体重だったため、約二週間の入院生活を経て、先日ようやくわが家へ親子共々帰還、新生児のお世話の日々が始まりました。束の間訪れる静寂の時間にこのお便りを綴っているところです。
 まずは入院中のエピソードから。帝王切開の麻酔が切れたあと訪れたのは術後の痛みと子宮復古(子宮が元の大きさに戻ろうとする収縮運動)の激痛というダブルパンチ。まったくベッドから動くことができず座薬の痛み止めを入れてもらうことにもなりました。座薬を誰かに入れてもらうなんて幼い頃以来でした…。二日目は自力でトイレへ行けるようになる練習でしたが、痛みでお腹に力を入れることすら困難でした。笑うこと、食事時にむせることすらこんなにツライとは。NICUの保育器に入っていた娘には車椅子で会いに行きました。三日目からはまだ直接授乳できない娘へ届けるための搾乳がスタート。雀の涙ほどの量しか出ない母乳を看護師さんの激痛マッサージで搾り取りました。それから退院までの間も直接授乳や沐浴の方法など看護師さんをはじめ助産師、保育士の方からサポートして頂きながら感じたのは、産科、と一言で言っても単に出産するところなのではなく、帝王切開術後の早期離床サポートやこうした退院後生活のための母子指導など様々な仕事があるのだということです。考えてみたら当たり前のことなのかもしれませんが、入院するまで産科と私の接点といえば担当していた看護書棚のみであったので。今まではタイトルや版元のアドバイスから売り場棚のどこへ配置するか推察して産科、NICU関連書を差していくのみでしたが、入院経験からより具体的に現場の方々を想像して販売できるようになれた気がします。復職したらこの体験も活かしたいと思いました。
 そしてまだまだ小さい娘との新しい生活について書かせてください。今でもドタバタですが私も娘も少しずつ新しい暮らしに慣れてきました。けれど実際にやってみて、世のお母さん方の大変さをこれでもかと実感しています。二、三時間おきに起床→おむつ交換→手洗い→授乳→哺乳瓶洗浄→よし少し横になろうと思ったら泣いて呼ばれる→おむつ交換→よしこれでOK!とおむつ片づけた瞬間新しいおむつの中で鳴り出すプリプリという音…。おむつを開いておしりを拭こうね~と近づくや否やおしりの噴射口から追加のプリプリ~!わが子によって母性を鍛えられていくというのか、子供との非言語コミュニケーションというのは、仕事とはまた別の感覚を磨いてゆく感じです。寝不足と産後のホルモンバランスの変化からちょっと心が弱くなっているくろやぎを支えてくれたのは『大丈夫やで』(産業編集センター)という六十年以上助産師を続けている坂本フジヱさんのエッセイでした。かつて倉敷の週間ベストにもよく載ってよく売れた実用書です。九十歳を超えて現役のおばあちゃん先生の言葉はシンプルで、何の抵抗もなくすっと心に落ち着くのです。「子育ては起こったことに対処するのが基本。先回りして心配しすぎないことやね。」という言葉に毎日のように救われています。そして心にゆとりが生まれると赤ちゃんの原始反射のしぐさの数々すら楽しめるようになります。大きな音に驚いて両手をバーンと前に開くしぐさ〝モロー反射″はさながらベテラン指揮者のようであるし、唇に触れたものの吸い付こうとする〝吸啜反射″の動きは『もののけ姫』後半で山犬モロが首だけになっても動くシーンを彷彿とさせます。どんな状況もこれから喜びをもって受け止めていけたら、と思います。
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 そうそう、しろやぎ先輩に頂いた絵本たちの中の一冊『わたしのろばベンジャミン』(こぐま社)を娘より一足先に読みました!なんと素敵な写真絵本なんだろう!!主人公の少女スージーが子ロバのベンをぎゅっと抱きしめている表紙からすでに私は虜になってしまいました。幼い頃の読書の記憶は一生ものだと思っています。特に印象的なワンシーンと共に大人になっても色鮮やかに脳裏に刻まれています。私の幼少期の絵本のなかの大親友は『はてしない物語』に登場する馬のアルタクスと『エルマーのぼうけん』のりゅうの子でした。憂いの沼につかまって沈んでしまうアルタクスを助けられないアトレーユの深い悲しみは私の悲しみでした。娘もきっとこの絵本で迷子になってしまったスージーと一緒に途方にくれるでしょう。もう少し大きくなったら、何度も何度も一緒にこの絵本を読んであげたいと思います。そして何度でも絵本の世界に二人で入っていけたらと思います。
 春も桜もすぐそこまで来ていますね、ではまた!


倉敷のくろやぎより

35通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2017. 2


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倉敷のくろやぎさんへ


倉敷のくろやぎさんへ

 二月。寒さの底が見えない日が続いています。くろやぎさんが産休の日を迎えるまでを、いつも以上にパワフルに仕事をこなし、留守中の引き継ぎに注力されていたことが、まるで隣で働いているような思いで伝わってきていました。これからしばらくは、ゆったりお過ごしくださいね。しろやぎの心からの願いです。
 前回のくろやぎさんのお手紙もさもありなん、何だかいつもより面白さがパワーアップしていましたよ。倉敷店の一等地フェア台は、棚担当者みんなが狙っている場所でしたね。隙あらば、おすすめ本を並べたい。じわじわ侵攻して領土を広げる戦国時代の合戦のようでした。でもそこにはいつも熱意とともに、笑いもありました。
 しろやぎが倉敷にいた時、何の本だったか忘れてしまいましたが、どうしても一等地に置きたい本があったのです。ですので、二面陳列になっている本を一面にして、そっと隣に置いてみる。二面のものを一面にすると当然積みかさが高くなり、見栄えが悪くなります。横から見ると高いビルに挟まれた、さながら『ちいさいおうち』(バージニア・リー・バートンの絵本)の状態です。店長には「海溝か!」と絶妙なつっこみをいただきました。一点組み込むには、一等地を諦めなければならない本も出てきます。その見極めが難しいのですよね。つっこみながらも、提案した本を受け入れて、何も言わずに美しい並びに直している店長の技を盗みたい、そのとき強くそう思いました。一定のお客さまの反応があると、ベストセラー並みに反応があるものより、むしろ嬉しくなります。同僚や上司、そしてもちろんお客さまと「本」のコミュニケーションがとれている店だけが、これからは残っていくような気がします。
 くろやぎさんたち倉敷三人衆のゾンビ愛で思いついたのが、羽田圭介さんの『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』(講談社)です。芥川賞を受賞された『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋)後初めての単行本で、さすが勝負作の気合いが入っているなあと読んだのですが、実は受賞前に八割方できていたという経緯を、最新号の「文学界」3月号で知り、ちょっと驚いているのですが、とにかく熱量を感じさせる物語でした。
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 物語でゾンビが出てきても、みんな普通に暮らしているのです。そしてグロテスクでタブーなことも、息をするようにひょうひょうと書いていってしまう純文学的な側面。ブラックな(失礼?)文壇界を思い起こさせる諧謔的なエンタメ性もあって、ゾンビ初心者のしろやぎもおののきつつも、時に笑いながら読むことができました。
羽田さんは『成功者K』(河出書房新社)という新刊が3月に発売になりますが、こちらが本当の意味での受賞第一作目になるようです。文藝賞を受賞されてデビューした羽田さん。出版社営業女子は「うちの作家だと思っています!」と力強くおっしゃっていました。そういう会社風土も素敵ですね。心から作家を応援し、読書も仕事としてとらえていない人と会うと、ほっとしてしまいます。
年明けには恒例の、「看護書販売を考える会」(看販会)の研修会・謝恩会に行ってきました。研修会のグループワークがとっても面白かったのです。お題は「看販会新分類を活用したオリジナルな棚作り」。お客さまが探しやすい・書店の棚管理がやりやすくなる新分類を、看販会でも折々のトピックや医療の進歩に合わせて構築されてきましたが、基本的な棚の流れはふまえつつ、他社さまの看護書担当の方と知恵を出し合って、理想の看護書棚を考えて代表者がプレゼンするという内容です。
 4班に分かれて各班7~8名で意見をまとめます。小項目(棚の小見出しくらいの分類)が書かれたマグネットをA4判くらいのプレートに貼っていきます。各班により立地条件、例えば駅近であるとか郊外SC内であるとか、周辺医療施設の様子も設定されています。班メンバーの構成も、ベテラン・新人がうまく混合されていて、書店もばらばらです。でも看護書に毎日触れている担当者であることは共通、初めはためらいや遠慮がありましたが、次第に議論が活発になってきました。現場ではできないことも、この研修会会場の架空の本屋でなら不正解はありません。オリジナルや遊びも取り入れられるのです。それでも看護書担当の性(さが)なのか、「心電図、循環は一段では足りないよ」とか「がんも本が多いですよね」とか「このジャンルはあんまりいらないし、下段でいいのでは」とボリュームには厳密です。みなさんとてもまじめなので、こういった何気ないやりとりに日頃の苦労が垣間見えます。
 班の討議を見回る出版社さまの、「わが社の治療薬本が出たばかりですよ。一番良い場所空けといてくださいよ」との楽しい茶々に、「接待棚になっちゃいますよ」とかわす会話も聞こえます。みんなで寄って考えるってなんて楽しいんでしょうか!
 しろやぎの班では、一番目線が集まるゴールデンラインをすべて企画棚にするというレイアウトを発表しました。ここに、各社新刊を置く、ロングセラーを売り伸ばす、あるいはテーマ別フェアや雑誌のバックナンバーフェアで、横一段全てをぶち抜いて展開するのも、想像するだけで爽快です。現実には難しいことを敢えて提案して、看護書の棚に新しい風を吹かせてみたい、そんな思いを込めたように思います。
 代表のプレゼン者は、班の中でも経験の浅いかたにしていただきました。看販会側からつっこみが入ります。
看「国家試験本は置かないの?」、班「SC内の立地と季節商品ですので、今回の棚には入れませんでした」、看「学生さんは駅前の本屋で買ってということですね(笑)」。
看「ミニ本は置かないの?」、班「ミニ本は平台で展開しようかなと(笑)」、、、。
苦肉の策のやりとりの中にも、笑いと愛にあふれる指摘が生まれます。どの班もそれぞれに考え抜いた案でしたが、アンケートの集計結果、わが班が一番みなさんの賛同を得られたと発表されました。とっても嬉しかったです。現場なら、齟齬がでてきそうなこと、もっと細部まで悩み抜かなければならないこともあるのですが、書店を越えて担当者と現場レベルの看護書の話ができたことは、本当によい収穫になりました。書店員同士の親交も今まで以上に温まったように思います。毎年色々な研修会内容を考えてくださる看販会さまにも、本当に感謝しています。
 そして帰り道に思ったこと。看販会のキャラクターは「白ヤギ」でしたね、“メェ~!!”(笑)。他人(やぎ?)じゃなかったわ、とひとりにやにやしていた、しろやぎでした。
 おちがついたところでこのへんで。くろやぎさんも他人(やぎ)じゃないですよ。くれぐれもご自愛くださいね。ではではまた。 


阿倍野のしろやぎより

34通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2017. 1

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阿倍野のしろやぎ先輩へ


 新年、と言うにはもう遅すぎるかもしれませんが、しろやぎ先輩、あけましておめでとうございます。本年良い1年にしていきたいですね。
 2月上旬よりいよいよ産休です。未知との遭遇と、長年働いてきた職場をしばし離れることの不安、との狭間で少しそわそわしています。お世話になった版元営業の方々に先日は挨拶を送りました。多くの方からあたたかいエールのお電話を頂戴し、胸が熱くなりました。七ツ森書館Yさんからは新年早々旅をしたというインド・ラダックの美しい写真とともにとても心に残るフレーズを頂きました。―「自分が生まれ変わることを恐れず、新しい世界を楽しみたい」―。ご自身への新しい年に向けた言葉とのことでしたが、折しも今の私自身の指針になるような言葉だと感じました。
 産休を前に実は上司から一つ年末頃より課題を提示されていました。新しいメンバーで構成される実用書チームをチームとして機能するよう育成することです。店舗全体の売れ筋商品もこれまで把握してきたつもりであったし、どのジャンルでどんなフェアを行っているか理解していた気でいましたが、深く細部まで実用書に携わるのは初めてでした。ファミリー層に強いモール内にある倉敷店では児童書と並んで柱ジャンルの実用書。専門書とはまた異なる目線が必要であり、やってみてとても勉強になりました。フェアも季節季節のイベント行事に強く影響を受けるジャンルなので非常に目まぐるしいです。新メンバーはうち2名が書店業務初、もう1名が棚担当初というとてもフレッシュな面々。やる気と吸収力が尋常でなく頼もしいです。まずは実用云々の前に棚を日々管理することとは、であるとか、業務を限られた時間内に完了させる手順…などから始まりました。不明点、疑問点は全員で考え意見をシェアし解決する。とにかくコミュニケーションをとりました。そうして2か月余り。チーム実用は単価の高い棚差し本が1冊売れたことから客層を考えたり、主婦目線で売れる!と踏んだ商品を積極的に仕掛けたりと驚くべき進化を遂げています。チームで強い売り場を作り上げること、そこから生まれた反応を皆で喜べること。今回チーム実用の手助けができたことで再確認した書店員の醍醐味の一つでした。
 1月は秋から長く手帳で覆われていた一等地フェア台が徐々に売りたい!商品たちへと表情を変えていく時期でもあります。しろやぎ先輩が先月お便りで取り上げていた星野源さんコーナーもあります。文庫だけでなく単行本『蘇る変態』(マガジンハウス)もすごく売れていますね。年末に亡くなられたくろやぎ母校の理事長であった渡辺和子シスターの著書『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)も展開しています。追悼コーナーを作るのは個人的にあまり積極的になれないのですが、新たな読者が素晴らしい文章を手に取る一つのきっかけになれば良いな、と思っています。こんな感じで次々とフェア台が様々なジャンル担当たちの手によって新鮮な形になってゆく1月。同じ一等地フェア台で一時、和子シスターの著作と、ドラクエの名言集『しんでしまうとは なにごとだ』(スクウェア・エニックス)が偶然にも隣り合わせに陳列されてしまうというハプニングもありました。上司が気づいて位置を修正していました…。

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 先日発表された芥川賞・直木賞受賞作もどっしりと並べました。しろやぎ先輩の的中率本当にすごいです。前回絶賛されていた『蜜蜂と遠雷』が見事受賞しましたね!くろやぎはクラシック音楽に造詣が深くないのですがおすすめの音楽本を1冊この機会に紹介させてください。しろやぎ先輩はすでにご存知かもしれません。『クラシック音楽のチカラ』(青土社)という本です。著者のギャレス・マローンはイギリスのドキュメンタリー番組The Choirシリーズでとても人気のある合唱指揮者なのですが、TVで見せるギャレス先生の誠実な人柄がそのまま滲み出ているクラシック音楽入門書になっていて、ビギナーなくろやぎでも手に取りやすいのです。

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 それから今月発売され思わぬ反応が売り場であったのが『ゾンビ論』(洋泉社)です。発売後1週間も経たずしてババッと動きがありました。倉敷店にはゾンビが好きなスタッフ3人衆がいて(私と上司と芸術書担当さん)、この本に動きがあった時、ものすごくたくさん売れるものではないけれど倉敷には確実にこうした映画評論を購入下さる一定数のお客様がずっと足を運んでくれているよね、どのジャンルでもそうだけれど大切にしたいですよね、と話しました。そんな『ゾンビ論』に次のような言及があります。

 少しでも『ゾンビ』に思い入れのある人であれば、自分なりのゾンビ黙示録サバイバル・プランを検討したことがあるのではないだろうか。もっと重症者になると折にふれて、今まさにゾンビが出現した場面の対策を考えているはず。(『ゾンビ論』より)

 この文章について上司と「勿論!考えてますよね!」と先日大いに共感しあったのですが、意見の相違もありました。私が最後まで生き残る側の者としてサバイバル・プランを想定しているのに対し、上司は途中で自分の家族を守るなどして絶命し、華々しく散る、と考えている点でした。……なんだか今回はおかしな締め括り。すみません。次回からは産休・育休お便りになってしまいますが、しろやぎ先輩、これからもどうぞよろしくお願いいたします!


倉敷のくろやぎより

33通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2016. 12


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倉敷のくろやぎさんへ


 十二月。今年は秋の過ごしやすい気候がなく、「背中にタオル」から一気に氷の中に放り込まれたような気分です。でも実は今でも朝の荷開けは「背中にタオル」継続中です。発汗と極寒のあいだで風邪をひかないようにしなければいけませんね。
 前回の「しろやぎ、深夜食堂に駆け込む」日記を読んでいただき、「元気ないの?大丈夫?」と励ましてくださった版元営業の方。くろやぎさん、私たちの往復書簡、浸透していますよ。これがSNSの世界かと、アナログのしろやぎも実感でき、背筋が伸びる思いです。そんな元気をいただいて、オリジナルフェアとまではいきませんが、多くの提案書籍から選書した、「いま、人権を考える 未来はすべて人の中にある」フェアを行いました。熊本県で開催予定であった、全国人権・同和教育研究大会が、震災の影響で急きょ大阪開催となりました。しかし大きな会場が確保できず、10か所程度の分散開催となりました。通常は1か所の会場で行っていた現地の書籍の販売も、各々の会場の開催により行うことができず、その分書店の店頭で小スペースでもフェアのできる書店は手を挙げ、フェア開催書店やフェア書目を載せたリーフレットを、会場で配布していただけることになりました。しろやぎ店でも棚三段のみの展開でしたが、少しでも研究会の活性化になればと思い参加しました。多方面からのアプローチがある、人権関連の本の選書の相談にのってくださった営業の方、自社の本は置いておいて、他社の必須本も惜しみなく教えていただきました。少部数の注文にも関わらず、店名入りのリーフレットを作成し、各店のフェア開催日程まで細かく載せてくださった営業の方。フェアに間に合うように看板を作成、送付いただき、開催後わざわざ来店いただいてフェアを見に来てくださった方。何か通常の営業の仕事以上の協力や版元同士の団結を感じました。フェア自体は手堅く、多く売れるものではありませんでしたが、「このフェアいつまでやっているのか、お客さまがお尋ねです」と取り次いでくれたスタッフからの声もありました。フェアとは規模でも、ジャンルでもなく、担当として立ち止まって考えて、本の見せ方を考える機会なのだなと思いました。オリジナルフェアであっても、版元が書目を決めたフェアであっても、それは考え方によっては商品を並べる行為をマンネリ化させない防御装置になるのかもしれません。

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 くろやぎさんも注目している『翻訳できない世界のことば』(創元社)、色んな可能性を感じさせる本です。他の国のことばではそのニュアンスをうまく表現できない「翻訳できないことば」たち。日本語では「コモレビ」「ボケット」「ワビサビ」「ツンドク」ということばが取り上げられています。私は日本語しか話せませんが、確かに意味を正確に伝えることが難しいことばです。でもこの四つのことばだけでも、素敵なことばばかりだなと思います。「あいまいの美学」は日本人の得意とするところでもありますが、それを文章や話しことばで用いることは、誤解を恐れない強さや自分の使うことばを信じる力、ことばの援軍を得たような気持ちになるのです。
 古来中国から漢字を輸入し、その漢字の読みに和語を付けたことから、日本語は始まったとされています。漢字に訓読みをつけることは、まさしく翻訳の元祖だと思いますが、その表現に苦慮して、例えば『源氏物語』では異なる形容詞をかさねて用いられています。ああ、懐かしい。学生時代に勉強したなあ。現代のことばのほんの一部ですが、世界中の素敵なことばを日本語に受容する過程が見える『翻訳できない世界のことば』は、そんなことばの歴史の深みも想起させられるような手元に置きたい本です。くろやぎさん店ではリボンをかけて推しているとのことでしたが、雑貨店やセレクトショップでもディスプレイしてあるのを何度も見かけます。本屋にとっては強敵なライバルなのですが、この本を好きな店の人の存在がうれしくもあります。直接本について、知らない人と話をするのは気恥ずかしいけれど、そういった見えない好きのつながりが、本の未来を少しだけ明るくしてくれるように思うのです。
51rdLsm5koL._SX344_BO1,204,203,200_.jpg517RN8sMcYL.jpg 同じ著者・訳者・装丁の第二弾として『翻訳できない世界のことわざ』(創元社)という本も発売されています。大人気ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」もハンガリーのことわざだそうですね。このご本に、ハンガリーのことわざは「彼は、めんどりがアルファベットを知っている程度にはそれを知っている」が載っていました。「ある人がその話題についてまったく知識がないということを、少しだけ控え目に言った表現」だそうです。「逃げるは恥だが・・・」にも通用する何かしら、追い込まれた時に次の道を探すような、がんばりすぎない前向きな表現です。ハンガリーの国民性のようなものを垣間見た思いです。ドラマ出演の星野源さんにもとても注目が集まっていて、『働く男』『そして生活はつづく』(文春文庫)など、ご本も絶賛展開中です。しろやぎもドラマを楽しみにしている一人なのですが、大変遅ればせながら星野源さんの魅力がようやくわかってきたように思います。俳優も歌手も、そしてエッセイも書くと多くの才能を持っていらっしゃいますが、ことばを使う文筆の表現と、ことばとメロディで気持ちを伝える音楽の表現と、ことばにできないような気持ちを表情や身体表現で伝える芝居の表現がすべて自然体で体現できる方なのだろうなと思います。病気を経験されたことで、より感受性が豊かになられたのかもしれません。笑顔にも何かとても力があります。星野源さんを観ていると、ことばや音楽、芝居のような芸術を味方につけている人が素晴らしく魅力的に思えるのです。
 しろやぎも、ことばを駆使する本を仕事として関われる有難みを胸に、大好きな音楽にも力を借りて、少しでも周囲や自分自身の生活が楽しくなるような生き方をしていきたいと思います。 
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 最後に、今読んでいるおすすめの本を紹介します。恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)です。芳ケ江国際ピアノコンクールに挑戦するピアニストと、周囲の色々な立場の人たちの物語です。音楽関係の小説は読みやすいものも、重厚なものも多く出ていますが、この物語は何よりもノンフィクションのようにコンクールの課題曲から出演者まですべてがリアルに描かれています。綿密な取材に裏付けされたことがわかるのは、恩田さんの『チョコレートコスモス』(角川文庫)で演劇の熱を描かれたときにも感じたのですが、音楽を愛する読者にとっても、音楽を物語の題材として使う以上のリスペクトを感じ、その思いを著者と共有できるような気持ちになります。そして、本自体のたたずまいもとても美しいのです。表紙の装丁ももちろんですが、500ページ超の厚い本に二段組みの本の存在感が、素人みたいな感想で恐縮ですが、「紙の本っていいなあ」としみじみ思い入ります。 
 くろやぎさんへのお手紙が、今年は音楽のことばかり書いていたように思います。本や仕事からの逃亡、だったのかもしれません。でもね、星野源さんの活躍を観たり、恩田陸さんの小説を読んだり、何百年も聴き継がれているクラシック音楽に改めて耳を傾けると、全力で表現されたものには、感動するのだなと少し腑に落ちたように思うのです。売上や大人気という結果よりも、人がどう考え、自分のことや色んなものを表現するのか。そんなことを見失わないようにしたいと思います。
 くろやぎさん、今年もお世話になりました。離れているけれどどれだけ力をもらったかしれません。クリスマス、年末年始、お正月、楽しくお過ごしくださいね。しろやぎも無事に迎えられることを喜び、楽しく過ごしますよ。それでは、また。


阿倍野のしろやぎより

32通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2016. 11

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阿倍野のしろやぎ先輩へ


 十一月に突入。通勤コースの銀杏並木は紅葉ピークを迎え、足元は黄金色です。八時過ぎの自転車通勤は寒さ厳しいですが冬の足音が聞こえるこの季節の景色に元気づけられます。
 前回のお便りでご報告した「関係性に萌える小説」フェア。オリジナルフェアを開催できたという充実感と喜びは大きかったですが売上、という意味では満足のいくものではありませんでした。やはりなかなか難しいものだな…とフェア撤収時は毎回反省です。でも先月しろやぎ先輩がお便りのなかで話されていた「プライベートと仕事は別物と考えるより、嬉しい気づきを取り入れたり、仕事の大変さをユーモアに代えること」も時にはあっても良いのでは、との言葉に励まされました。やっぱり自らも楽しんで売場を作ることを続けたい。
 書店の大先輩方の訃報のお話にも強く心を揺さぶられました。半世紀以上に渡って書店で働くこと…書店歴が十年にも満たないくろやぎは足元にも及びませんし、想像も追いつきません。しかしたとえば五年後の働く自分の姿、十年先の職場の在り方、風景…。近頃そういったことをよく想像します。しろやぎ先輩が今できることをしよう、と言ってくれていたように、日々コツコツと書店員であることを続けていった先にしか見えてこないものもあると信じているので、ある程度の楽観さを携えて働く形が変わっても「書店員でい続け」ていたいと思っています。
 売場現状エピソードも一つ。ハロウィーンが終わると倉敷店の入っているモール全体が瞬く間にクリスマスムード一色に早変わりしました。昨日までかぼちゃにコウモリの飾りつけでいっぱいだったテナント、通路が翌朝出社してみると赤に緑にツリーの世界になっていたのにはちょっと引きました。まだクリスマスまで一ヶ月半以上あるのに…と。しかし当店でも徐々に来客数が増え、ラッピングのご依頼も増加してきました。師走の気配に売るぞ~!と気合も入り、楽しくなります。絵本を筆頭に様々なクリスマス商戦アイテムが並ぶ中、くろやぎがこの冬贈り物用に推したいのは創元社さんの『翻訳できない世界のことば』という大人向けの絵本タッチの作品です。原題は『LOST IN TRANSLATION』。日本語の「わびさび」のようにその文化特有の感性やニュアンスが含まれた、その言葉以外ではどうにも言い表せない表現、というものが世界各地にも存在します。それをこの著者エラ・フランシス・サンダースさんは美しいイラストと物語のような解説文で表現しています。ページをめくると海外を旅しているかのような感覚に陥ります。自分の母語に無理矢理置き換えることをせず、その文化で話されている言葉のまま受け入れる。異文化コミュニケーションのとても大切な部分を教えてくれている本だなと思いました。赤いリボンを直接本にかけて、絶賛ディスプレイ中です。


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 またこの十一月、くろやぎが個人的に発売をとても楽しみにしていた本の紹介をしたいと思います。数多く美術書を刊行している赤々舎さんから出たシャルロット・デュマというオランダ人写真家の作品集『Stay』です。日本全国に現存する8種の日本在来馬のポートレイトであり、馬たちとその土地の人々や歴史との関わり合いを作品を通して見つめています。デュマの撮った馬たちの瞳をじっと見つめていると、行ったことのない与那国や御崎の風景に自分も身を置いて、自分自身が被写体である馬となるような不思議な感覚に包まれます。写真におさまっている馬たちの表情は穏やかで、全くカメラを警戒していません。馬たちがデュマに心を開いていることが伝わってきます。巻末のインタビューでのデュマの言葉―「動物に接することで私たちは共感という、他者との関係において重要な感情を学びます。私は動物に接し、そしてミステリアスな「他者」である彼らについて知ること、そしてそれを達成するために自らの本能や直感を信じることは、私にとって楽しみにひとつです。」-が強く胸に残ります。
 いよいよ今年も残すところあとひと月ですね。アクセル全開にするところはして、でも時には休息も入れつつ、ベストコンディションで新しい年を迎えられたら良いですね。
そうそう、来年の秋に倉敷と阿倍野コラボフェアとして「しろやぎ・くろやぎ深夜食堂」と題した食フェアなんて実現できたら嬉しいなぁ、と思っていたりするくろやぎです。気が早いですかね。ではでは。


倉敷のくろやぎより

31通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2016. 10


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倉敷のくろやぎさんへ


十一月。衣更えから一カ月が過ぎました。それでも朝の荷開けはまだ汗をかき、背中にタオル、綿麻パンツのスタイルを一年中続けてしまいそうなしろやぎです。
 夏休みの八ヶ岳のことを少し。一番の目的は八ヶ岳音楽堂に行きたかったことから、この旅行を計画しました。標高1500メートル、ピアニストのリヒテルや作曲家の武満徹をアドバイザーに1988年に完成したホールです。ピアニストの辻井伸行さんがこのホールで演奏されることを知り、八ヶ岳の澄んだ空気の中でぜひ辻井さんのクリアな音を聴きたいと思いました。コンサートの前に音楽堂の周りを散歩しました。そうそう、北村薫さんの『八月の六日間』(角川文庫)に触発されて、常備食にとミニようかんも持っていったのですよ。なだらかでとても過ごしやすい高原の散歩なのにと、自分でもおかしくて笑ってしまいました。しばらく歩いているとピアノの音がかすかに聞こえてくるのです。音楽堂に近付いていくと、今日聴く予定のコンサートの曲だとわかります。そこで確信しました。リハーサルの音が聞こえてきたのです。おそらく音楽堂の扉を開けて、山の空気を入れながら弾かれていたのでしょう。音楽家にとって公演前に聴かれることは本意ではなかったかも知れません。それでも森林の中で本番さながらの入魂のショパンやラヴェル、ドビュッシーの曲を次々と聴けたことは震えるような感動でした。愛読のコミック、一色まことさんの『ピアノの森』(小学館)をそのまま体験できたのです。もちろん本番の演奏もすばらしく、忘れられないコンサートになりました。

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辻井伸行さんというピアニストに、未だ「盲目の」と説明が付けられることがあります。わたしも当初、「見えないのにすごいな」と思っていたこともありましたが、今は「見えていないのに奇跡の音色を奏でる」と演奏を神格化することに違和感を覚えます。折しも、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました。村上春樹さんは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でボブ・ディランの曲を聴く場面を描き、伊坂幸太郎さんも『アヒルと鴨のコインロッカー』でボブ・ディランの曲を登場させています。しろやぎの中では、作家が敬愛する「ボブ・ディラン」というイメージのほうが強いのですが、その長年の人気から、「神様」と呼ばれることもあります。そのようなところが、辻井さんのとらわれかたと通じるところがあるように思うのです。当人は周囲の評価に流されず、自然体で音楽を愛し、自分の表現方法で聴衆に伝える、ただそれだけを考えていらっしゃるように思うのです。おそらく、春樹さんもそうなのでしょう。ノーベル賞候補者として騒がれることを「わりに迷惑」とかわしたり、伊坂さんも直木賞候補者として過剰な期待をかけられることは執筆活動に支障がでるとし、ノミネート辞退という形で表わされました。そんなふうに自分の思いをさらっと表わされる姿勢、月並みな表現ですが本当にかっこいいなと思います。自分の意志を貫く凄さを、生み出される音楽や文学とともに、その生き方にもとても魅かれることがあるのです。

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 くろやぎさんのオリジナルフェアも本屋での働きかたの意志が表れているようです。「関係性に萌える小説!」、なんだかタイトルだけでぞくぞくします。素敵ですね。書店員が楽しく仕事をすれば、お客さまにその喜びや遊びごころも伝わると信じています。少し前に、人文会の四六判フェアの出版社からのアンケートで、「最近印象深かったフェアはありますか?」という質問がありました。しろやぎはその問いに答えられず白紙のままにしました。まず、わたし自身がしばらくオリジナルフェアをしていないということに愕然とし、また出版社様提案のフェアにも面白いと思い浮かぶフェアがなかったからです。フェアをしても、売上という成果を出せないでいるためらいや、個人的なモチベーションの低下。こんな書店員がいる空間は居心地が良いはずがありません。大いに反省します。「深夜食堂」に駆け込みたい思いです。
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 小林薫さん主演のこのドラマの料理監修は飯島奈美さんなのですね。飯島さんの名前を有名にしたのは映画「かもめ食堂」だったと思います。しろやぎも「かもめ食堂」は映画と群ようこさんの原作『かもめ食堂』(幻冬舎文庫)に留まらず、DVDも買いました。飯島さんの著書『LIFE なんでもない日、おめでとうのごはん』を取り扱いたく、この本がきっかけで、東京糸井重里事務所との直取引も書店で始めたように思います。「ああ、飯島奈美さんフェアをしたいな」、くろやぎさんのお便りを読んでそんな思いがふくらみました。プライベートと仕事は別物と考えるより、嬉しい気づきを取り入れたり、仕事の大変さをユーモアに代えることは、公私混同も時には良いのではないかと思います。少し大げさですが、本屋はそれが許される場所でないと、本屋の存在する意味がなくなるのではないかとも思うのです。

 近頃、書店の大先輩方の訃報に接しました。大阪で戦後すぐから古本屋「青空書房」を70年間続けてこられた坂本健一さん。広島県の啓文社で働き、本屋大賞にも関わられ、『尾道坂道書店事件簿』(本の雑誌社)を上梓された児玉憲宗さん。石橋毅史氏『口笛を吹きながら本を売る』(晶文社)でこれからの本屋のありかたを熱く語られていた、岩波ブックセンター代表の柴田信さん。お会いしたことはありませんでしたが、紙面や書店員同士の会話から、勇気づけられる話題の中でお名前が挙がる方々でした。ただただ寂しく、ご冥福をお祈りするばかりです。

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 学生時代に学んだ『徒然草』の中に印象的な文章があります。
「人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」。(百五十五段)
 勉強した内容はほとんど忘れてしまいましたが、この文章だけは今でも心に残っています。しろやぎ、くろやぎさん世代が書店で働いているというこの時もすぐに過去のものになって、波がさらっていったあとには、本屋は残っていないかもしれません。感傷的にならずに、今できることをしようと思います。だから、くろやぎさんも無理をしない範囲で書店員でい続けてくださいね。秋の深まりを感じる中で少々弱気なしろやぎからのお願いです。
 自分のための「しろやぎ深夜食堂」を開店し、秋の夜長にポテトサラダを作ります。お酒も少々いいですか。大仕事を終えたくろやぎさんと乾杯できる日も、もちろん心待ちにしていますからね。では、またね。  


阿倍野のしろやぎより

30通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2016. 9

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阿倍野のしろやぎ先輩へ


ついこの間まで暑い暑いと綿麻パンツ大活躍だったのに突如秋が到来しましたね。イオン倉敷への通勤ルートも金木犀の香りで充ちている今日この頃です。しろやぎ先輩はこの夏八ヶ岳へ行かれたのでしたね。いかがでしたか。先日送って下さった八ヶ岳高原の風景、素敵でした。写真からも山の美味しい空気が漂ってくるようでした。
 くろやぎの今年の夏の嬉しい出来事といえば、7月末のNR出版会の皆さん来訪です。NR出版会さんといえばしろやぎ先輩も以前登場していた「書店員の仕事」という連載記事で有名な毎月発行の会報ですよね。くろやぎも昨年この憧れの連載に参加させて頂きましたが、その際原稿のやりとりでお世話になったNR出版事務局のTさんとこの度ようやくお会いすることができたのです。それまで電話でのやりとり、七ツ森書館Yさんからお聞きしたTさんエピソードから会ったこともないのになぜだかすごく惹かれる方でした。実際にお会いしてくろやぎの妄想(!?)通りというかいつも読んでいる「書店員の仕事」記事の欄外に書かれる真摯で誠実なコメントそのままの方でした。一緒に来て下さったNRの版元の皆さんも、書店現場の実情や現在の業界全体のことに真剣に向き合っておられることがお話をお聞きして深く伝わってきました。丁度この折、自分自身が新しい命を宿したことが判明し、これからの生き方、働き方をどうしてゆくべきか考えている時期でもありました。人文棚のこと、担当としての思いをお話しする流れでそんな自分のことを相談させて頂くと、皆さんから思いがけない返答をもらいました。「K書店の人文担当○○さんはこの前育休から復帰したよね?」「J書店の○○さんは産休中じゃなかったっけ。」などなど…。この春育休開けに復帰する予定であった同期が退職し、周囲にロールモデルがいない中、迷走気味であった視界が少し、開けた瞬間でした。近くに前例や見本を探すのはやめよう、自分に今出来ることをやれるまでやってみよう、と思えました。
 8月のしろやぎ先輩のお便りでも出版関係の方々との“単なる仕事”という枠組みを超えた繋がりやご縁をたくさん感じました。そこから頂く日常や日々の仕事への活力って並々ならぬものがあるなぁ、と改めて思った次第です。
 9月に行った倉敷店オリジナルフェアのエピソードを一つ。毎年読書の秋や食欲の秋などこのところフェアのテーマがマンネリ化してきていたので、今回は季節に関係のない、けれどフィクションのみで揃えよう、と『関係性に萌える小説!』と銘打ってフェアを行いました。登場人物たちの魅力的な関係性に惹かれる作品を集め、〈人外×人〉 〈バディもの〉〈チーム男子〉 〈男同士の絆〉 などのカテゴリーの分類しました。今回フェアを行ってみて特に人外の存在と人間との関係性を描いた作品が古典から現代に至るまで非常に多いことに改めて気付いたりもしました。(『人魚姫』『美女と野獣』にはじまり『モールス』(早川書房)や「十二国記シリーズ」(新潮社)まで)版元さんに提案頂くフェアも大切だけれど自分達で考えるフェアも交えて常に新選な売り場にし続ける楽しさを忘れないでいたい、と実感した出来事でした。
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 この夏からくろやぎは作家・川上未映子さんがエッセイ『きみは赤ちゃん』(文藝春秋)の中で「すわっすわ」と呼んでいたつわりというやつを体験したのですが、9月も終わりに差し掛かる頃ようやく落着いてきました。そんな時手に取ったのが『深夜食堂の料理帖』(小学館)です。映画『南極料理人』の作中料理を手がけたフードスタイリスト・飯島奈美さんによる料理本です。「すわっすわ」期に全く手につかなかった料理を作るという行為に飢えていたのか貪るようにこの本の料理を作っています。この料理帖に登場するレシピはレストランで出てくるような凝りに凝ったものは一つもなく、どこかホッとする家庭の味で溢れているのです。711hkzi1ENL.jpg飯島300974_615.jpg奈美さんの他の本もそうなのですが、料理がそんなに得意ではないくろやぎでも、レシピ通り作っていけばとにかくまともに出来上がります(笑)。中でもイチオシは「ポテトサラダ」。アツアツのじゃがいもを潰す時の隠し味にバターとお酢を少々入れるのですが、冷やして食べた時それがコクと何ともいえない爽やかさに繋がってとても美味しいんです。しろやぎ先輩も是非これ、試してみて下さい。ハンバーグなどのお供に♪秋なので食べ物ネタで締めてみました。それでは、また。


倉敷のくろやぎより

29通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2016. 8


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倉敷のくろやぎさんへ


くろやぎさん、残暑お見舞い申し上げます。お元気でいらっしゃいますか。しろやぎは夏生まれなので、汗かきだけど暑さには強いほうだと自負していました。けれども気温のせいか加齢のせいか、その自信がゆらぎつつあります。今夏のバーゲンでは、くろやぎさんの「綿麻パンツのすすめ」の影響で、涼しいズボンをたくさん買ってしまいました。快適に仕事し、じゃぶじゃぶと洗濯。お得な買い物となりますように。
 活動的な夏に相応しく、この夏は店を出て多くの出版関係の方々とお話しする機会がありました。以下、日記風に記していきます。
 6月某日
 新潮社営業部Mさんと会食。なぜしろやぎに声をかけてくださったかというと、Mさんの同僚で、北神戸店(しろやぎの前任地)の元営業Iさんが「関西に出張に行くなら、いつも細かく注文をくれるしろやぎさんと飲んできたら?」と進言下さったからとか。Iさんとはお電話でしかお話ししたことのない間柄なのに覚えていてくださることに感激。以前、雑誌『旅』(現在休刊。すてきな雑誌でした)や文芸誌などで編集の仕事もされていたMさんから、担当した作家のお話などを聞く。そして、奥田英朗さんが日本各地の港町を寄港して寄稿する(シャレです)、『港町食堂』に登場する「タロウ君」が、Mさんのことと知り驚愕。北神戸店勤務時、神戸の他書店さんと企画した新潮文庫の「Yondou?」フェアで、しろやぎが選んだ文庫でもあったのです。Iさんが作ってくださった機会に感謝し、Mさんと思わず固く握手をする。minatomachi.jpg
7月某日
PHP文芸文庫の畠山健二さん『本所おけら長屋』シリーズの売り伸ばし座談会に出席。7巻が9月に発売予定。現在累計20万部まできているシリーズを10巻完結に向けて100万部まで伸ばすために、出版社の編集・営業担当、各書店さんと施策を練る。「試し読みのマンガを作れば読者層が広がるのでは、、」という出版社側の提案に、「それは不要!」と書店側からの突っ込みが入ったり、落語も噺せる書店店主(亭号も持たれるプロ級)から、「そもそもお江戸では落語は人情、上方では落語は笑いで、全く違います」と指摘が入ったりと、忌譚のない意見が飛び交う。しろやぎの地元の書店、K書店の店主も出席されていて、懇親会で話が弾む。幼いころよく通っていた町の本屋さんと、今同じ立場で良い本をお客さまに届けることを考えられることは何と幸せなことかと感動。作者の畠山さんは「100万部と言わず50万部に下方修正しても、、」と控えめなご発言に、皆で「100万部の目標のままいきましょう!」と団結を新たにする。honjo_okera.jpg
7月某日
ピアニストの中村紘子さん逝去のニュースに深く沈んでいたとき、たまたま中央公論新社の営業Kさんが見えたので、中村さんのご著書『ピアニストという蛮族がいる』『チャイコフスキーコンクール』のお話をする。Kさんは、吉田修一『怒り上・下』の営業をしに来ているはずなのに、しろやぎの話に合わせ、過去に中村紘子さんとご主人の庄司薫さんに会われた時のことを話してくださる。家にあったLPレコードは中村紘子さんだったし、親に連れて行ってもらった人生初めてのコンサートも中村紘子さんだった者としては、とてもうらやましく、貴重なお話でした。悲しみも少し和らぐ。nakamurahiroko.jpg
8月某日
恒例の「明日本会」。神戸南京町の立ち飲み屋で、古書店主、書店員、元書店員、出版社、海文堂書店の元お客さまたちと飲み会。書店員仲間の退職報告に驚き、それでまた本に関わる仕事に就いたことを寿ぐ。二十数名が出席しているので、一言ずつ自己紹介。神戸市兵庫区で古書店を営まれるやまだ書店の店主のご挨拶が印象的。「65歳だし、売上も悪いしもう閉めようかという思いもある。でもこの会でみなさん売上が悪いといいながらも、何か明るい顔をしている。それを見ると明日もシャッター開けようかな、とも思う。」私も、明るい顔をしようと思う。
明日本会でもうひとつ。神戸新聞「本屋の日記」担当のデスクHさんと直木賞のお話。今回は湊かなえさんと原田マハさんの出身大学が関西と、関西方面ゆかりの方が重なったため、準備が大変だったとのこと。W受賞、単独受賞など、想定されるパターンの記事を前もって用意するそう。記者の目で「今回は受賞の可能性は低いかな」と推測しても、準備は同じようにしておかなければならないわけで、自由で大らかなHさんが「私もサラリーマンなので、、、」と仰ることばが妙に説得力がありました。

と、このようなことがありました。掘り下げたいお話もあるのですが、それはくろやぎさんとまたお会いしたときにとっておきます。本屋にいるだけでは聞けない話はもちろん、普段お会いする方との中にも、本屋の中では腹を割って聞けないお話がたくさんあり、とても嬉しい体験でした。店から、売り場から、離れたからこそわかることもあるのかも知れないですね。とても有能だと思っている書店員さんの退職は、やはり現状で満足できない書店の何かがあるのかも知れないし、異動や転勤は、また一から人間関係を構築しなければいけないという難しさもありますが、思わぬ人とのつながりを呼び起こしてくれることもあります。私は倉敷店のスタッフ間の公私のけじめが素晴らしいと思っています。売場ではきびきびと個々の職務に就いているけれど、何か困りごとや助けがほしいときは寄り添える。それは店長や中心となるスタッフの芯が通っているからだと思うのです。新しく加わったスタッフにとっては、その孤高さに慣れるまでは壁が高く感じるのだと思います。勝手な要望かもしれないですが、「このレベルまでは、技を盗んでついてきてほしい」という思いもあります。そういえば、くろやぎさんは入社したころ、レジ当番のシフトを前日に自宅で考えて用意していたでしょう?その段取り力に脱帽しましたよ。接客や棚担当の極意は、システム化・可視化することにより、利点も多く生まれると思います。その一方で、旧来のアナログさが人間的で面白いこともあると思うのです。書店業務でいうと、売上スリップの順番でまとめ買いのお客さまの選書傾向に強く共感したり、版元担当者に直接注文をした商品が、減数なく入荷したりすることでしょうか。くろやぎさんが書かれていた挨拶ひとつだって、人のこころを明るくします。私はくろやぎさんの存在だけで、女性の社員という同じ立場の人がいることに救われました。それは仕事が分担できる、楽になるという物質的なこと以上に、気持ちを前向きにしてくれます。今でもこのような往復書簡ができるような仲間ならなおさらです。離れていても、こちらが今抱えるややこしさや悩みまでも軽くしてくれるのです。家族より長い時間を同じ場所で過ごすかもしれない本屋の人間関係は、どこの職場よりも風通しの良さを求められているのではないでしょうか。
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くろやぎさんが感銘を受けた『星野道夫 風の行方を追って』(新潮社)をしろやぎも開きました。著者の湯川豊さんは、『旅をする木』(文春文庫)の担当編集者なのですね。しろやぎが以前のお手紙で少しだけ触れた『須賀敦子を読む』(集英社文庫)を著した方でもありました。何だか縁を感じます(自画自賛ですみません)。湯川さんの、星野道夫さんの横顔にさりげなく触れながらも、編集者として「テキストがすべてである」というぶれない姿勢も好感を持ちました。星野さんのようなノンフィクション作家は、目の前で見たその感動やありのままの姿を文章にすることは、相当な力量が問われると思います。その景色を文章で書いて伝えることなど到底できないだろうということが書かれたとき、本当の文学になるように思うのです。批判するつもりはないのですが、ケータイ小説や一部のライトノベルとは次元が違うもの。星野さんは、自然界の世界を書くことで文学を残そうとされたように思います。
しろやぎはこの週末から八ヶ岳へ行ってきます。星野さんほどの有益な時間を過ごすのは難しいのですが、私なりに、仕事の時間、旅の時間、自分を生きる時間など、他方の時間を生きる自分を思い出す余裕やおかしみを感じる力をつけられるような旅にしたいと思います。三日間だけですけれどね。
旅日記はまた次回に。それではまた。


阿倍野のしろやぎより

28通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2016. 7

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阿倍野のしろやぎ先輩へ


 あっという間に先月末の棚卸が終わり、各社夏の文庫フェア総入替フェアも終わってしまった7月。駆け抜けた感でいっぱいですが、書店の稼ぎ時はこれからですね。倉敷店でも子供さんたちが夏休みに入り、平日から家族連れで賑わっています。すれ違う大人も子供も皆巷で話題のポケモンGOに夢中でスマホ画面とにらめっこですけれど。

 しろやぎ先輩の前回のお手紙のけん玉エピソードを読んで考えさせられたことがあります。倉敷にも社員以外の大勢のパート、アルバイトスタッフが働いていますが、正直接客その他の業務においてもレベル、質はバラバラです。問い合わせをはじめ対お客様に関しての指導は社員を中心にその他スタッフもポイントをはずさぬよう教えているつもりですが、いざ本当に接客すると「えっ、そこでどうしてそんな答えをお客様にするの?!」とびっくりするようなアルバイトもいます。倉敷では丁度この春に多く新人スタッフが入社したのですが、その教育指導の方法を改めよう、とこの度考える機会がありました。金銭を取り扱うレジ業務に関しては社員がマンツーマンで新人指導にあたっていたのですが、棚入れ作業は各担当スタッフ、その他の業務もマンツーマンではなく、その場その場で不明点を新人が聞く、という形が従来の倉敷のやり方でした。ですが正社員のように残業もできない、定時で帰宅しなければならない主婦の方などはいつも各々の担当業務を効率を上げて必死でこなしています。主婦に限ったことではないですが、どのジャンルも時間が余って退屈、な所などひとつもありません。そんな状況下で右も左も分からない新人指導をぽーんと放られて、それがいかに大変なことか。この春新人指導を任せたあるジャンルから悲鳴があがり、恥ずかしいことですが初めて社員としての職務怠慢を思い知らされました。この出来事があり「人を育てる」ことを一から考え直そう、と思ったのです。そうしてビジネス書の棚に行って自己啓発本や人事関係の本もこっそり読んだりしました。今まで自己啓発本に対してちょっと斜めから見ている自分がいたのですが、読んで目からうろこのことばかり。とても参考になりました。当たり前のことが書いてあるのですが、改めて「新人は何度でも聞くのが仕事。それに答えない指導者は職務怠慢」などと言われると頭を岩で殴られた感覚がしました。
 それと同時に自分が新人の時のことを思い出しもしました。私は倉敷店に配属されるや否やしろやぎ先輩という頼もしい指導者にマンツーマンで本当に様々なことを教えて頂きました。先輩が棚出しするのがとても早いから自分も!とあせって入れていると、しろやぎ先輩は「もう少し本や、棚をじっくり見ながら入れてごらん」と棚、本としっかり向き合うことの重要性をそっと教えてくれました。発注も重複してもいいから売れてる!と思ったらFAXだよ、と信じて、判断を任せてくれました。今考えるとそれがどれほど恵まれた環境であったことか!きっと先輩は新人のくろやぎを見て「もっとこうしたらいいのに」「ああ…そこはそうした方が…」などもどかしく感じることもあったと思うのに決してそれを態度には見せず、じっと見守ってくれました。そのことを今ひしひしと感じます。人を育てるって忍耐がいる、寛容な気持ちがいる、信頼する気持ちがいるなぁ、と。
 そんなことを考え、新人スタッフ向けの業務チェックリストを作成しました。新人さんがこれはもう出来ると思い、指導社員も大丈夫と思った項目には日付とハンコを押していくシートです。レジ・接客版と棚担当版の2つを用意しました。どちらもリストの項目がすべて完了するまで社員皆で指導にあたります。
と、同時に既存スタッフの意識改革にも乗り出しました。今までやめていった人たち、やめたいと声をあげた新人さんたちの多くに共通する意見だったのが、倉敷のスタッフは話しかけにくい、冷たく感じる、というものでした。皆忙しなく作業しているのでテキパキしているとは思っていたのですが、ここまで深刻なものになっているとは…。この問題点の恐ろしい所はこの倉敷の醸し出す冷たさは従業員だけではなく、お客様にも伝わっているだろうという点です。本の問い合わせに気軽に声をかけづらい雰囲気。地域に根ざした本屋を目指す者としては致命的です。内側に長くいて見えなくなっていたことでした。上司たちにそのことを相談すると、早速新しい店舗の「指標」にこのことを取り入れてくれました。従来の「商品知識のある販売員」に加えて「挨拶のできる販売員」という指標です。挨拶のできる、とはまずスタッフ間のコミュニケーションを密にし、たくさん会話をする。出社退社の挨拶も意識して丁寧に。ありがとう、の一言を忘れない。そのスタッフ間の挨拶をお客様にもフィードバックする、というものです。効果はありました。以前より風通しが良くなったように感じます。指標に掲げなくても自然に出来るのがベストですが、店舗の指標にしたことで皆が意識してくれたことは確かです。
 まだ一言も本のことを書いていませんでした!今月はくろやぎにとってとても嬉しい新刊が入荷しました。写真家であり文筆家である星野coyote5.jpg314932_l.jpg夫さんについての新刊『coyote 59号』(スイッチ・パブリッシング)と『星野道夫 風の行方を追って』(新潮社)の2点です。アラスカの自然、動物、そこに生きる人々を追い続けた星野さんが亡くなってもう20年が経つのですね。彼の写真も大変魅力的なのですが、私は特に彼の書く文章に何より惹かれます。星野さんの温かな人柄、少年のようなキラキラした好奇心が星野さんの文章から溢れるように伝わってくるのです。はじめて手にした『旅をする木』(文春文庫)に始まり様々なエッセイを読み、アラスカに住むネイティブアメリカンの人々に伝承されたワタリガラスの神話を追い求める星野さんに影響されていつしか自分も神話学や文化人類学の書物を手に取るようになりました。普段の日常生活とは別の、けれどとても大切な世界が存在していることの重要性を星野さんの著作から学びました。

「東京での仕事は忙しかったけれど、本当に行って良かった。何が良かったかって?それはね、私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと……東京に帰って、あの旅のことをどんなふうに伝えようかと考えたのだけれど、やっぱり無理だった。結局何も話すことができなかった……」
ぼくたちが毎日をおきている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。(『旅をする木』より)

時折は棚に本を入れながら星野さんの言うもうひとつの時間について思いを巡らせる、そんな余裕があってもいい。きっとそれは日々の仕事をも豊かにしてくれると思います。
 それでは、また!

倉敷のくろやぎより

27通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2016. 6


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倉敷のくろやぎさんへ


 六月、水無月。ついこの間昨年の六月の日記を書いたばかりのように思うのですが、あれからもう一年経ちました。くろやぎさんにとって、この一年間はいかがでしたか。少し前会ったくろやぎさんは、相変わらず輝いていたから、心配はしていないのですけれどね。ただ、身近な知人や有名人の闘病の現実を見知ると、現実と地続きの希望はたやすそうでいて本当はとても有難いことなのだと思うようになりました。しろやぎの加齢による要因だとも思うのですが、大切な人が、まず元気かどうかとても気になります。稚拙な生存確認のようにもなってしまうのですが、ただただ地道で誠実に粛々と働く普通の感覚を、もっと生活の根幹としてとらえられるようになりたいと思っています。
 原田マハさんが、倉敷店にご来店されたとのこと。うらやましい!私も『暗幕のゲルニカ』(新潮社)を読みました。史実に近づいた壮大な物語は、マハさんの絵画やピカソに対する情熱であふれていました。物語の佳境、主人公の瑤子が命を賭けてゲルニカを守ろうとする思いに、息が詰まりました。美術館の学芸員の経験を生かされて、絵画とそれに関わる人々の歴史を、実在の人物をモデルにし、マハさんの物語を創作されています。
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 『太陽の棘』(文藝春秋)を読んだことがあるのですが、こちらも息をつかせぬ物語でした。終戦直後の沖縄で、アメリカ人の精神科医エドと、沖縄の画家タイラ、境遇の違う二人が芸術への愛や敬意を通じてつながる物語です。時代や沖縄という場所で敵対する関係であるとされる二人が、芸術を通して友情を構築する姿は、実際に残る、沖縄の画家が描いたアメリカ人医師の肖像画などから、よりリアリティが増し、感情の普遍性を証明してくれます。芸術と生きるということに説得力が増し、消してフィクションではない、皆に共通する物語だと思えるのです。
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 書店員の特権として、実際にその物語を書かれた作家の方から、直に作品のお話をお聞きすることができると、より作品に近づくことができるような場に立ち会うことができます。本当に役得だなと思うのです。好きなライブを特等席で聴くような、作家のエネルギーを近くで感じることができる素晴らしい機会、「ごほうびの日」が私たちのガソリンになっています。
 少し前のお手紙に、小説と音楽に共通点はあるのかという話をしましたが、作家の方やお客さまと触れ合う、この「ライブ感」も共通項に挙げられるなと、今ふと思いました。
 先日、ピアノとヴァイオリン、チェロの三重奏のコンサートに行きました。ヴァイオリンは現在ベルリンフィル第一コンサートマスターでもある樫本大進さん、ピアノは、近年ベートーヴェンの全曲演奏に取り組む小菅優さん、チェロはクラウディオ・ボルケスさんという、ペルーとウルグアイ出身の両親を持ちながら、幼い頃からドイツで学び、国際コンクールの受賞歴もあるチェリストです。三人とも、同世代で幼いころから海外で学んだという共通点を持つ経歴から仲も良い、一流の演奏家たちです。そのような三人が集まったコンサートで面白いことが起きました。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲の一楽章終了後、二楽章に入るまでの間に、ピアノの小菅さんの降ろした手が鍵盤の上に落ち、鳴ってはいけない音がわりと大きく響いたのです。思わず「あっ」と口元を手で覆う小菅さん。驚いた顔でピアノの方を振り向く弦楽器の二人。そして何とも言えない照れ笑いのような三人の笑顔。その雰囲気の良さが聴衆にも伝わり、客席からも笑い声が漏れました。悪気も嫌味でもない笑いです。通常のクラシックコンサートでは起こりえないハプニングですが、ライブならではの三人の仲良しさや、音楽を今この場で生身の才能あふれる音楽家たが届けていることを実感できて、とてもよかったのです。個人的にも、いつも楽曲に真摯に向かう小菅優さんの、思いがけない可愛らしい一面が見られて、ますますファンになりました。
 そんなライブならではの小さな奇跡を、本屋でもお客さまと書店員の双方が感じることができたら、長く続く本屋ができるのではないかと思うのです。
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 阿倍野店ではお客さまから元気をもらうこともしばしばです。文庫をよく買って下さる常連のお客さまが、新刊台から『須賀敦子を読む』(集英社文庫)を取り、「あなただからこの本たくさん仕入れているのでしょう」と推理してくださいます。「いえいえ、私はそんなに目利きではないですよ」と心で否定しながらも、笑顔でイメージアップを維持します(よいことは否定しません!)。書店員より本屋の仕組みをご存じなのではないかと驚きます。今度、登山をするからと地形図をお探しのお客さま「この間の添乗員さん、山で迷子になってんで。信用できひんわ。だから団体でも必ず地形図は持っていくのよ」。なるほど、わたしもそうします。発破技士の本をお探しのお客さま「自分は持ってるけど、今から勉強する人に買ってやろうと思って」。職場でも優しい上司なのでしょう、応対した私にも「忙しいところすまんな」と言ってくださいます。社会人としての振る舞いを学ばせていただきました。また、これはだめなことですが、阿倍野店のアルバイトに「けん玉のDVDはないか」と尋ねられた年配の女性の方がいらっしゃいました。本当にだめな接客ですが、「DVDはないです。」と冷たい返事をするアルバイト。事務所の前でのことですべてやりとりが聞こえています。数分後、そのアルバイトに再び女性が声をかけます。「あなた、さっきないと言ったけど、レジの人が親切に調べてくれたら、本にDVDがついているのがあったわ。なんで調べもせずそんなこと言うの!」。このような対応では怒って二度と店に来なくなるお客さまもいるはずです。けれども私たちになり変わるかのように、アルバイトに指導して下さいました。このアルバイトは恥ずかしい経験を忘れないでしょう。忘れないでいるひとでいてほしいと思っています。
 本屋という場で、いろいろな会話が生まれ、元気をもらうことや逆に恥ずかしい思いをするできごとも生まれます。当たり前ですがネット書店では起こらないことです。音楽会で体験した小さなハプニングのような人間味あふれる奇跡を味わい、気づける余裕を持つ書店員でありたいなと思います。
 さあ、六月末は棚卸です。各社夏の文庫フェアもこれからぞくぞくと入荷します。専門書の常備入れ替えもなぜか月末に集中します。くろやぎ氏直伝動きやすい綿麻パンツ、背中にはスポーツタオルを入れて汗対策をしながら、夏を迎えたいと思います。そういえば、しろやぎは倉敷店勤務の時、Tシャツで仕事をしていました。若気の至りです。中身はもちろん、できるだけ外身も「素敵書店員」になりたいですね。口に出して言っておくと叶うかな。それでは、また。
阿倍野のしろやぎより

26通目倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2016. 5

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 梅雨入りもまだだというのに湿度の高い日が続いていますね。湿気でくろやぎの頭も店頭の本のカバーも不規則にクルクル巻きな日々です。勤務中の服装もジーンズ生地では身体がもはや耐え切れず、綿麻パンツ中毒です。しろやぎ先輩は暑さ対策されていますか?

 先日、倉敷店に作家の原田マハさんが来店下さいました。新刊『暗幕のゲルニカ』(新潮社)発売にあわせての来岡でした。作品の舞台は第2次世界大戦中のパリと9・11後2003年のNY。ふたつの時代がひとつのキーワード・ピカソの〈ゲルニカ〉を中心に目まぐるしく交錯します。マハさんにお会いする前に絶対読んでおきたい!と読み始めましたが、まるで映画を観ているように場面場面がドラマティックで色彩に溢れていて、最後の鳥肌モノのシーンまで一気に読んでしまいました。〈ゲルニカ〉という作品にピカソが込めたメッセージが時代を越えて胸に迫ってきます。来店された折、マハさんも「今の時代だからこそ描きたかった作品」とおっしゃっていて、年代を問わず多くの方に手にとってもらいたいなぁ、と強く思いました。
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 さて課題となっていた教育書フェアから1カ月以上が経過しました。新しい試みとして始めた、特別支援教育フェアを5月からに延期してそれまでは教育書で売り伸ばしたい商品の魅せ方を意識したこの春。お客様の反応は上々でした。これは複数冊売れてほしい!と思って置いたアイテムにも実売が伴っていました。しろやぎ先輩が言われていた売りたいという想いを注入!して陳列。やってみて反応があると本当に嬉しいですね。想いと考えを一新して臨んだ今年のフェアは本を売ることにおいて今までと違った景色を見せてくれました。
 G・W明けの休配日と静かな数日間は毎年「やりたくてもなかなか手を付けられないでいる大きな課題を解決させる日」と決めているのですが、今季は俳句、短歌、詩の棚のメンテナンスでした。以前しろやぎ先輩がお手紙で書いていた「本屋の質は詩の棚でわかる」という言葉にドキーンとさせられていて、文芸担当となり1年が経過してようやくテコ入れ作業に取り掛かることができました。作業をはじめてすぐに猛反省。俳句の棚に歌集があちらこちら入っている。驚くほど前に期限が切れた常備品。旧コード表記すらないケース入り詩集。「海外詩集」という小見出しはあるのに棚にあるのはランボー全集とケストナーが2冊に諸外国詩人の解説本数冊のみ。この1年間私は日々一体何を見ていたんだろう…。文字通り棚は死んでいました。死んでしまった棚から本は売れません。1年間ほぼこの詩棚への補充を行わなかった私はそのことに無頓着でした。
 俳句、短歌棚の入門本から評論、時代ごとの著名な作家の句集、歌集を発注し入れ直しました。日本の詩人は作家名順に並び替え、海外詩集は国別にしました。特に海外詩棚にはシェイクスピア、ワーズワース、ボードレール、リルケ、ロルカ、ホイットマン、ギンズバーグ等々挙げたらきりがないですが思いつく限り注文しました。詩集を多く刊行されている思潮社さんは「世界現代詩文庫」というシリーズを刊行されていて、詩棚を作るのになくてはならない版元さんです。一度死んでしまった棚を動く棚へと生き返らせることはできたのか。その答えはこれから担当である私たちがしっかりとお客様の反応を見て、上手くいかなければ再び練り直していかなくてはなりません。料理と同じで、棚は丁寧に手塩にかけた分だけ良いものになるのだ、と詩棚改変作業で思い出しました。何年書店員をやってるんだい?!と棚の神様がいたとしたらゲンコツを入れられそうですね…。
 春の教育フェア中に来店下さった教育書版元営業さんの印象的な言葉があります。マンネリ化しない売り場とフェア作りに何か必要なことはないかうかがった時でした。とにかく棚を見に来られるお客様の購入書、視線、動向をよく観察すること。そしてお客様が〈今後どういったものを求めているのか想像してみては〉とアドバイスをくれました。シンプルな言葉ですが改めて自分に問うと自信をもって断言できません。先日はこれに更にたたみかけるかのように、ドラマ『重版出来!』の中の「常に己に問え、自分の仕事だと胸を張れるものを世に送り出しているのか。」というセリフが突き刺さりました。何年経っても日々精進。(心の中で)腕立て伏せ100回!5月はそんなこんなで反省の月となりました。
 来月は恒例行事、夏の文庫入替と棚卸がやってきますね。しろやぎ先輩も夏バテには気をつけてお過ごしください。スーパーフード、ブロッコリースプラウトがオススメです。
倉敷のくろやぎより

25通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2016. 4

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倉敷のくろやぎさんへ


九州での地震の報道に接し、不安で落ち着かない日々が続いています。くろやぎさんの町はお変わりありませんか。今年は春の嵐も多く、何か不穏な空気を感じていました。それでも桜は同じように美しく咲き、雨ニモ風ニモ負ケズ春の訪れを感じさせてくれました。本屋の仕事も毎日、毎月、毎年のルーティーンの連続ですが、桜のけなげな姿を見るにつけ、負けていられないなと思うのです。
 いとうひろしさんの『だいじょうぶだいじょうぶ』(講談社)という絵本があります。友だちとのけんかから思いがけない事故や事件まで、毎日の生活が心配でたまらない幼い「ぼく」に、おじいさんは「私たちの地球は美しく、感謝の気持ちをもって暮らしていけば、乗り越えられないことはないよ」と優しく語りかけます。時を経て、優しいおじいさんが入院したとき、今度は「ぼく」がおじいさんを励まします。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と。絵本の世界のように現実は単純でないのかもしれません。それでも、このような柔軟な信念とおおらかさを持って、これから私自身にも降りかかるかもしれない困難に対しても、対峙しようと思います。この大好きな絵本を、先日私たちの同僚であった新米ママさんに贈りました。「涙がでたよ」と喜んでもらえました。大切な座右の本の一冊です。

 くろやぎさんの幼少時の「青汁葉を刈るのに夢中」事件を思わず吹き出しながら拝読しました。そして、子どものころに出合った本について思い出したことがありました。くろやぎさんと同じく、しろやぎも一冊の本やシリーズものにのめり込むタイプでした。『おちゃめなふたご』(ポプラ社文庫)では、自分もイギリスの寄宿舎の女生徒になり、『くまのパディントン』(福音館文庫)では、パディントンを世話するブラウンさん一家の一員になり、ハラハラドキドキしました。どちらもたまたまイギリスのお話でしたが、マーマレードやスコーンなど、当時見たこともなかった美味しそうな食べものを知ったのも物語の中からでした。
 もうひとつ、幼いころの読書でよく覚えているのが、まだ幼稚園児のとき、夜8時までに布団に入ると母に本を読んでもらえるお楽しみがありました。早く寝かせる作戦にうまく乗っかったのですが、読んでもらった本のなかでとてもよく覚えているのが、女の子が難病と闘う『さと子の日記』(ひくまの出版 現在絶版)と、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)です。
 『さと子の日記』は小学校に通いたくても通えず、院内学級で病気と闘いながら学ぶ聡子さんとお母さんの日記で綴られています。胆道閉鎖症という病名も一生忘れないでしょう。元気に生きることがどんなに幸せなのかということを、同年代の聡子さんから教えてもらう大きな財産をいただきました。
 『窓ぎわのトットちゃん』は言わずと知れた大ベストセラーです。1981年3月発売の『窓ぎわのトットちゃん』ですが、今でもうちにある単行本は1981年8月13日ですでに28刷り、ページが抜け落ちそうにボロボロで、白いカバーが汚れてグレー色になっていますが、この本を私が手放すことはないでしょう。落ち着いて授業を聞いていられないトットちゃんに、どこかしら幼稚園や友だちの輪になじめない、少し変わっていた自分を見ているような気もしました。また、トットちゃんの通うトモエ学園ではお弁当に海のものと山のものを入れることが約束になっていますが、食べ物の獲れる場所や、そのいのちをいただいて栄養にしていることを意識したのもこのお話からでした。トットちゃんのことを理解してくれている小林校長先生や、障害のあるお友だちのこと、書きだしたらきりがないのですが多くのエピソードが幼いわたしを夢中にさせました。そんな徹子さんなので、そのへんのアイドルよりもずっと大好きだったのです。昨年週刊文春の、書店員が選ぶ「第8回R-40本屋さん大賞」のノンフィクション・エッセイ部門に、『トットひとり』(新潮社)を挙げたしろやぎのコメントが採用されました。徹子さんの、部門一位に選ばれたお礼のおことばも載っていたので、わたしの文章(ほんの4行)も徹子さんの瞳にも映ったかもしれない、とひとりうれしい妄想をふくらませていました。書店員をしていると、たまに小さな奇跡が起こりますね。今春、NHKで日本初のテレビ女優として活躍する徹子さんのお話「トットてれび」が放送されます。原案の『トットチャンネル』(新潮文庫)も、何度も読み返した本です。浮かれていないで本屋の仕事で、幼いころにいただいた豊かな時間の恩返しをしていきたいと思います。
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 思い出話で紙幅を割いてしまいました。まじめに、くろやぎさんからの質問「フェアを展開する時意識していること」について考えます。フェアは出版社のセットで並べるものと、自分自身が選書するものがありますよね。私自身はあまりこだわりがなく、出版社のセット組は面白味がないという意見もありますが、その本に一番近いひとが書目を考え抜いた、売れ筋も押さえたフェアとして、一番効率もよくリスクも少ないと思うのです。並べ方も、初めは冊数の多いものを奥に、少ないものを手前にと、手に取りやすいように考えますが、「在庫が少ない=よく売れている」と思われるのか、積み方が薄い本ほどよく売れていくことがあります。そこからが、担当者の本当の出番で、反応のよい書目を大きく積みなおし、気合いも注入して(この感情、けっこう大切です)、アピールを心掛けます。チーム文庫のメンバーが並べると、またその担当者の良さが出て、わたしではできない展開をしてくれます。そして任せてしばらくして、自分でもさわってみます。諦めないで手をかけるとお客さまも反応してくださいます。あまり「自分」を入れないでニュートラルな気持ちで、時に深く考えすぎないでやるくらいのほうがいいのかもしれません。
 逆にオリジナルフェアでは情熱過多で、空回りすることもしばしばです。ロンドンオリンピックの際、幼いころの読書からも憧れ続けた土地でもあったので、「イギリスを身近に」フェアを行いました。大好きだった「パディントン」や、「カレルチャペック」の本、英国アロマメーカーの本まで広げましたが、実売は達成できず深いため息をつきました。
 『のだめカンタービレ』ドラマ化の時は「毎日に音楽を♪」というテーマで、こちらも趣味の延長のような選書をしてしまい、思ったほどの実績はあがりませんでした。一番反応があったのは、普段あまり置かない、ピアニストの横山幸雄さんの『ピアノQ&A136』上・下(ショパン)という本だったと思います。見るかたはいてくださるのだなとありがたく思いましたが、ひとりよがりだったなと今でも恥ずかしく、反省しています。
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 また、フェアのキャッチを考えるのが、わたしはとても苦手です。先日も阿倍野店で行った、日経ビジネス人文庫のオリジナルフェアでも、目にとまるようなキャッチが思いつかず、版元営業担当者さんに助けを求めました。すると「明日、朝礼で話したい!」という、何とも絶妙なキャッチとフェアパネルをご用意くださいました。これには、さすがだなあと感動しました。自分ができなくても、わからなくても、すぐ教えを乞うことができるオブザーバーを持つことの重要さを痛感しました。
 九州の地震が静まりますように心から願うと同時に、無力な私たちが日々できる仕事を、ありがたく手を抜かないで取り組もうと思います。そうそう、私たちがお世話になった元上司のカフェ開店のお知らせも聞こえてきましたよ。いつかくろやぎさんたちと訪ねることができる、平和な日々の到来を心待ちにしています。

阿倍野のしろやぎより

24通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2016. 3

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 すっかり春ですね。倉敷店に隣接する酒津公園の桜の木も少しずつ華やかになってきました。この季節自転車通勤の楽しみは沈丁花のわくわくするような香りを嗅ぎつつ道路に沿って流れる川に浮かぶ薄桃色の花びらを眺めることです。
 3月はスタートから教育書・保育書フェア出し作業とメンテナンスに追われ、なかなかに充実した月でした。かき入れ時とは言え膨大な点数のアイテムを限られたスペースに効果的な見せ方で陳列しなくてはならないのは何年勤めていても課題です。特に教育書で面出ししたい商品を昨年は泣く泣く沢山差しにしてしまったこともあって、今年は思い切って同時期に開催していた特別支援教育フェアと教科教育アイテムの大展開は5月からと割り切り、それまでの期間は学級経営本や先生向け読みもの類をしっかりと面出しできる場所を確保することにしました。この判断が吉と出るか凶と出るか・・・お手紙を書きながら教育書の3月度の売上スリップ枚数を数えるのが怖いです。しろやぎ先輩は何か大規模なフェアを展開する時意識していることはありますか?良い反応があった体験などあったらまた聞かせていただきたいです。
 この3月は大好きな女優・モデル菊池亜希子さんの新刊が2冊も刊行されるという幸せな月でもありました。小学館から刊行されているムック『マッシュ』は早いもので9冊目なんですね。倉敷店でも入荷日早々お問い合わせを頂く人気商品として定着しています。今回の『マッシュ』内旅特集「みちくさ」ではな、なんと!菊池さんがわが町倉敷を訪れているのです!菊池さんがあの道、あの喫茶店にいた・・・と思うとキュンとします。嬉しくて、いつもだと女性誌売場に陳列するのですが、今回は岡山の情報誌のところにも開いて並べてみました。
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 もう一冊の新刊『絵本のはなし』(白泉社)はとても心躍る絵本書評であると共に、素晴らしいエッセイでもありました。菊池さんが幼い頃大好きだった絵本を「たべもの」「ぼうけん」「どうぶつ」という3つの章に分けて紹介しています。私が幼い頃に手にしたことのある絵本がいっぱい載っていて、改めて児童書って人文書と同じように昔からの売れ筋定番本が多いんだなあと驚きました。菊池さんが子どもの頃『むしばミュータンスのぼうけん』のばいきん“ミュータンス”に淡い恋心を抱いていて、虫歯の原因であることとの狭間で揺れ動いていたと語っているエピソードにクスリとなります。でも私も小学生の頃ズッコケ三人組のハチベエのことが格好良くてしかたない時があって、プロフィールに書いてあったハチベエの星座が私と同じいて座だということを勝手に誇らしく思っていたことを菊池さんのミュータンスへの恋心エピソードから思い出しました。
 更にこの絵本紹介本が素晴らしいエッセイだと言ったのは、絵本の紹介にとどまらず、菊池さんの小さかった時の家族や友達との何気ない記憶、場面を綴っている所で、かつて自分にもあった幼い日の嬉しい気持ちや切なかった時の情景が読んでいるととめどなく溢れてくるのです。幼き菊池さんが開発したイタズラの数々の描写を読んでいて私が思い出した子どもならではの謎の行動があります。近所の空き地に近所のおじさんが植えて育てていた青汁の葉たちを友人宅にあった植木バサミ(ちょっと大きいやつ)が使ってみたくて、一枚残らず刈り取って枝だけにしてしまったことがありました。見学に飽きた友人は他の所に遊びにいこうよ、と声をかけたそうですが熱中していた私は「今忙しい」と答えて刈り続けたそうです。そうした幼い頃のエピソードをもこの本は久しぶりに呼び起こしてくれたのでした。この本で紹介されている絵本たちが今この瞬間子どもである人たちに読み継がれていくといいなと思います。
 さて早いものでもう4月がやってきますね。しろやぎ先輩はエイプリルフール用の嘘を考えましたか?倉敷では先日4月公開の映画・ドラマ仕掛け商品を陳列しました。個人的に楽しみにしているのがドラマ放送予定の『重版出来!』(小学館)出版社を舞台にした作品です。これが好きな方は読んでくれるのでは…?と隣に三浦しをんさんの『舟を編む』も置いてみました。反応が出るといいのですが。
ではではまた。
倉敷のくろやぎより

23通目倍野のしろやぎさん」からの手紙 2016. 2

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倉敷のくろやぎさんへ

 過ごしやすくなったかと思えば、急激に寒くなり、お天道さまはひ弱な現代人に喝を入れられているかのような気持ちになります。くろやぎさん、その後お元気でいらっしゃいますか。春はすぐそこと、たかをくくっていたしろやぎはこの間ついにおなか風邪をひいてしまいました。大好きな食べることも、出歩くことも少し謹んで、休日は家でゆっくり過ごしています。
 普段テレビドラマはあまり観ないのですが、今クールは原作本が既読のものもあり、大人しく家にいる休日は録画をためては一気に楽しんでいます。くろやぎさんも注目している『わたしを離さないで』も、「今後のSMAPの鍵を握る男(原作文庫の発売元KADOKAWAの営業さんの弁)」草なぎ剛さん主演の『スペシャリスト』も楽しんでいるのですが、しろやぎが今一番楽しみなドラマは『ナオミとカナコ』です。
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 原作は奥田英朗さんの同名小説。しろやぎが単行本で必ず読む、数少ない全作コンプリート作家です。大学時代の友人カナコが、夫からDVを受けていることを知ったナオミ。公にはDVの素振りも見せないインテリ夫から逃れられないカナコを救うために、ナオミは勤務するデパート外商部の取引先で知り合った不法入国する中国人が、カナコの夫とそっくりであることを利用し、カナコの夫殺害計画を思い付きます。と、書くと何やら恐ろしいサスペンスになってしまうのですが、原作を読むととても深刻な話なのに、まったく悲愴感がないのです。むしろ素人2人で、DV夫やその家族、世間の悪に立ち向かう女性主人公たちを心から応援したくなる共犯者のような気持ちになるのです。それはおそらく社会的弱者と強者の立場の濃淡を筆の力で表現する著者の力量だと思うのですが、まさにページをめくるのさえもどかしく、一気に駆け抜けることのできる快作です。ドラマの方にも、そのスリルとスピード感は受け継がれていて、主演の広末涼子さんと内田有紀さんの計画が成功するようにと手に汗握る展開です。内田有紀さんのDV夫役とはいえ、ほとんどの視聴者から「早く殺されてしまえ!」と願われていた俳優・佐藤隆太さんって、、と気の毒にもなりますが俳優冥利には尽きるはずですよね。原作はまだ単行本しか出ておらず、しかも仕入数も厳しい出版社からの刊行ですが、この読書の「カ・イ・カ・ン(『セーラー服と機関銃』より、こちらもリメイクされますね)」を多くのお客さまに味わっていただきたいなと思います。
 もうひとつ個人的に注目していたことは、原作本で、広末涼子さん演じるキャリアウーマンのナオミが通勤電車に乗るときに、ショパンのピアノコンチェルトをイヤホンで聴くという描写があるのです。しろやぎも通勤時によく選ぶ曲でして、日常生活のルーティーンと殺人計画って紙一重なのかな、と妄想を膨らませておりました。ショパンのコンチェルトは第一番と第二番がありますが、どちらも大好きで聴くと心に凪が訪れるような平穏な気持ちになるのです。『田舎でロックンロール』(KADOKAWA)や『用もないのに』(文春文庫)などのエッセイでも、ロックやジャズなども含めて音楽への偏愛ぶりを綴られている奥田英朗さんのセンスの一端にも触れられたように思うのでした。
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 くろやぎさんは「スターウォーズ」の新作を観に行かれたとのこと、私は「スターウォーズ」は第一作で止まっている身ですので多くは語れないのですが、ジョン・ウィリアムズの音楽が素晴らしいのは、とってもよくわかります。「E・T」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ジョーズ」「スーパーマン」「プライベートライアン」・・・映像よりも音楽が浮かぶと言っても過言ではありません。そして、前述の奥田英朗さんや、ジャズ喫茶を経営していた村上春樹さん、春樹さんは小澤征爾さんと対談した本『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮文庫)も出されていますが、小説と音楽は何か共通項があるのだろうかといつも考えています。 
 音楽は詞があるものもあり、それにはフレーズの上に詞を乗せていく過程がありますが、小説は文章だけで完結させなければいけない側面があります。ですので、筆一本で勝負するという面では、小説は音楽より訴求力が弱いのかと思うのです。しかし、音楽は自ら楽器を弾かない限りは、その場に受動的に参加することの方が多いのですが、小説はたとえ自分で書かなくても、作家が渾身の力を込めて紡ぎあげた文章を理解するという行為は、その姿勢が能動的で影響も受けやすいのではないかとも思います。
 例えば文章を書いたものをうっかり消してしまったとき、もう一度まったく同じものは再現できないものです。精緻に考え抜かれた小説でも、そういった奇跡のようなものの連続で完成したものであり、それが読者との出合いも含めて、音楽に共通するような一回きりのものとも感じるのです。本も音楽も出合いや広がりは一期一会なのでしょう。結局は、小説も音楽は作り方も触れ合い方も、似ているところも似ていないところもあるけれども、どちらも毎日の生活に欠かせないもの、それ以上でもそれ以下でもないのですね。強引ですみません。音楽が人の心を動かすように、本屋で心震えるような本に出合っていただく仕事に見合った力をつけていきたいです。
 くろやぎさんの『千の顔をもつ英雄』を、ジャンルにとらわれない本として販売するのは、音楽的に考えるとセッションのような店作りですね。わたしが勤務していたときもそうでしたが、倉敷店のそういうところが大好きです。阿倍野店でも、倉敷店に負けないように、売れるものはあちこちに置くことと、オリジナルな選書で店の独自性を出すこととのバランスを意識しています。昨年は鬼籍に入られた作家も多くいらっしゃいました。近い月日で思い出すだけでも、宇江佐真理さん、阿川弘之さん、水木しげるさん、フジモトマサルさん、加島祥造さん、野坂昭如さん(順不同、思いつくままでお許しください)。追悼の思いを込めて平台で著作を並べもしますが、訃報の報道直後は特に、棚から売れていくことがわかります。いち早く本好きのお客さまが惜別の思いで探されていることが伝わってくるのです。営業中に販売したレジのスリップを見て、平台から欠本している棚へ補充します。地味な作業ですが、これは普段棚を触っている人にしかわからないことだと思うのです。手前味噌ですが、阿倍野のチーム文庫はわりと細かいことに気が付くのですよ。そしてやっぱり、いつまでたっても倉敷店は常に目標であり、ライバルです。今年もどうぞよろしくお願いいたしますね。
 本当の春も、もうすぐですね、きっと。
阿倍野のしろやぎより

22通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2016. 1

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 新しい年の幕開けである1月は喜びと勇気をたくさん吸収させてもらう月となりました。昨年の看護書販売を考える会から約1年ぶりのしろやぎ先輩との再会は大阪でも催された人文会版元さん・書店員さんとの集い-おでんの会のその後の宴、となりましたね!おいしいものをもりもり頂き、飽くなき書店めぐり、たくさんの会話…。あっという間の二日間でした。仕事を離れたOFFの日だというのについ仕事の話題に熱を帯びてしまうのは我らの性分でしょうか。
 お互い現場で数え切れない葛藤やもやもやを抱えて日々働いていることを話し合え、孤独ではなくなりました。様々な問題は根深く、すぐには解決できないものも多いですが、書店員としての“喜びをもって”(Mit Freude、良い言葉ですね!)誠実に今の仕事と向き合っていこう、と前向きな気持ちが湧きました。
 人文会の宴では、海文堂のHさんにも再会でき、そのやわらかな笑顔に癒されました。くろやぎはこの大阪神戸旅のお供に白石一文さんの『快挙』(新潮社)を連れて行っていました。あとでしろやぎ先輩に教えてもらい驚いたのですが、何とこの小説の中に海文堂さんが登場しているのですね!帰路の電車内でまさに主人公が海文堂を訪れるシーンを読みながら不思議な偶然の心地好さに身を委ねていました。
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 他にも宴でたくさんの方にお会いすることができました。しろやぎ先輩のご紹介で会わせてもらったJ書店にご夫婦で勤務されているというお二人には、結婚後も女性が正社員として書店員を続けるには、など込み入った話題にも初対面なのに色々助言を頂きました。
 宴の前の書店巡りツアーで訪れたスタンダードブックストアあべのさんでは海文堂Hさんの連載でよく登場される赤ヘルさんにお会いでき、物静かながら棚と書物への情熱を心の内に強く秘めている方だな…!とビビビと感じました。この素敵な書店さんで感じたのですが、いつも自分の職場で見慣れているはずの本が陳列の仕方が違うだけで全く異なる表情を見せるのだなと。こんな本あったんだ、と手に取ってみて、あれっ、そういえばこの本新刊台にこないだ並べたよ、、というようなことにいくつも遭遇しました。同じ本でも売り方次第、魅せ方次第で様々な顔になる。当たり前なんですけど改めて棚の可能性について考えた時間でした。
 今回のしろやぎ先輩との再会旅でこうして多くの棚、大勢の書店員さんに出版社さんに出会い、厳しい状況にある中、皆が各々の現場で工夫を凝らしてこの業界を少しでも良いものにしていこうとしているのを肌で感じ、もう少し自分も同じ舟を編んでいこうと思いました。

 くろやぎ新年のもう一つの思い出はSF傑作スター・ウォーズの最新作『フォースの覚醒』を見に行ったことでしょうか。映画の冒頭から大音量でジョン・ウィリアムズのあの名曲が流れ、物語はこれからだというのに涙が溢れました。旧シリーズと異なるのは今回の主人公がレイという少女だということです。旧シリーズでは父から息子、といずれも主人公は青年で、多くの男の子たちを魅了してきましたが、新作の主人公レイは砂漠の惑星で一人たくましく生活し、やがて仲間と共に壮大な宇宙へ旅に出るストーリーで、女の子も夢中になれるものになっていると思いました。この映画の公開にあわせて、以前に人文書院さんから刊行されていたジョーゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』新装版が早川書房さんから文庫で刊行されましたね。この著書のなかで神話学者キャンベルは世界各地の神話を比較研究し、各地の英雄伝説の中に繰り返し現れる共通構造に気が付きます。

 英雄はごく日常の世界から、自然を超越した不思議の領域へ冒険に出る(出立)。そこでは途方もない力に出会い、決定的な勝利を手にする(イニシエーション)。そして仲間に恵をもらたす力を手に、この不可思議な冒険から戻ってくる(帰還)。

「スター・ウォーズ」を生み出したジョージ・ルーカスはキャンベルのこの本に強く影響を受け、あの名作が誕生したのだそうです。そう言われて観てみるとキャンベルがこの本で語っている「英雄の旅」のプロットを映画「スター・ウォーズ」がそっくりなぞっていることに気が付きます。映画と併せ読みすると更にどちらも楽しくなるという相乗効果の期待できる本です。(流石、早川書房さんも文庫の帯にスター・ウォーズの原点!と銘打っていました。)倉敷ではお客様が一番よく通られる通路の真ん中の販売台に映画の原作本と併売していたら原作本より良く売れています。
 前回のお手紙でしろやぎ先輩が触れていた“ジャンルにとらわれない本との関わり方”という書店員の大切なテーマともいえる問題ですが、私はジャンル垣根なく置いてみたいと考える方です。失敗したらまた別の置き方を考えてみたらいいと思うのです。キャンベルの本のように思わぬ反応が売り場で起こったりもしますし、本当にやってみないと分からない。それが書店の売り場だと思います。しろやぎ先輩の言葉に再び「こうでなきゃならない、という考えに縛られない心を売場で持とう!」そう心の中で呟きました。
 1月、カズオ・イシグロさんの素晴らしい小説『わたしをはなさないで』や本谷有希子さん等の芥川受賞などお話したいことがたくさんありますが、またそれは次のお手紙で。われらしろやぎくろやぎ、離れてはいますが一緒に「良い本屋」を作って行きましょう!!
倉敷のくろやぎより

21通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2015. 10

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倉敷のくろやぎさんへ

12月、書店は手帳と家計簿と、カレンダーのお店かと見まがうばかりに、平台の一等地が占拠され、肝心の本は少し横に追いやられます。年末のミステリーランキング、年賀状の素材集、お正月のテレビガイド、文庫の冬のフェア・・・本や雑誌だって並べたいものがいっぱいです。「四次元でもいい。平台がほしい!」全国の書店員の咆哮が、しろやぎには聞こえます。限られた場所でびしっと引き締まった陳列をする鍛練だと思えばいいのですよね。 
それにしても、くろやぎさんの、あらゆるジャンルを受け持つオールマイティぶりには感心します。文芸や詩歌、教育書、医学書、人文書、そして雑誌。それはくろやぎさんの能力をかっている店長の采配だとも思うのですが、忙しいだろうなと思う反面、とても理想的な本屋での働き方をされていると思います。
『ほんまに』第17号でわたしは、本屋でのジャンル分けって何だろう、もっと有益にそれぞれの書店員がジャンルにとらわれない関わり方ができないものかと、日々悶々としていることを書きました。くろやぎさんが前のお手紙で紹介してくれた『飛ぶ教室』もそうです。しろやぎの店では子ども館に並べてあっても、一般書の方は入荷がありません。注文していないのです。毎日本屋にいるわたしでさえ、くろやぎさんの手紙で知ったのです。教育関係のお客さまにも見ていただきたいし、幅允孝さん編集なら、本好きのお客さまをうならせる文芸書での陳列がおもしろいですよね。ああ、もったいない!と思うのです。仮に棚担当者がこの本の存在を知っていたとしても、「置いてみよう」と思う人と、「やめておこう」と思う人がいるわけです。もちろん、すべての出版物を置くわけにはいかないのですが、ここに取捨選択のとてもとても大切な判断が求められます。そしてそれは、どのジャンルでも、毎日何度でも迫られる決断です。その決断には成功も失敗もあるでしょう。くろやぎさんがお客さまに「素敵な空間をありがとうね」と言っていただいたのは、まさしく「大成功!!」のくすだまが割れたような、心のときめきであったと想像します。わたしまで嬉しくなりましたもの。物言わぬとも、「この本屋好きだな」と思ってくださった方もいると思います。本屋は大半がそんな良心的なお客さまで支えられています。
一方で、思想や主義、主張を取り扱うときは注意しなければなりません。書店員の熱意が度を過ぎて脇の甘さを指摘されるニュースを見ると、心苦しくなります。本を注文する、本を陳列する、本屋から情報を発信するなど、書店員として「決める」ことに、真摯な気持ちを持たなければならないと思います。わたしたちは医療現場のように人の生死に立ち会っているのではないのですが、一貫性や緊張感を持って、担当者として取り組むべきではないかと思ったのです。
少し堅いお話になりましたね。この『飛ぶ教室』のような、版型は雑誌で書籍扱いの本には、他にも隠れた(隠れてないけど、気づきにくい)人気本が存在するのですよね。例えば『SWITCH』や『ケトル』などは特集により事前注文や追い発注は必須です。最近では『MONKEY』vol.7(スイッチパブリッシング)。古典復活の特集で、柴田元幸さんと村上春樹さんの「古典小説をめぐる対談」や、「復刊して欲しい翻訳小説リスト100」が何と面白かったことか!なんて知ったかぶりをしていますが、実は他書店の書店員さんから、「おもしろいよ」と聞いたしろやぎなのです。入荷1冊の本にどれだけ気付くか、そしてその本を、売れる売りたいと愛着を持って長いお付き合いをすると「決める」のか、毎日蜘蛛の糸のように張り巡らされた情報量と時間との闘いのなかで、一瞬の出合いを本に敬意を持って、冷静に心の中に問い質しながら決めていきたいと思っています。
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 11月にあった素敵な出合いを一つ書かせてください。小学館のPR誌『きらら』の編集者Mさんが、小説家の大島真寿美さんと来店してくださいました。くろやぎさんもわたしも載せていただいたことのある『きらら』は、書店員が本を紹介するページが充実していて、Mさんはずっとこのコーナーを担当されていました。しろやぎに初めて本の紹介をご依頼くださったのは、そう、しろやぎが倉敷店に異動して間もないころでした。うまく書けるかどうかもわからない一書店員を信じて書かせてくださり、編集のプロとして校正もしていただきました。それから異動のたびに折に触れて原稿依頼をくださり幾年月、ようやく初めてお会いすることができたのです。大島真寿美さんも「今回の書店回りは、Mさんの希望第一なのですよ」と、担当編集者Mさんに全幅の信頼を寄せているご様子でした。大島さんとMさんのタッグで生まれた『空に牡丹』(小学館)は、明治時代に打ち上げ花火に魅了され、私財を捧げた男の人生を描いた物語です。大島さんは「私は多作ではないのですが、書くことが本当に好きです」と仰っていました。Mさんをはじめ、大島さんの各出版社の担当編集者は、女性編集者が殆どだそうで、以前直木賞候補にもなった、『あなたの本当の人生は』(文藝春秋)は、又吉直樹さんの編集担当として有名になった女性編集者Aさんだったそうです。大島さんが、章立ての表現に苦慮している時に、Aさん「それなら、章の頭にアイコンをつけましょう」と提案されたそうです。伊坂幸太郎さんの小説などにも使われていますよね。大島さんは、文章内で読者にわかりやすく伝える方法を考えていたので、この提案はとっても新鮮だったとお話ししてくださいました。作家と編集者臨場感あるお話をたくさん聞くことができて、本当に楽しかったです。売れっこの大島さんは、次に小学館から新作を執筆していただけるのは7年後!くらいだそうで、大島さんとMさんとまたの再会をお約束して握手をしていただきました。
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 読者と本の出合いが奇跡的なように、作家と編集者の出合いや時期もまた奇跡なのだなと思います。一つ一つのエピソードを知ることはできませんが、そうした奇跡の一つに立ち会える書店員も幸せな仕事だと思います。年末に流れるベートーベンの「第九」に、「歓喜」を表す「Freude(フロイデ)」という歌詞があるのですが、いろいろな状況に流されず負けずに、「Mit Freude!(「ミット フロイデ!」喜びを持って)」過ごしていきたいなと思っています。
 くろやぎさん、今年もありがとうございました。忙しくても無理をしないように、元気がいちばんですよ。元気や喜びのない仕事は、お客さまやほかのスタッフにも伝わらないと思うから。来年もどうぞよろしくお願いいたします。


阿倍野のしろやぎより


20通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2015. 11

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 しろやぎ先輩、そちらの気候はいかがですか。もうすぐクリスマスだというのに倉敷は暖かい日が続いています。店内も暑くて腕まくりの日々なくろやぎです。1年が経つのはあっという間ですね。倉敷店のあるショッピングモール内ではすでにクリスマスソングがガンガン流れ、赤と緑の装飾で視界が覆われています。くとうてんさんに書かせて頂くこの往復書簡も2度目の冬です。
 最近働いていて感じるのはこの押し寄せる年末感が年々早くなっているような気がすることです。店頭で来年の手帳やカレンダーはもう入荷してるの、との問い合わせを受けるタイミングがどんどん早くなっているのです。今年はお盆が終わった頃にくろやぎはお客様に聞かれ、え、、もう来年の準備?!とおののきました。何だか生きるスピードがみんな早すぎるような・・・。もう少し季節季節を噛み締めたいな、と思った出来事でした。
 もうすぐ新しい年がやってくることですし、くろやぎも昨年末からのことを少し振り返るなどして、新しい年を迎えよう!と思い2014年冬のことを思い返そうとしたのですが、記憶が完全に飛んでいる・・・。何も思い出せない・・・。この手紙を書きながらそういえば昨年末はスタッフの退職が重なったことや、産休入りの同期からの文芸書・教育書の引継ぎ作業をしていて目まぐるしかったことをようやく思い出しました。文芸書は一年経って恥ずかしながらやっと、この人はミステリ作家、この人は女性っぽい名前だけど男性作家!という区別が少しつくように。教育書は次々と押し寄せるイベント用商品の確保にあわあわ。まだまだ修行が必要です。それから先日『新世代お姉GALに捧げるオーラ系ファッション誌JELLY』(すごいタイトルですよね。もう何が何だか・・・)の1月号の梱包を開けていて付録のネイルカラーを見た瞬間、昨年仙台に出張に行っていたことを思い出したり。(仙台で同じ付録付のJELLYを出したのです。)昨年と同じ付録・特集を見て記憶がよみがえる書店あるあるでした。
 この1年は本当に大きな環境の変化のあった倉敷店でした。この10月には倉敷店立ち上げから十数年おられた上司が他店舗へ異動されました。管理職という役職のため経理をはじめ様々な事務処理を大量にこなしながら専門書棚をしっかりとメンテナンスしていて、どんなに忙しい時も静かに向き合っていた姿を私は忘れることはありません。
 新しいメンバーも加わりました。倉敷はスタッフの入れ替わりがこれまでとても少なく、しかしそれゆえに異なる角度から物事を見ることが難しくなっていると感じていました。そんな状況下で入ってきた新鮮な風は当たり前だと思っていた仕事により効率的で簡単な方法を教えてくれるなど初心に帰る気持ちを思い出させてくれています。
 初心といえばもう一つ嬉しい出来事がありました。12月から開始する「このミステリーがすごい」フェアの前の短期間、文芸フェア棚で光村図書さん刊行の『飛ぶ教室』秋号ミニフェアを行っています。この号はブックディレクターの幅允孝さん編集号で、作家の角野栄子さんや写真家石川直樹さんなど様々な分野で活躍する方が選んだ「小さな本の専門店・私が選んだ10冊+αの本たち」というテーマになっています。短期間のフェアですし、各アイテム1冊ずつ注文し、家にある本棚みたいに陳列しています。先日このフェア台の横で作業をしていると初老の女性に呼び止められ何の棚なのか聞かれました。フェアのテーマをお伝えすると「こんなフェアも書店ではするのね。素敵な空間をありがとうね」と言って頂きました。何年書店員として働いていようとも、こうした直のお客様の声に勝る活力の源はない、と思った瞬間です。
 ところでしろやぎ先輩!憧れの!三浦しをんさんの!読書サロンに行ったのですね!!すごい!生しをん!!『あの家に暮す四人の女』は購入してはいるのですがまだ読めていないんです。先に谷崎先生の『細雪』を読んでからの方が楽しいのだろうなと思うと開けずにいます。先日ドナルド・キーンさんと文豪たちの交流ドキュメンタリーをTVで見て、日本の文学作品を再読したいブームがくろやぎの中で巻き起こっているのでこの冬、読了したいなぁ。
 一方ドキリ、としたのはしろやぎ先輩の「本屋の質は詩の棚でわかる」という指摘です。谷川さんの詩集をオススメ本にあげておきながら詩棚を見直すことを先延ばしにしていたくろやぎ。来年頭にやってくる大型休配日の課題にしようと心に誓います。
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 来月はいよいよ年末商戦ですね。くろやぎは昨年の大混乱を反省し、どんなに多忙であっても一つ一つの作業に心をこめて向かいたいです。先日TV紹介がきっかけで再ヒットとなった渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)を読んだこともあり強くそう思っています。くろやぎの良くない所なのですが、ベストセラーになる本って本屋としては大変有難いことなのだけど、「流行りもの」という印象がどうしても先に来て、売れていると読みたくなくなる、ナナメから眺めてしまう癖があるのです。だけどこの本が多くの人に求められている。まだまだ世の中捨てたものではないな、と読んで思ったのでした。と、言いつつイラっとした時は好物のベビースターラーメンをかき込んで心を静めます。しろやぎ先輩も繁忙期、どうか無理はしすぎず、楽しんで。無事にお互い新年を迎えましょう!ではでは。

倉敷のくろやぎより


19通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2015. 10

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倉敷のくろやぎさんへ

 「プスプス、プスプス、元気にしてた?今日は疲れたわあ」。
くろやぎさんに、新しいお友だちを紹介します。ご近所でいつもわたしのぐちを聞いてくれる「にゃーさん」です。おうちのある外猫さんだと思われるのですが、首輪はしていません。仕事帰りの22時頃、1~2週間に一度くらいの割合(けっこう会えない)で同じ場所に鎮座しています。2年ほど前から今日あったできごとをきいてもらっています。この間、くろやぎさん直伝の「プスプス、プスプスって知ってる?」と尋ねるといつもと変わらずおでこをぐりぐりこすりつけてくれました。世界共通語と確信した次第です。
 ノルウェーへの旅、行けてよかったですね。そういえば私が倉敷店で働いていたころ、群ようこ著『かもめ食堂』(幻冬舎文庫)がよく売れました。映画にもなりましたね。フィンランドのヘルシンキで日本人女性が食堂を営むお話です。北欧のデザインやライフスタイルが注目されだしたのは、そのころからではないでしょうか。散歩や日光浴をしたり、気に入ったものを長く丁寧に使う姿勢は、今本屋の平台を見ても、「好きなものと楽しく暮らす」や「持たない暮らし」というようなキーワードにつながっていると思います。
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 もう14年前くらいになりますが、出版社S社のご招待でカナダ旅行に行ったことがありました。カナダのビクトリアにあるブッチャードガーデンという季節の花が美しい庭園に行ったのですが、おみやげを買うために並んでいると、前に並んでいた上品なおばあさんが私の買い物かごを見て、「とても良いものを選んだわね」というようなことを話しかけてくれたのです。突然英語で話しかけられてびっくりしましたが、今でも旅の思い出として鮮やかに心に残っています。そういう些細なことの方がけっこう覚えているのですよね。「細かい所までが気になるのが僕の悪い癖」というのは「相棒」の杉下右京さんのセリフですが、良い意味での細かい心温まることを、本屋の店内でも大切にしたいと思うのでした。
41jc+wlkmNL._SX342_BO1,204,203,200_.jpg 村上春樹さんは、惜しくもノーベル賞は受賞されませんでした。新刊の『職業としての小説家』(スイッチパブリッシング)でも、ノーベル賞予想について言及されています。『村上さんのところ』(新潮社)での回答「正直なところ、わりに迷惑です。(略)ただ民間のブックメイカーが賭け率を決めているだけですからね。競馬じゃあるまいし。」という言葉も村上春樹さんらしく、センスがあるなあと思いましたが、本書ではもっと深く、文学賞との関わりについて述べられています。村上主義者(「ハルキスト」という呼び名ではなくこの言い方を推奨されています)ではない私ですが、村上さんの小説やエッセイを読んでいると、人間の複雑な感情や、言葉に表せない・表わしたくないような深い思いを、それぞれの多くの人の心に寄り添うような平易な文章で、核心に近づいていく世界を作られていると感じます。時に、理屈っぽい、厭世的だと批評されるせめぎ合いの中で、自分の心を言い当てられた表現に出合うような文章が、年を経てほんの少しわかってきたのかなという思いです。私が『ノルウェイの森』を初めて読んだのが、確か中学生のころでした。表紙の鮮やかさに魅かれて買ってもらったのですが、初めて体験する性描写シーンに、読んではいけないものを選んでしまったと後ろめたい気持ちになりました。今読んだら、どんな気持ちになるのでしょうか。四半世紀を越えて挑戦してみたくなりました。
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 しろやぎも一つ楽しいことがありました。私も仕事ではありませんが、9月30日に三浦しをんさんの読書サロンに行きました。Y新聞社主催の人気作家の作品と素顔に迫る定期的に行われている会ですが、十数枚の参加希望はがきを書き、なんとか1枚当選した貴重な機会、650人の参加者に入ることができました。Y新聞に書き下ろした掌編小説の創作過程や、新刊『あの家に暮らす四人の女』(中央公論新社)で挑戦した、「語り」の話、目も耳も釘付けのひとときでした。『あの家で暮らす四人の女』を執筆するにあたり、三浦しをんさんも二十年ぶりくらいに谷崎潤一郎の『細雪』を再読されたそうです。大阪の旧家に生まれた四姉妹のお話ですが、初読時は「あまり事件が起こらない話だなあ」と記憶していたのに、今回読んでみると、「大雨で川が氾濫し、大変なことに!」とか「奔放な四女・好子が、アパートを借りて一人暮らしを!」とか事件が起こりまくりで、そして、真にハラハラさせられるのはもっと細かな部分で、「三女・雪子は見合いを重ねるもなかなか結婚できない。そんな彼女に、新たな見合いが持ち込まれた事実を、だれがいつ、自尊心を傷つけぬよう配慮しつつ切りだすのか」というようなところ。そういった人間関係がはらむ緊迫感は、大人になって再読しなければ味わえないことだと思うとお話しされました。そんな谷潤(タニジュン)先生の語りを意識して書かれた、『あの家に暮らす四人の女』を私もとても面白く読みました。谷潤先生の、数珠つなぎのような一文が長い文章を意識して、昭和感を出すために通常の文体より長くしたこと。『細雪』の登場人物の名前やエピソードの踏襲(物語の佳境では「下痢」の話も!)による読者への目配せ。そして何よりも、突然襖の隙間から見るような“第三の視点”と呼べる、谷潤先生ならではの「神視点」を物語内で挑戦したこと。お話を聴いて、三浦さんの努力と才能に再び惚れ直してしまいました。三浦さんの今最大の懸案事項は、「ここ数日仕事で家を空けているが、福山雅治結婚のニュースを聞いた(三浦さんの)母が、ショックのあまり倒れていないか本気で心配」と話されていましたよ。ご自身も、「失恋はしんどいですよ。私もオダギリジョーさんが結婚した時、生ける屍になりましたから」と。一途でチャーミングな方ですよね。「虚しさや悲しみを抱えている人が、何かしらを満たすものが創作物だと思っている。一期一会の出会いや人間関係をこれからも書いていきたい」と話されていました。
 三浦さんの文章は軽妙ですが、読書家である裏打ちが端々に表れていて、気負わない文章の中にも、読者を楽しませるための職人のようなこだわりときらめきがあると思います。標準から外れた破天荒な人々を描きながらも、日々の生活が前向きになるような、普遍的なオープンマインドさが読者を惹きつけているのではないかと思うのです。
 毎日会わなくても、遠くにいても、大きな力をくれる物語や人物、そんな存在にわたしたちも見守られて生活しているのだなと感じる秋の一日でした。
 山陽新聞レディアにくろやぎさんが紹介された、谷川俊太郎著『あたしとあなた』(ナナロク社)、とっても美しい本ですね。詩歌の棚を見直したいと思っていた矢先に良い本を教えていただきました。「本屋の質は詩の棚でわかる」という大先輩のことばもありますが、大きな目標に少しずつ挑んでいきたいと思っています。それでは、また。


阿倍野のしろやぎより

18通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙 2015. 9

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

 気が付けば蝉の鳴き声がいつの間にかコオロギの声に変わり、空気もひんやりとしてきました。先日スダチをたっぷり絞ったサンマをほおばりながら秋の本格的な訪れを実感したくろやぎです。
 しろやぎ先輩が前回お手紙で綴っていた「映像化原作、先に読むか?後で読むか?」問題、面白かったです。阿倍野と同じく映画館が隣接している倉敷としては、原作に愛着のあるお客様が映画館へと足を運んでくれたり、映画を見たことがきっかけとなり私たちの書店に観賞後原作本を買いに来て下さればいいなと思っています。時折映画をみたあと原作を読んですごく良かったからこの作家の他の本はない?というお問い合せを頂くこともあります。そうした瞬間は繋がっていく本の相乗効果を感じて嬉しくなります。くろやぎもこの夏、新潮夏の100冊の中から小野不由美さんの『残穢』を購入しました。誰もいない部屋しかもフローリングの部屋から聞こえてくる何かが畳を擦る音。見えるはずのない天上から垂れ下がる着物の帯。淡々とした語り口であることが余計に人間の想像力と恐怖心を刺激し、1人静かな空間で読むのが躊躇われる本でした。これが映画になるそうです。見に行きたいような、行きたくないような…。しろやぎ先輩、今度一緒にどうですか?
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 少し日々の仕事の話からは脱線してしまいますが、夏休みの最終日から1週間という長期休暇を頂戴し、くろやぎは北欧・ノルウェーを旅してきました。訪れたのは首都オスロとノルウェー第2の都市ベルゲンです。刊行点数がここ数年増えてきた北欧インテリアの本を眺めながらいつか訪れてみたい場所でした。飛行機に持ち込んだ音楽はもちろんビートルズの『ノルウェイの森』です。(村上春樹さんのあの本はお供にせず機内で例の恐怖小説を読了したくろやぎなのでした)旅の思い出は数え切れないほどありますが中でも印象的だったことを5つほど書き出してみたいと思います。

ノルウェーの人は傘をささない
皆フードをかぶるかあるいは何もしないで早歩き。傘をさしているのはほぼ観光客といった具合でした。

物価(特に外食費)がめちゃくちゃ高い!
ビールは1000円くらいしました。マ○ドナルドのビッグマックは1300円もするそうです。現地の人はあまり外食をしないってあとで本に書いてあるのを読みました…。

見知らぬ人が笑顔で挨拶する国。
小さなスーパーマーケットや公園などで目が合うと”Hi”と挨拶を自然にしてくれます。日本ではあまり見かけない素敵な光景だな、と思いました。

猫への呼びかけ声が「プスプス」。
 いつだったか女優の菅野美穂さんがスイスへ行く番組で使っていて覚えていたのですが公園にいた猫に本当にプスプス、プスプス呼びかけていて。私も使ってみました!


みんな外で日光浴。
日本と違い夏が短く冬の厳しい北欧の人たちが夏を惜しむように陽の光を浴びるのは本当なのだなぁ、と実感しました。大学構内の芝生でも大勢が寝転んでいて、中にはパンツ一丁の学生もいました笑。

 普段自分が暮している環境とは全く異なる文化の中に身を置くことで気づかされ、考えされられることの何と多かったことか。日本の外に出ることで日本の良い部分、悪い部分も見えてきます。(おもてなし、と呼ばれる日本の過剰サービスに慣れていると基本セルフ、な海外では戸惑うことも笑)旅に出ていた1週間ほどは幸か不幸か仕事のことを全くといっていいほど考えませんでしたが、逆にそれが良かったのかもしれません。久々の出勤時は気持ちがリセットされ、頭が澄んだ状態で仕事に向き合うことができるようになっていました。そんな中で手に取ったのは
『女、今日も仕事する』(ミシマ社)という本です。
41JDkSgEk5L._SX338_BO1,204,203,200_.jpg著者である大瀧さんは大学卒業後SEとして企業で働いていましたが、出産をきっかけに一度家庭に入り、その後子育てをしながら在宅勤務での商品開発やバイヤー職といった新しい働き方を築いていった方です。昨年、私のいる店舗倉敷でも同期として一緒に働いていた女性社員が現場社員初の産休・育休を取得する姿を間近で見てからずっと「女性が長く仕事を続ける」ということについて何か納得のいく答えはないものかとモヤモヤしてきました。というのも、産前休を取得できるギリギリまで悪阻や体の変化による体調不良と格闘しながら大きなお腹を抱えて現場で担当ジャンルを全うしようとする同期に接しながら、本来なら彼女のその時の状況に寄り添い、復帰後のことも含めて最善の方法を一緒に探せたはずなのに、職場としてはじめての状況に遭遇した私たちはただただ戸惑うばかりで何もできなかったことを今とても後悔しているからです。出産後、子育てをしながら、同時に今まで築いてきた書店員としての仕事もそこで終わりにしない生き方。前例、モデルケースがないなら難しいのではないか、と今までは思ってきました。けれど大瀧さんの本に書かれた一節にモヤモヤを振り払ってもらったように今は思います。

「誰かから与えられた選択肢だけでなく、一回ちょっと引いてみて、自分でも新しい選択肢を考え、質問からつくり直してみる。そうすると、仕事のやり方がガラッと変わったり、思わぬアイデアが浮かんだりします。」
某『日○ウーマン』などに登場するバリキャリ女性の生き方を読んでもどこかかけ離れていて共感できなかったけれど、大瀧さんの地に足のついた、というのか、一つ一つ丁寧に言葉を選んで語られるこの本を読むうちに、もう少し視野を広げて大らかに周りを見てやってみよう、と思えるようになりました。
 夏の終わりに旅や素敵な本に出会えたことが良かったのだと思います。もうすぐ冬商戦。チーム一丸となって良い棚、良い店に一歩でもしていきたいです。しろやぎ&くろやぎの妄想を理想に!書店、一漕ぎ一漕ぎ、築いていきましょう!!
追伸:我らの尊敬する元・上司のカフェがオープンしましたら絶対訪ねて行きましょうね!



倉敷のくろやぎより

17通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2015. 8

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倉敷のくろやぎさんへ


残暑お見舞い申し上げます。本当に毎日暑い日が続いています。空調の入らない朝の荷明けで大汗をかくので、着替えを持って行くようになりました。少しばかりすっきりして、文庫の売れ筋などを切らすまいとせっせと注文をしています。夏の文庫のフェアのノベルティも、お客さまにご希望のものを選んでいただきたいから、たびたび出版社616g1+sYfDL._SX354_BO1,204,203,200_.jpg
に追加のお願いをしています。一番人気は『バケモノの子』(KADOKAWA文庫)のブックカバー。倉敷店と同じく阿倍野店も、映画館併設のテナント店なので、映画化原作は如実に反応が出ます。ありがたいこってす(という題名の絵本があります)。細田守作品、私は『サマーウォーズ』を観ましたが、『バケモノの子』も、映画帰りのお客さまの表情を見るに、スケールの大きな爽快な作品なのだろうなと想像します。
 辻村深月さんは『本の旅人』(2015年6月号)で、『バケモノの子』について、「原作も映画も、どちらも楽しむことをオススメしたい」と述べられています。「『バケモノの子』を読むと、頭の中で絵が浮かぶ。(中略)しかし、細田監督の映画が、それを何倍も上回る表情や声を私たちに届けてくれることを知っている。先に映画を観た人にも、どうか小説を読んでほしいと思う。あの素晴らしいアニメーション映画を、細田監督がどんな言葉で表現し、あれらの感情をどんな思いで紡ぎあげたのかが、ここには全部書いてある。」ここに、原作と映画の理想的な関係が全て入っていると思います。ラジオ番組でご一緒した桂坊枝さんは、お話の中で「自分は落語家なので、まず想像力を映像で膨らませてから、本で細部を読みこんでいくほうがしっくりくる」と仰っていました。私はといえば、どちらかというと、原作を読んでから映画に臨み、描いていたイメージと異なる部分は、つい批判の対象にしてしまいます。映像にすることで細部まで具体的になることが、物語の良いところを失くしてしまうと恐れているのです。こういうところにも心の狭さと小心者具合が露呈します。実際に観るまでは批評してはいけないですし、仮に原作本と異なる違和感を持ったとしても、自分のことばで語ることを実践しなければならないと思います。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(ハヤカワ文庫)は映画化後、再び原作本が売れた好例です。ファンタジックで実写化が難51K-QUg0vPL._SX350_BO1,204,203,200_.jpgしいと思われるのに、映画がすばらしかったとの声をいろんなところで聞きました。私は先日映画「あん」を観て、翌日自店でドリアン助川さんの原作本(ポプラ社文庫)を購入することが待ち切れずに、帰り途中の書店で買ってしまいました。文庫担当なのに、その半日が待てないなんて!こんなに人の心を揺るがす多くの物語が仕事としてそばにあることを、もっとわたしたちは誇りにして、生きる原動力にしてもいいのではないかと思うのです。
 『海の本屋のはなし』(苦楽堂)に、お客さまと書店員との交流がとても具体的に書かれています。くろやぎさんも好きと言っていた、第5章「仲間たち」の中に、海文堂の書店員さんが、休みの日に他書店に行って検索端末を使って調べてもわからなくて、その店の書店員に聞いたら棚の前までは案内されたけれど、そこからは自分で棚の中41SzWDbuJgL._SX344_BO1,204,203,200_.jpgから探さなくてはならず、結局探せなかったというエピソードが載っています。愕然としました。私は棚の前でお客さまに「ありがとう」と言っていただいたら、引き返してくることをしていたからです。根掘り葉掘り尋ねることを望んでいないお客さまもいらっしゃいますが、自分の接客が一人ひとりの要望に応じたものとは思えないのです。言葉に出さなくても、店員の醸し出す雰囲気でその先の要望を閉ざすお客さまもいらっしゃいます。心を震わされるものを商いで扱っているからには、「プライバシーには踏み込まない」といったような画一的な接客を超える力が書店の現場には必要でないかと思うのです。
 他書店に取り置きをお願いした時、電話口で「どうぞ気をつけてお越し下さい」と言われたことがあります。ビジネストークだとしても身を案じてもらえたことが意外で嬉しかったです。あるいは付録を輪ゴムでとめてあった「音楽の友」を他書店で購入した時、輪ゴムをわざわざとって袋にいれてくれたこと、また袋の口を留めたテープをはがしやすく隅のほうを折ってあることなども然りです。本屋ではありませんが、伊勢名物A餅のお店では、お釣りのお札を渡す際、財布になおしやすいように紙幣の人物が逆さに財布に入り、なおかつ五千円が財布の内側にくるように、とても自然な所作で丁寧に渡してくれます。また、「あるとき~ないとき~」のCM(関西限定かな?)の中華総菜Hでは、どの店に行っても元気な挨拶と、決して強引ではないおすすめ商品の案内があり、ついこちらも笑顔になってしまいます。細かいことが気になる性質なのかも知れませんが、安定感のあるお店とお客さまとの交流は、私たちの生活圏内で繰り返される日常の習慣となるように思うのです。
 村上春樹が世界中から届いた3万7465通のメールを読破し、回答を重ねた『村上さんのところ』(新潮社)を読みました。私は期間限定サイトの頃から読むのを楽しんでいたのですが、多くの回答の中で印象深いものの一つに、20150804-00007332-davincia-000-1-view.jpg
「心の中で批判や中傷をどうやり過ごすか(質問224)」との回答に、「規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。(中略)朝は早起きして仕事をし、適度な運動をし、良い音楽を聴き、たくさん野菜を食べます。それでいろんなことはだいたいうまくいくみたいです」とあります。村上春樹さんだからこその含蓄のある言葉だと思いますが、日々を規則正しく生きる多くの良心的な人々の日常に本屋が入り込むことの必要性を、『海の本屋のはなし』や春樹さんの回答を通じて強く思ったのです。こちらも先日読小川洋子さんの『とにかく散歩いたしましょう』(文春文庫)のエッセイの中で、「校閲者や庭師のように自らの気配を消して、以前からずっとそこにあったと読者に錯覚させるような小説が書きたい。そういう小説を書くためにはやはり、誰の目にも触れないところでたった一人悪戦苦闘しなければならない」と書かれています。dorama2_n32786121.jpgずっとそこにあり続ける努力はあけすけにはしたくありません。書店員も、商品知識の習得や仕入れの苦労などを声高に叫ばずに、当然のように美しく揃えられた棚を、お客さまの日常に差し出したいと思うのです。このように、たまたま手に取った本の中にも、本屋の姿が投影されているように感じたのです。華やかでなくても、毎日足が向いてしまうもの。たとえ毎日通わなくても、あの本屋は今日も開いていると思わせる安定感。そして実際に行くと、公平で真摯な棚と店員がいつでもいる本屋。「海の本屋」の真似でもない、そんな本屋で仕事を続けたいのです。
 「しろやぎ妄想書店」と言われないように、何かできることはないかと考えています。ここで、すでに妄想なのでしょうかね。寝覚めの悪い夢で終わらないように、元気に出勤、大きな声で挨拶、そんな基本的なことをおろそかにせず始めていきたいなと思います。
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 最後に、スタンダードブックストアあべのさんで開催中の「evergreen booksフェア」。8月31日までのフェアです。私も2冊選書をしました。長嶋有『いろんな気持ちが本当の気持ち』(ちくま文庫)と阿川弘之『雲の墓標』(新潮文庫)です。直後、阿川弘之さんの訃報を聞きました。私にとっての大切な一冊です。
 くろやぎさん、くれぐれもご自愛ください。くろやぎさんとなら、妄想書店を理想書店にできると思っています。それにはなにより元気がいちばん。それではまた。



阿倍野のしろやぎより

16通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙2015. 7

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阿倍野のしろやぎ先輩へ

今朝ニュースで中四国地方も梅雨明けだと報じていました。出勤時間の8時台からすでに太陽がバシャーと降り注いでいます。職場に着く前に溶け去りそうな勢いです。
 さて倉敷では先日無事に夏の商品入替大作戦を終え、中央通路フェア台に文庫畑が登場しました。色とりどりの文庫。今年は何を読もうかと目がウロウロしているくろやぎです。恒例の芥川・直木賞発表も終わりましたね。ここ数日、大変多くのお客様より「『火花』はないの?」「花火はどこ?」とお問い合わせをいただき、もはやタイトルが火花だったか花火だったかわからなくなりそうです。暑さのせいもあります。
41SzWDbuJgL._SX344_BO1,204,203,200_.jpg 先月のしろやぎ先輩のお手紙を読み、くろやぎもこの倉敷という土地で生きるということ、働くということを大切に考えていこう、という気持ちを強くしました。本当の意味での地域密着書店とは何であるだろう、とも考えました。そんなことを考える折、しろやぎ先輩からの社内メールを通じて海文堂書店Hさんの『海の本屋のはなし』が刊行することを知り倉敷にも早速陳列したのです。私はこの本の第5章・仲間たち、という章が特に好きです。書店現場で働いた者にしか語れないお客様との会話や情景に溢れているから。中でも検索端末の紙を持って海文堂を訪れたお客様の話に心惹かれます。リアル書店における書店員の役割と地域密着書店ということを考える時の大切なものがこのエピソードを通して私には見えてくる気がするのです。Hさんのこの本はしろやぎ先輩との往復書簡同様、私の書店員としての背筋を正してくれる新たな存在となりそうです。
 背筋をまっすぐにしてくれた出来事が先日もうひとつ。七ツ森書館Yさんの来岡です。Yさんは何年も前から坐禅断食を続けておられ、今回も小豆島での断食を終えたあと声をかけて下さいました。断食明けにも食べることのできる料理を作れるという「野菜食堂こやま」さんに連れて行って頂きました。地元の出版社である吉備人出版さんからお店と同名の料理本も出版されていて倉敷店でも随分売れましたが、行くのははじめて。
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重ね煮という手法でじっくりと煮込まれた野菜たちは、え、、こんなに野菜は甘いものなのか?!とただただ驚く深い味で、作り手の丁寧さが伝わってくるお料理でした。断食という未知の世界に興味津々で本の話そっちのけで質問責めにしてしまったのですがYさんはわかり易く説明してくれました。坐禅断食後は頭が冴え、心に波風が立たないそうです。うらやましい・・・くろやぎに必要なことです・・・!かつてYさんがインド旅の道程で目的地に辿り着けないかも知れない、帰れないかも知れない、という窮地に立たされた際、普段から行っていたこの坐禅瞑想を行ったことで冷静さを取り戻し、危機を乗り切ったというお話が非常に印象的でした。Yさんはこの時のことをもってして、本当に困った時に力を発揮するものってそんなにないんです、でも坐禅はそうでした、というようなことも話されていて、とても考えさせられたのです。断食、、はすぐにはくろやぎには無理かもしれないけれど、坐禅をはじめてみたい、とこの時強く思ったのでした。
51+nzzC89AL._SY344_BO1,204,203,200_.jpg 読んだ本のお話もひとつさせてください。カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』(早川書房)読了です。この小説は感想を話してしまうと物語の秘密に触れてしまうため多くは語れません。代わりにイシグロ氏が先日来日してTV番組で文学講義をしていてすごく心を動かされたのでそのことを少し書こうとおもいます。まさにこの講義で語っていたことに氏の小説が当てはまっていました。イシグロ氏が長年の執筆活動の中で気づいたことだそうですが、自分が小説を書く上で重要なことは心情を伝えることなのだそうです。そして小説はノン・フィクションでは描けない特定の状況で感じる重大な心情や気持ちを伝えることが可能だ、と話していました。我々書店員は小説だけでなく様々な分野の書籍を扱ってはいるけれども、改めて文学の持つ力に希望を抱くことのできるインタビューで力をもらいました。
 もうすぐ8月、暑さが更に厳しくなりますが、版元さんのお話や本たちに元気を分けてもらって乗り切りたいです。しろやぎ先輩も熱中症には気をつけてお過ごしくださいね。
落語家の桂坊枝さんとの゛映画、観てから読む派?!゛のお話が先月から気になり続けているくろやぎに次のお手紙で是非救いの手を・・・!ではでは。


倉敷のくろやぎより

15通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2015. 6

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倉敷のくろやぎさんへ

 梅雨の6月、祝日もないので集客も厳しい6月。わが社は棚卸月なのに月末に常備入荷が大量にある6月。そんな6月ですが、恩師の命日がある6月は、しろやぎにとって大切な月です。
 18年前、K先生は病名判明後わずか半年で、風のように私たちの前から旅立っていかれました。多くの学生から慕われていた先生でしたので、在学生も卒業生も教えを受けた者皆が突然の深い悲しみに陥りました。幹事教授で多忙を極めておられましたが、研究室に来る学生を歓迎し、気さくでそれでいて後々まで記憶に残る話を沢山してくださいました。一度、先生と二人で大学から最寄りの駅まで歩く機会がありました。進路の話でK先生は、「いっちゃん(講義では厳しかった先生ですが、普段はあだ名で呼んでくださることがありました)は根性があるから何でもやれる」と言ってくださいました。学生一人一人をよく見ていた先生の、本当に何気ない一瞬のご発言でしたが、この言葉が生涯、弱い心の私を助けてくれると思うのです。
 先生のご研究は「万葉集の風土的研究」というものでした。万葉集が詠まれた土地を実際に歩き、理解してこそ万葉歌の正しい解釈ができるというご高説は、実体のある本屋という場を仕事にしている現在の私にも今なお影響を与え続けていると感じずにはいられません。K先生に恥ずかしくない生き方をしようと、6月がくるたびに思うのです。
 私的なお話が過ぎましたね。今、しろやぎが勤務している阿倍野の土地について考えを改めるできごとがありました。先日、ラジオの公開生放送(7~8分間です)で、落語家の桂坊枝さんが来店されました。本番前に少しお話しをすることができたのですが、坊枝さんの学生時代に先輩が勤める会社の寮が、現在本屋が入店するアポロビルの裏側にあり、よく寝泊りをさせてもらっていたと懐かしそうに話されました。私自身は通勤のために、アポロビルと自宅を往復するだけで、阿倍野の土地のことはほとんど知らないのです。また、隣にあるあべのハルカスという観光施設や、アポロビルに映画館があることなどから、どちらかというと本屋に来るお客さまにとっても、阿倍野は遊びにくる場所という方が多いのではないかと思っていました。坊枝さんは昔あった小さな飲み屋や銭湯、商店街のことも細かに覚えておられ、阿倍野が青春そのものの土地であったそうです。現在、店にも朝一番に定期購読の雑誌を買いにきていただいたり、一週間に何度もお見かけする近隣のお得意様も沢山いらっしゃいますが、その土地に入り込めていない私としては、阿倍野がハレの場としてのイメージが強すぎたのです。今は阿倍野からは離れている坊枝さんが地元愛を持ち続け、また、私が若い頃にK先生や友人と歩いた奈良の飛鳥や山の辺の道を好きでいるように、阿倍野の観光地とは異なる土地の側面をもっと実感しなければいけないと思いました。この気持ちを棚や品揃えに反映させたいと思っています。
 折りしも店の目の前の古い建物が取り壊され、今店内の大きな窓からは天王寺動物園の森林や、その向こうの歓楽街のネオンもよく見えるようになりました。通天閣までの距離もぐっと近くに感じます。売上が見込めると仕掛けた、井上理津子著『さいごの色街飛田』(新潮文庫)は累計224冊売れました。もちろん他の阿倍野周辺の本、土地の愛を感じる本も、日本一売ってやろうと思っています。
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 地域密着の一つの形として、阿倍野店社員有志でタウン新聞の書評連載を始めました。第一回目に私が選んだのは、山崎ナオコーラ著『可愛い世の中』(講談社)です。登場人物の四姉妹、花、豆子、草子、星は働き方も収入もばらばら。次女で32歳の豆子の結婚話を中心に、人生と共に変わる金銭感覚の新鮮な視点や、お金で回る社会の信頼度などについて描かれています。思うところの沢山ある物語なのですが、特に豆子が末っ子・星の「(お金は)稼げる人が稼げばいいじゃない」という発言に対して内心違和感を持ち、「仕事をやろうと思えばやれる人と、実際にやり続けている人を一緒にしないでほしい」という思いに大きく頷きました。それぞれが異なる価値観をかざして生きているのだから、幸せの形も違ってくるということは、この多様性の時代には言われなくてもわかっているのです。どんな生き方をしても咎められることは少なくなりましたが、結果だけでなく、その多様性を受け入れる過程を一人一人がもっと自覚していけば、社会はもっと過ごしやすくなるのではないかと思うのです。
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 坊枝さんと話題になった、「映画を観てから本を読む派か、またはその逆か」ということも書きたかったのですが、紙面が尽きてしまいそうです。日々の暑さのせいで忘れていなければ(!)、また次のお手紙でね。
 くろやぎさんにとっても大切な6月が、NEWチームくろやぎの幸せをますます実感できる月でありますように、心から願っております。それでは、また。



阿倍野のしろやぎより



14通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙  2015. 5

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阿倍野のしろやぎ先輩へ
 G・Wの喧騒も過ぎ去り、倉敷店にも穏やかな日常が少しだけ戻ってきた今日この頃です。このところ明け方は冬のような空気の冷たさであったり、夜は夏の蒸し暑さがやって来たりと体温調整に困ってしまう日が続いていますが、しろやぎ先輩は体調崩されたりしていませんか?先日、くろやぎは数年ぶりに大風邪をひいて3日連続寝るだけの日を過ごしてしまいました。体調管理も仕事のうちであるのに情けないことです。R―1ヨーグルト効果がウイルスに負けてしまいました…。
 風邪で心が少し弱気になっているくろやぎに今月は更にさみしい出来事がありました。7年間共に働いた文庫担当Oが来月退職するのです。ほぼ同時期に入社した彼女は私より随分年下で一見おっとり天然さん、に見えますが文庫担当としてめきめきと成長を遂げ、売れるアイテムを広大な文庫の海から見抜いて仕掛ける感覚を研ぎ澄ましていきました。 
 かつて互いに新人であった頃、フィリップ・プルマン原作の映画「ライラの冒険」の文庫『黄金の羅針盤』(新潮社)の発注を任された彼女と私。ですが隣接している映画館で上映される作品の原作本がどれぐらい動くのかを把握しきれず長期間に渡って原作本を店頭品切れ状態にしてしまったことがありました。また、自店の大規模な改装という一大イベント時期には、彼女と私とで担当していた事務処理で凡ミスをやらかしてしまい、改装の疲れというおかしなテンションも相まって号泣したこともありました。今思い返すとそうした失敗の数々を糧にたくさん考えて、考えて、お互い成長してきたのだなぁ、と思うのです。そして熱心な眼差しで文庫棚と向き合ってきたOの姿を改めて今想うとき、前回のお便りでしろやぎ先輩がおっしゃっていた「本屋は人である」という言葉をぎゅっと抱きしめたくなりました。もう彼女の作るエンド台の並び、POPが見られなくなると思うと悲しみがこみ上げてくるのですが、しっかりとOの築いてきたものを引き継いでお客様へと還元していかねば、と心に強く誓いました。
 今回の手紙はどうもしんみりしていけません。嬉しい出来事もありました。3月の末に看販会医書版元の担当さんが初来店下さったのです。倉敷店が医書棚を増設してからずっとのお付き合いで、様々なフェアを提案下さったり、常備出品がまだ厳しい状況であった増設当初も、長期セットを組んで何とか当店の医書実績を作ろう、と協力下さっていた版元さんでした。医書増設当初は私達がとにかく医書のあらゆるフェアに参加申し込みをしていたので(増設時はいったいどんな分野が自店で動くのかさっぱり分からなかったので…)「全てのフェアに参加してくる書店」として強い印象を持ってくれていたみたいでした(笑)。無知ゆえの無謀な挑戦だったので思い出すと恥ずかしくもありますが、「これからも倉敷店さんらしく、色々なことにチャレンジする姿を楽しみにしています。そのために我々版元を遠慮なく活用して下さいね」という有難いお言葉を頂戴しました。一方でお話しするなか、私達に不足しているのは商品分析力だな…と気付かされ反省する部分も大いにあったのですが。けれども新刊だけでなく既刊でも仕掛けたい、というものがあれば積んでみて欲しい、結果売れなくても返品はとるから、と言っても下さり、私達書店員はこうしたところでも出版社さんの後押しに支えられ続けている、と実感しました。前回のしろやぎ先輩のお便りにも呼応しますが、返品率の増加をでき得る限り抑えたいという取次の立場もとても理解できるものの、書店現場に立つものとしては、売れるかどうかは分からない、けれど挑戦してみたい!という思いもあるんですよね。年度版の実績配本にしても、例えば昨年10冊売ったのなら今年はそのプラス5冊いや10冊は売ってやりたい!!と欲が出るんですよね(笑)それもやってみなければ分からない。失敗して売れ残るかもしれないけれど販売してみるまでは分からない。このジレンマのなか、やはり版元さんから頂く「挑戦してみたら」のお声は私達書店現場で働く者の強い支えですね。
 そんなこんなでこの5月はくろやぎにとって書店員としての自分の足元を見つめ直す月となりました。そしてしろやぎ先輩のお便りにあった「良い循環を店内や社内で起こせたら」-に私も強く賛同しています。本屋は人だから!小さなことから私もここ倉敷で意識していけたら、と思います。
 次回は久々に読んでいる小説のことについても書けたら良いなと思っています。『わたしを離さないで』(早川書房)から約10年ぶりとなるカズオ・イシグロの長編『忘れられた巨人』を読み始めました。
51+nzzC89AL._SY344_BO1,204,203,200_.jpg前作もそうでしたが冒頭から静けさと、何やら謎めいた不穏な空気に満ちています。自分が深い霧のなかにいるみたいなはじまりです。しろやぎ先輩は今読まれている小説ありますか?また教えて下さい。それでは。

倉敷のくろやぎより

13通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2015. 4

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 菜種梅雨ということばが今年ほど似合う春はありません。新刊台の文庫の表紙がくるんとそっくり返り、慌てて直して回る毎日です。
 過日は突然の四年半ぶりの再会に、驚きと嬉しさでことばになりませんでした。話したいことはたくさんあるのに、すぐにこの幸せな状況に順応できない自分自身の不器用さがもどかしかったです。それでも隣に座って必死にメモをとるくろやぎさんから、以前と全く変わらず一生懸命に本屋の仕事を続けていることが感じられて、本当に嬉しいひとときでした。今度はもっとゆっくり会いたいですね。
 限られた時間の中で、「同じ文芸担当の上司と新刊のスリップのちぎり合いの競争を呈している」というお話しがあり、変わらない倉敷店の風景にも大いに元気をもらいました。売れる・売りたい新刊書籍で入荷数の少ない本をすぐに発注できるように、補充売上カード(スリップ)を本から抜け落ちないように気をつけながらさっとちぎっておく作業は、本を熟知する上司がどんな本に注目しているのかをそっと盗み見、また自店に合った商品展開や、日頃のアンテナから感覚的に嗅ぎ取った売り伸ばしたいと思う本に、売上アップに貢献するべき運命共同体の使命を担わせる最初の作業で、人知れずわくわくしたものです。現在私はささやかにその作業を一人で続けています。ずいぶん前に、いろいろな店を経験している先輩社員が「売れない店ほど電話注文をしない」と言っていましたが、店による差異はあるにせよ、入荷したものだけをそのまま並べる店が多くなっているとしたら、寂しいことであるなと思うのです。
 くろやぎさんやしろやぎは、スリップを活用したり、電話やファックス注文を礼賛する立場で本屋の仕事をしていますが、置かれている立場により、言い分は違ってくることを心に留めておかなくてはなりません。例えば、くろやぎさんがしろやぎDNAを受け継いでくれているという教育書の「攻める販売陳列」も、ある版元さんには「今どきこんなに積む(非効率な)店はないですよ(追加対応で十分)。」と失笑されることもありました。また、返品率の増加をめぐり取次店の立場では、例えば文庫は自動発注をすべて切り、一覧表の注文などでだぶった書目は返さずに生かしてほしい、とおっしゃいます。そして、ある取次会社では、福祉関連の資格書を取次独自のランク配本にし、年度版の新版が昨年実績より大幅に少ない配本でしか入荷しない事例があるそうです。そのような中で書店側の立場を尊重し、文庫の一覧書注文分は三か月延勘にしていただいたり、版元側から「年度版切り替えの新刊はお客さまにアピールしたいですよね」と即座に追加注文を出荷してくださると、心強い同士を得たようで、ありがたいなと思うのです。
 ファックス注文にしても、ほぼWEB注文しか受け付けない版元に比べれば、出版社側で入力する作業は煩雑であると思うのです。それなのにこちらのアナログ手書き注文に対して、営業担当者の間で「いつも入・残を書いてこまめにファックスを送っていただいて、いかにわたしたちの会社の本を大事に売って下さっているかと話しています」とおっしゃってくださったり、ファックスを送付していた関西支社の閉鎖により、送付先の変更を営業担当者の異動後も心配して連絡をくださることに、心から感謝の思いがこみあげてくることも事実です。くろやぎさんの仕事の姿勢や、そうしたお心遣いをしてくださる出版社の方を見ていると、やっぱり「本屋は人である」というシンプルな考えに行き着くのです。そんな温かい気持ちの応援で、私は仕事ができている、毎日動けているのだと思います。そして、与えられているだけの年代はとうに過ぎていますので、できるかぎり、そのような良い循環を店内や社内でも起こせたらなと思っています。
 おたよりの最後に、本当にあった“怖~い”お話を一つ。西加奈子さんの『サラバ!』の直筆色紙を見ていた女性のお客さま(60代くらいの大阪のオバチャンです)よりひとこと、「えっ!この書店なくなるの?!好きやったのにぃ~」。「違います!本の題名なんです!それも直木賞!」・・・全力で否定しました、笑えないですよね・・・。しろやぎと同じ町に住んでいらっしゃった桂米朝師匠は残念ながら亡くなられて寂しく思っているのですが、落語の落ちないオチのようなやりとりが日々続いている阿倍野店なのでした。


阿倍野のしろやぎより

12通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙  2015. 3

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 2月のお便りを受け取ってから気が付けばもう3月。早いですね。草津への1月出張で日々の運動不足が祟って体力を完全に使い果たし正直フラフラでした。けれどもけれども、2月、しろやぎ先輩とまさかの再会を大阪で行われた看護書販売を考える会研修会で果たすことができ、くろやぎは言葉では言い表せないほどの元気と勇気をもらいました。研修会に参加することはお互い知らなかったので本当ビックリでしたね。受付カウンターに置かれたしろやぎ先輩の名前入りの名札プレートを見つけて「んっっ?!?」。看販会主催の版元さんたちとのご挨拶もその名札を見てからどこか上の空(コラー!)。再会の瞬間くろやぎの口からは「ホワァァ~!」という全く意味不明な感嘆詞が漏れ出ていました。
 毎月こうしてお便りやメールを定期的に交わしてはいても実際に会うのは数年ぶりだったですね。倉敷の改装以来でしょうか?くろやぎは何だかもう話したいことや聞きたいことが山のようにありすぎて逆に頭真っ白になっていたのでした。でも短い時間だったけれどお互いなんとかかんとか踏ん張って書店員をやっていることを確認しあえたのが心強くもありました。別れ際しろやぎ先輩とガッシリとした握手。あの時もらったエネルギーでこないだ春の教育保育フェア出しもどうにか終えることができました。
 看販会の研修会も初参加でしたがとても刺激を受けましたし、医書・看護書を販売する担当として前向きになれる会だったなと思っています。実際に看護師の方がどのように、どのタイミングで、どんな本を買っているのかが分かり、じゃあ売り場では今後どうしたら良いのか多くのヒントをもらえました。倉敷では改装して医書棚を増設して4年、ショッピングモール内に医学書があるということを勤務医や開業医つまりドクターの方々にいかに認知してもらうか?が課題であり続けているのですが、ドクターの方々だけではなく看護師の方たちへももっと医学書販売を強化していく、という新しい視点をもらいました。まだまだ工夫できるし、やれる糊代はある!と実感できた会でした。そして何より他店で日々医書看護書棚の担当をしている方たちと様々な意見を交換し合える場であったことがこの上ない収穫でした。立地も客層も皆さん異なっていて、でも共通して売れているアイテムがあったり、逆にえ、、倉敷ではそれぜんぜん売れてないのに・・・と慄いたり。叶うならまた来年も参加してしろやぎ先輩に会いたいです。(でも本当は研修会とか抜きに酒を酌み交わしに会いに行きたい)
 そうそう、先月のお便りで書かれていた「しろやぎメソッド」について。NR出版会のTさんに出版会新刊重版情報の中の「書店員の仕事」原稿を送信する前にも「しろやぎ先輩のDNAを継いだくろやぎならではの原稿を待っている」と言われプレッシャーと喜びを感じたのですが、更に先日来店された喜楽研Hさんにも同じことを言われました。教育書をがっつり山積みしていたのを見て、「攻める販売陳列!!しろやぎメソッドを引き継いでいますなぁ~」(ニッコリ)って。こう言われることがとにかく誇らしいくろやぎでした。NRさんにお渡しした原稿を書き終えたあと以前しろやぎ先輩が寄稿していた記事をファイル内に見つけて読み返したんです。そうしたら日々くろやぎが考えているようなことがそのまま言葉となって綴られていて、ここでも「DNA・・・!」と確信しました笑 原稿ではNRさんの新刊情報を倉敷のスタッフ間で回覧していることなどを書かせて頂いたんですが、原稿送付後Tさんから意外な事情を知らされたんです。それはここ最近書店からの注文があまり取れなくなっていることから、新刊重版情報発行の存続が危ぶまれている、というものでした。そんななか私が書かせてもらった内容が新刊情報を店でどう活用しているかについてだったことは偶然にしても良かったのかな、、と思いました。一書店員の意見でしかないですが、経費等の事情はあるだろうけれど、紙媒体の書店へのこうした情報資料から考え、生み出せることもあると信じているので。生来アナログ気質なくろやぎにはこういうものの方がしっくりきます。(現にしろやぎ先輩へのお便りも一発勝負でワードに起せません・・・。1度手書きで紙に書かないと頭に文字が浮かんでこない・・・)
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 こんな具合に今年の春の始まりはくろやぎにとって書店員としてこれからも張り切って行くぞ!と思わせてくれる出来事ばかりでした。しろやぎ先輩の素敵やまとなでしこ(なでしこに遅いも早いもありませんYO!)なトレーニングの目標、お客さまの動向をつかむという書店員としての目標を見習いくろやぎも背筋を正しました。くろやぎの目標は・・・鳥の目を持つこと、にしよう。自分で言ってて分かりづらい!自分の状況もですが店全体の状況を鳥が上空から全体図を見渡すみたいにもっと把握して皆の的確なサポートだったりができるようになりたいです。そのために(?)今は遠藤保仁氏の『変えていく勇気 日本代表であり続けられる理由』(文藝春秋)を読んでいるところです。ではいざ、くろやぎ、飛びます・・・!


倉敷のくろやぎより

11通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2015. 2

shiro.png寒さの底が見えない2月、たびたびの出張応援でお忙しく過ごされていると思います。お疲れが出ていませんか。笑っていますか。1月が終わり、2月も半分以上過ぎようとしています。一日一日を大切に過ごしたいですね。
 1月にあった嬉しいことを書かせてください。一度お目にかかったきりの医書出版社営業担当の方と、お年賀状のやりとりを数年間続けていました。元旦に届いた年賀状に、「今年はお店に伺います」と書かれていたのですが、本当に三が日明けすぐに来店されたのです。何とも早い有言実行、とてもありがたかったです。医書は仕入条件の面で厳しいことが多いです。それでも確実に購入してくださるお客さまがいらっしゃり、物言わずとも書店の品揃えを評価されます。担当者として次回の来店、購買につなげることを模索しています。近隣の大学病院内の生協と競合店の多い立地の中、生き残るための作戦を真剣に話してくださりました。看護書で新刊台を作ること、看護・医学雑誌の仕入れの充実を書店側から積極的に版元に訴えること、生協で購入する書籍以外の、例えば臨床看護の書籍をきちんと置くこと、ネット書店で購入しがちなレジデントに向けて救急診療や夜間外来の総合診療に役立つ書籍の突破口を探ること、看護師国家試験対策本の各社の特長をお客さまに説明できることなど、具体的にご教示いただきました。新年早々、看護書・医書の販売に希望を頂いた来訪でした。
 そして、第152回芥川・直木賞の発表。小野正嗣さんも西加奈子さんも大阪にゆかりのある方で本当に嬉しかったです。テレビのニュースで知り、家族で万歳三唱しました。次の日、お祝いの気持ちを伝えたくて、西加奈子さんの担当編集の方にメールをお送りしました。お忙しい中、「ありがとうございます、、、(泣)」とご返信がありました。西さんの才能を磨きデビューさせた編集者の、これほど気持ちの伝わる言葉はありません。一文だけで泣けてきました。後日、西さんからも関西の書店に向けて直筆のお便りをいただきました。「本屋が好き」と公言し、受賞後の記者会見でも本屋のことを気にかけてくださる西さんらしい心のこもったお手紙でした。嬉しかったです。昨夏第151回直木賞受賞の黒川博行さんの『破門』(KADOKAWA)は、阿倍野店が物語中に登場します。昨年の12月には『恋歌』(講談社)で第150回直木賞を受賞された朝井まかてさんにもご来店いただいたのですが、その直後に『阿蘭陀西鶴』(講談社)で織田作之助賞を受賞されたのです。阿倍野店、とても縁起の良い店だと思いませんか!勿論、それぞれの作家さんの才能と努力の賜物なのですが、阿倍野という場で商いをしているからこそ立ち会えた感動を、本当に身近に味わわせていただきました。

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 このように年の初めに温かいしらせを多く受け取りました。くろやぎさんが再会した七つ森書館のYさんからも、自社のPR誌と共にお便りをいただきました。くろやぎさんと七年ぶりにお会いし嬉しかったこと、そして、「しろやぎメソッド(がくろやぎさんに)、着実に受け継がれていますね」と書いてくださっていました。くろやぎさんががんばっているとのお褒めのことばに便乗させていただいた思いです。心から嬉しかったです。私も久しくYさんにお会いしていませんが、離れていても細く長くつながる連帯感があることが、日々の励みになります。しっかりくろやぎさんのおかげです。ありがとう。
 今年の目標を一つ決めました。売上スリップを見るとき、売れた順の前後や流れも見て、お客さまの動向をつかむことです。今まで単品では、「こんな(コアな)専門書が売れた」や、「この文庫が一日何冊売れた」ということは把握していたのですが、同じお客さまが購入したと思われる複数冊数の本にもっと注目し、棚作りの参考にしたいのです。例えば先日、『子どもの悲しみのよりそう』(大月書店)、『対象喪失の乗りこえ方』(大和書房)、『内向的な人こそ強い人』(新潮社)、『悲嘆カウンセリング』(誠信書房)、『関係するこころ』(誠信書房)の5冊のスリップがあがりました。おそらく一人の方に買っていただいたのだと思います。けれども棚は順に「トラウマ・PTSD」「心理エッセイ」「心理エッセイ」「カウンセリング」「心理療法」と心理棚の中でもあちこちに飛んでいるのです。このお客さまにとって、とても探しにくい棚ではなかったかと考えました。より相応しい棚入れ、小見出しの改善を求められているような気がしたのです。まずは、自分の担当ジャンルから、事実の断面だけでなく、何か奥行を感じさせるようなもう一方の傍流の眼のようなものを、心に留めておきたいのです。
 生活面での目標もひとつ掲げました。「お箸の持ち方を正しくする」です。矯正箸を用意し、目下毎食トレーニング中です。遅咲きやまとなでしこをめざし、一日一日を大切に過ごします。宣言したからにはどちらも達成しなくてはね、とこっそり自分にプレッシャーをかけるしろやぎでした。

阿倍野のしろやぎより



10通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙  2015. 1

新しい年がはじまりましたね。しろやぎ先輩はお雑煮のもち、いくつ食べましたか。kikuya_kuro.png
しろやぎ先輩の昨年はお便りにも書いて下さっていたように、本当に多くの作家さんや出版社さん、本を通しての素晴らしい出会いに満ちていたのですね。特にしろやぎ先輩と西加奈子さんの出会い!送ってくれたとっても素敵な笑顔のツーショット写真に会っていない私まで鼻息が荒くなりました。阿倍野店来店の朗報、嬉しかった・・・!しろやぎ先輩が大作!とおすすめしてくれた西さんの『サラバ!』(小学館)は見事、直木賞を受賞されましたね。早く読まなくては!
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 私にも昨年嬉しい出会いがありました。七つ森書館のYさんと数年ぶりにお会いできたのです。(来店下さった折、くろやぎが休みでずっとすれ違いでした・・・)そこでYさんとの話題の一つとしてのぼったのが、作家、版元、印刷会社、取次、書店等々たくさんの人の手を経て店頭に並んだ1冊1冊の本をお客様が購入してゆく瞬間、についてでした。小売業の中でも本屋にはこうした喜びがあるね、とお話ししました。それはしろやぎ先輩がこの前のお便りで書いていた「本を世に出すことを仕事にしているひとが対等に、与えられた場所で全力で取り組めば、事態が好転するエネルギーになる」。まさにこのことだなぁ、とYさんと話しながら改めて感じていたのです。
Yさんとの再会だけでなく、光栄なことにNR出版会さんの連載企画「書店員の仕事」の原稿を書かせて頂く機会まで頂戴しました。以前にしろやぎ先輩や、元海文堂のHさんも登場されていたあの企画で今から緊張で手が・・・。でも精一杯書かせて頂きます!
 くろやぎの昨年、特に下半期はめまぐるしいものでした。同期の産休に伴い倉敷では様々な担当異動があり、新年からくろやぎも新たに文芸、教育を担当することになりました。教育は約6年ぶりで浦島太郎状態ですし、文芸は7年間専門書一筋だった身としては発注数の感覚の違いにクラクラする日々、、、です。けれど人文書、医書同様、創意工夫して棚を楽しむことをやめないでいたいと思います。春には教育書の一大イベント、春フェアが始まりますし、今から準備運動、しておかねば。
 そして昨年末は新店の仙台店応援に行ってまいりました。実は他県の応援はこれが初だったくろやぎはガチガチに緊張して出陣しました。先輩、仙台では牛タン、ずんだもち、まぐろ丼、色々と昼と夜に味わえましたよ!ごはんが心の支え、とは言い過ぎですが仙台のグルメを堪能することができました。食べ物話はさておき、仙台店応援を通じて今回本当に多くのことを考え、学びました。新店ということで人文書担当としてゼロから棚配置を決め、発注し、実際の現場で棚詰めを行う。この一連の過程は既に存在する棚で日々業務を行っているだけでは決して見えないものを教えられました。棚本数が倉敷とはもちろん異なるため、棚を占めるアイテムの分量も変わってきますし、客層も異なります。これで良いだろうか??と発注している時からいよいよメンテナンスも終盤に差し掛かる時さえ考えていました。倉敷に帰ってからも仙台で棚作りをしたことで、より客観的に売り場を見つめられるようになった気がしています。また、現地で新たに専門書の担当となった方や書店業務をはじめて行うスタッフの方にも限られた時間ではありますが、思いつく限りの引き継ぎを行いました。人文担当のスタッフさんには、かつて私自身がしろやぎ先輩から教えて頂いた心得や大切なことを資料としてまとめて託しました。しろやぎ先輩から継承してもらった人文書への熱い思いを私も祈りをこめて!それから、チームキクヤとしてどう新店をサポートできるのか、そして人を育てるということがいかに大変だけれど重要なことなのかもすごく意識させられました。仙台への長時間の移動の中で読んでいたのは倉敷でもよく売れている『プロフェッショナル仕事の流儀 人生に迷わない36の極意』(NHK出版)
でした。旅のお供にこの本を選んだ理由は2つ。1つ目は大好きなサッカー選手遠藤保仁さんが表紙帯にのっていたから、というミーハーな理由で。2つ目の理由は応援の現場で私だけ役立たずにはなりたくなくて、何とか仕事のモチベーションや意識を高めて臨むヒントを得たかったからです。この本には全部で36人の様々な分野で活躍を続けている方々のエピソードが収録されていますが、置かれた状況も職業も全く異なるのに一気に読んでみると1つの共通点が浮かび上がるのです。それは皆さんがとにかくあらゆる苦労、苦悩を「糧」として成長を遂げている、ということ。過去を振り返って今の自分があるのは、昔成功したことや良かったことのおかげではなく、「苦渋」があったからだと皆が一様に言っているのです。読みながら本当に謙虚な気持ちにさせられ、澄んだ気持ちで応援現場へと向かうことができました。
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 と、なんだか今回はかった~いかんじのお便りになっちゃいました。すみません。最後になりましたがしろやぎ先輩、今年もどうぞよろしくお願いいたします。無理はしすぎず、マイペースで、笑っていきましょうね!!
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9通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2014. 12

shiro.pngおかえりなさい、くろやぎさん。新店の仙台店の応援はいかがでしたか。応援者に追加要請があったことなどから想像しているのですが、開店直前の追い込みが凄まじかったのかなと思っています。牛たんやずんだもち、笹かまぼこに冷やし中華…(エンドレス)…くろやぎさんが少しでも味わえていれば良いなと思っています。
 仙台は伊坂幸太郎さんの住まわれている土地でもありますね。仙台の風土を愛されている姿勢が小説やエッセイでたくさん見受けられ、伊坂ファンにとっても近しくて大切な場所になっています。仙台に拠点を置く直取引の出版社、荒蝦夷から出ている『仙台ぐらし』は伊坂さんの本の中でも大好きな本です。東北の大震災の折、コメントや文章を求められても断っていた伊坂さんが、荒蝦夷からの依頼は例外的に受けていたということが書かれています。作家と出版社の強い絆を感じました。新星仙台店も、地元を愛する伊坂さんの小説の大事な場面で登場する日が来るかもしれません。そんな誇らしいお店になれば良いですね。


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 もう12月中旬です。今年は何をしたのだろうと考えます。そこそこ何かをしたと思いたいのですが、気持ちの上では公私ともに重苦しい一年でした。そんな中で、本屋に勤めていてよかったなと思えたことは、多くの作家さんと直接会ってお話しできたことでした。
 夏葉社社主で『あしたから出版社』(晶文社)の著書発売記念でライバル書店と共に合同フェアができた島田潤一郎さん。『みをつくし料理帖』シリーズが完結し、たくさんの温かい執筆秘話を聞かせていただいた高田郁さん。『紙つなげ!』(早川書房)の紹介コメントを採用していただいたことがきっかけで、店まで訪ねてきてくださった佐々涼子さん。作家生活十周年の記念作品『サラバ!』(小学館)の販売促進活動という枠を超えて、「文芸は必ず復活します」と宣言され、力強い魂をいただいた西加奈子さん。来店時に西さんが『白いしるし』(新潮文庫)と『ふる』(河出書房新社)の自作ポップを読んでいらっしゃる光景は、今思い出しても顔から火が出るほどの恥ずかしさですが、「やさしい人やねんな、この本を好きと言ってくれるひとは」とおっしゃり、K新聞の書店員エッセイの私の似顔絵を、「本人のほうがべっぴんさんやん!」と突っ込んでくれた西さんの大ファンになってしまいました。
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 他にも多くの作家さんのご来店がありました。それだけ阿倍野の書店が注目され、そのような場所で働けることが有難いと再認識したことは言うまでもありませんが、作家さんのほうから書店を訪問したい、書店員と話したいと思っていただけることが何よりもうれしく、働く励みになります。それは書いているだけで売れていたという以前の環境ではなくなってしまったという寂しい要因があるのかも知れませんが、作家、編集者、紙や流通に関わる人々、そして書店員と、本を世に出すことを仕事にしているひとが対等に、与えられた場所で全力で取り組めば、事態が好転するエネルギーになるのではないかと思わせてくれるすばらしいできごとでした。
 これはわたしの小さな決めごとなのですが、エネルギーをもらいたい人とはなるべく握手をお願いしています。幼い頃、田舎に住む祖母宅でお盆やお正月を過ごし、帰るときに次も元気で会えますようにと必ず握手をしていた習慣の名残なのですが、相手を大切に思いやる気持ちが離れていても続いているようで、とても効くように思うのです。余談ですが趣味のクラシックコンサートに出掛けたとき、終演後にサインはお願いできてもピアニストに握手は頼みづらいこと。それでも人畜無害人間をアピールしながら短い英語でお願いすると、主催者側のスタッフが止めない限り、大方のピアニストは握手してくださいます。このようにエネルギーを充電し、仕事に充てるしろやぎなのでした。
 実際にお会いしてお話しもして、握手もしていただいた方のご本がその後も続々と刊行されます。俄然販売にも力が入ります。佐々涼子さんの『エンジェルフライト』(集英社文庫)と高田郁さんの『晴れときどき涙雨』(幻冬舎文庫)は、親本刊行後のことを綴った文庫版あとがきがついています。単行本を持っていてもまた買ってしまいます。どんな仕事にも起こりうることですが、しんどいことや日常業務で思わぬ落とし穴が招いた失敗が書店内でも発生します。それでも好きな本を扱え、その本を生み出した方に会え、その後も本を読者に届ける任務を担えるというこんなにうれしい仕事はそんなにないのではと思えるのです。
 くろやぎさんが言っていた「学び続けることを許してくれる」仕事はこの時世でとても貴重です。ベテランおつぼね書店員と謗られようとも、そしてもちろん作家さんに会えるという僥倖にも、「なれる」ことなく、真摯で新鮮な気持ちを忘れないようにしないといけません。書店員としてこのような発言の場をいただいたとき、わたしは一人でも本屋で働きたいなと思う人を増やしたいと思って文章を書いています。本当に(いろいろあるけれど)、本屋は楽しいです。
 今回は手前味噌なお便りでした。笑ってください。笑っていたいです。くろやぎさん、来年もよろしくお願いします。少し早いけれど、よいお年をお迎えください。
阿倍野のしろやぎより

8通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙  2014. 11

kikuya_kuro.png 日を追うごとに吐く息が白くなる今日この頃。しろやぎ先輩はいかがお過ごしですか。倉敷の店の裏口で拾ったくろやぎ宅の猫が丸くなるのを見て冬がすぐそこまで来ているのを感じています。
 前回のお手紙でしろやぎ先輩が紹介してくれた北村薫さんの『八月の六日間』。山登り好きとしてはすごく、すごく読んでみたくなりました。主人公の心の在り方を「心身ともに折り合いをつけて格闘する日常と、山と向き合う非日常が支え合って生きる」と表現したしろやぎ先輩の言葉に私自身強く共感。なかなか実際登山はできないのですが…。けれど山を題材にした小説、エッセイを手にするだけで確かにそこに非日常を感じられますね。ついでに平凡社刊行の『美しい山を旅して』というフォトエッセイも素敵ですよ、とオススメしてみたり。山に登れない時もこの本を読んでリフレッシュしています。そしてそして、しろやぎ先輩はこの作品に登場する書店員さんとくろやぎが似ている、とおっしゃる!!!うれし恥ずかし。お便りを読みながらくねくねしてしまいました。その登場人物「麝香鹿さん」とくろやぎの共通点は今のところ短い髪と羊羹丸かじり、くらいですが素敵な棚を作るという彼女に少しでも近づけるよう日々精進!です。
 精進、と言えばこの秋は書店員として初心に戻るというか、背筋を伸ばすというか、そんな出来事が二つほどありました。
 ひとつは、小倉店で開かれた自然科学書協会さんとの合同研修会に参加させてもらう機会に恵まれたことです。自然科学書協会の理工書、医学書版元さんと喜久屋4店舗から棚担当が出席した意見交換会で、協会さんとしてもはじめての試みだったそう。医書看護書の担当として参加したのですが、日々自分の店舗の棚のことしか追い切れていないくろやぎには吸収することだらけでした。他店でもそうなんだ!ということや、うちではそれは試みていない!帰ったらやってみよう!ということなど、新鮮な気持ちを持てた研修会でした。倉敷店の医書コーナーは改装して3年が経ち、更に売上をとれる棚にするにはどうしたら良いか正直棚担当とふたり行き詰まっているところもあったのですが、まだまだ工夫できる糊代は沢山あるじゃないか…、と勇気を持つことができました。
 さてもうひとつの出来事は、仙台店改装のお手伝いです。私は人文書の棚の構成と発注を担当しました。しかし規模も立地も客層も倉敷とは全く異なるお店の人文書発注とあって、発注作業の間中ずっと「これで良いのだろうか…?」と考え続けていました。返品時の問題を考えると人文棚の柱となるようなアイテムの中にも発注を躊躇せざるを得ないものももちろん出てきます。入門寄りの内容の本が多い中、ポン、と1、2点専門的すぎる内容の本を置くのも考えものです。などなど作業を終えた今でさえ、「うん、あれでOK。」と言い切れる自信はありません。けれどもこの作業を通して、くろやぎは改めて自分の人文棚を客観的に見つめ直すことができたこともたしかでした。隣り合う棚同士の呼応、小見出しで新たに必要となった著者名、キーワード。人文棚と出会って7年目になります。
こうすれば完璧、という模範解答などない棚。難しいけれど学び続けることを許してくれる、希有な分野だと感じています。
 この秋は吉野弘さんや茨木のり子さんの詩がマイブームなくろやぎです。特に茨木さんの『わたくしたちの成就』(童話屋)という詩集を近頃繰り返し読んでいます。この詩集の解説によると、ここに収録された作品は茨木さんが夫三浦安信さんの死後書き綴っていた思慕の詩、だそうです。この詩集のなかに「なれる」という題名の詩があります。

おたがいに
なれるのは厭だな
親しさは
どんなに深くなってもいいけれど

51SDcNbXjiL._SX230_.jpgという言葉ではじまる詩なのですが、この一節がいっとう心を揺さぶります。茨木さんの夫への思慕の詩ですから、人と人、とりわけ夫婦の関係のことを示唆しているのだろうけれど、私はこの一節を読んだ時、書店員としての自分、棚と自分との関わりについてふたたび、考えさせられました。棚ともずっと「なれる」のではなく費やした歳月の分だけ「親しく」なりたい。そしていつも新鮮なまなざしを持ち続けたいと思います。偉大な詩人の言葉にそんなことを思った秋です。
 これから年末年始の繁忙期に突入ですね。しろやぎ先輩もどうぞ風邪には気を付けてください。お互い無理しすぎず、しかしこの忙しタイムを楽しめたらいいですね。春になったら、しろやぎ先輩と『八月の六日間』のように一緒に山に登りたい。ともあれまずは今月末、仙台応援に行って参ります~。

倉敷のくろやぎ

7通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2014. 10

shiro.pngくろやぎさんにお便りを出すときはいつも台風が過ぎた後ですね。今回の台風19号は関西圏のほとんどの店で営業時間が短縮になりました。書店員生活15年のしろやぎにとっても初めてのことだったと思います。
 実は台風直撃予報の前日が休日だったので、日帰り登山に出かけるつもりでした。登山初心者は天候に逆らわず、今回は中止としましたが、山登りの楽しさに気付いたとき、ちょうど出合ったのが、北村薫『八月の六日間』(角川書店)だったのです。この小説の主人公の「わたし」は40歳目前の文芸誌の副編集長。しろやぎと違い、一人でも山歩きに行き、山小屋で宿泊したり、アイゼンを付けて雪山にも登ります。凛とした強い女性なのです。ただ、まっすぐで正直なあまり、不器用でうまく生きられないもどかしさもあるのです。年齢を重ねることへの不安や、独りでいることへの答えのない問い、正しいことを主張することの葛藤など、私生活や仕事で欠け落ちた「わたしの部品」を拾いに行くような気持ちで山に登るのです。山行きには、必ず持っていく文庫本やおやつのチョイス、山登りのささやかなファッションなど、女性らしい楽しみも、とても魅力的な女性に映ります。心身ともに折り合いをつけて格闘する日常と、山と向き合う非日常が支えあって生きる、「わたし」の心の在り方に、どんどんのめりこんでいきました。
 現実では、御嶽山の噴火という大災害が起こりました。低地の山でも遊び感覚では行ってはいけない厳しさをつきつけられました。それでも自然の荘厳さを認識しながら、山道を自分のペースで歩いている一瞬一瞬が、なにものにも代えがたい力を与えられているような気がするのです。
 主人公の周りには、主人公が打ちひしがれていたときに「明日。山、行きませんか。」と誘ってくれた同僚の藤原ちゃんや、主人公がやっと口にできたひどい言葉を受けとめてくれる女性上司(ヨウコさん)など、素敵な女性が多く登場しますが、より身近に感じたのが、「わたし」が非日常の山で会った「麝香鹿」さんです。麝香鹿さんは、髪の短いすらりとした女性で、「行動食にはこれが一番」と羊羹一本を丸かぶりして、一人で山を歩きます。山で出会った「わたし」ともお互いのペースを尊重し、つかず離れずの関係を保ちます。自然の中での人と人との距離の取り方が、とてもさわやかで共感できるのです。麝香鹿さんが書店員ということもあってか、一読してすぐに「くろやぎさんみたい!」と思ったのです。お互いに多くは詮索しないけれど、何か気の合う人、心の良さや人としてのすばらしい魅力を周りの人は皆認めているのに、本人はあまり気付いていない素朴な人、まさにわたしにとってのくろやぎさんです。そして麝香鹿さんは、詩歌の棚の担当で、他では手に入らないバックナンバーなどを揃える素敵な棚を作っています。やっぱり「麝香鹿≒くろやぎ」の直感は間違いではなかった!!棚作りに個性を出すことが可能なのは、大規模書店ならでは、という主人公の注釈(はたまた著者の北村さんかもしれませんね)もとても首肯できるものでした。
 くろやぎさんお薦めの『WILDER MANN 欧州の獣人―仮装する原始の名残』(青幻舎)は、とてもインパクトのある本です。しろやぎの店では棚に1冊ありましたが、紹介してもらわなければ目に留まらなかった本でした。文化人類学の棚にも置きたい本ですね。版型の問題、出版社のイメージ、物理的な拘束をもっと書店員は越えていかなければならないと思います。くろやぎさんの店では他店舗に比べても多く販売していますね。お客さまに向けて張られたアンテナと、くろやぎ&棚担当者の趣向がうまくはまっているのだなと思います。菊池亜希子ムック『マッシュ』(小学館)などがダントツの販売数を誇っていることもそうですが、もちろん最終的な購入選択権はお客さまにあります。そのなかで、くろやぎ店はお客さまのニーズと書店員の思いがうまく呼応して、常に良い方向へ回っているような気がします。同業ながら、離れてわかる羨望のまなざしです。もっともっと私たちはお店のファンを増やしていかなくてはいけませんね。
1482.jpgしろやぎ店では、新刊『大麻草と文明』(築地書館)という本が発売日の午前中に早々と売れていきました。1冊の仕入れでもすぐに気がついてくださるお客さまには、本当に畏敬の念を覚えます。
同じ出版社の『ネコ学入門』、こちらも1冊仕入れですぐに売り切れてしまいました。専門書出版社らしく、ペット本とは一線を画した、猫の心理と行動を丁寧に解説した1冊です。表紙の猫の表情を見てみてください、まさに「私たちは出合ってしまったのです」(@しろやぎくろやぎ店で繰り返される場面)と、運命の出合いを感じてしまいました。
 お店の裏口でくろやぎさんに救われた、愛猫ちゃんは、大きくなったでしょう。くろやぎさんが『THE BOOKS 365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』(ミシマ社)で紹介していた『哲学者とオオカミ』(白水社)も、くろやぎさんの動物愛がとても感じられる文章でした。それなのにしろやぎはまだ未読なのです。読みたい本が多すぎる読書の秋です。
阿倍野のしろやぎより

6通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙  2014. 9

kikuya_kuro.png ちょっぴりお久しぶりです。最近ようやく涼しくなってきましたね。くろやぎの家では愛猫が丸くなるポーズが増えてきて、秋の訪れを感じています。しろやぎ先輩はこの夏どこかにお出かけしましたか。私は夏の終わりに岡山の小高い山の上にある“ルーラルカプリ農場”という場所へ行ってきました。何をしにって?はい!ここはヤギばかり飼育しているヤギ天国なのです!くろやぎはいませんでしたが、わたくし、小さいお子様たちにまじって大興奮!! ヤギミルクスムージーを飲みながら、これでもか、というくらいヤギと触れ合ってきました。
 ハッ…!ヤギ天の話に夢中になっていました。すみません。しろやぎ先輩の阿倍野店でのフェア「あしたからのフェア」。行くことは叶わなかったけれど脳内仮想フェア台でしっかり拝見いたしました。フェアに携わった人たちの真摯な想いが1点1点に染みわたっているような、丁寧なフェアだなぁと心底感じました。フェアお買い上げ特典として店頭で渡されたという「夏葉社ボツ日記」(私も欲しかったぁ…!)をスタッフがお客様に一言添えて配ってくれたとのエピソードを聞き、私までニンマリしました。チーム阿倍野、素敵です!!
 そして忘れられないのは、しろやぎ先輩にとってこのフェアが「本屋の仕事の喜びをもう一度正しく味わわせていただいたごほうびのような」ものだと言っていたことです。このところ私はしろやぎ先輩のこの言葉を心の中で復唱しては背筋を正しているのです。毎朝皆で雑誌の梱包を開け、陳列。続いて新刊を並べ、補充品を棚に入れてから、スリップをみてFAX注文。本屋の変わらぬ仕事のなかで、気持ちが無表情になってしまわぬように、私に語りかけてくれている言葉です。
 さて、今年の夏も終戦フェア、やりましたよ。私も先輩同様『夜と霧』ガッツリ平積みです。ちょうど終戦フェアをやっている最中に家で偶然見ていたTV番組にて、10代~20代の若い人たちに8/15が何の日か、そして日本は戦時中どこと戦争をしたのか、街頭インタビューをしていました。ショックだったのは非常に多くの若い人たちが両方の質問の答えを知らない、という事実でした。でも確かに8/15は夏休み中。学校で終戦日だけに登校して終戦について考える、ということを私自身経験したこともありません。その時、思ったのです。本屋の終戦フェアがその代わりになれるじゃないか、と。少しでも若い人たちにも店頭で毎年行っている終戦フェアを目にして、本屋がこうしたことについて考えるきっかけになればいいなと思います。
 今回こそ私も読んだ本のことを書きたい!と思っていたら現れました、運命の本(ひと)が。イオン夏の1時間早いオープン期間がようやく終わって少しまったりしていた今月のはじめに芸術書・写真集の棚で私たち(※私とその本のことを言っています)は出会いました。少し霧がかった平原に無造作に佇む、全身毛むくじゃらのいきもの??がバーンと写った表紙を見るなり、頭を金槌で殴られたかのような感覚。
71EwCTK0x4L.jpg その本の名は『WILDER MANN 欧州の獣人―仮装する原始の名残』(青幻舎)芸術書担当Nさん曰く、新刊として入荷するやいなや売り切れてしまい、長らく重版待ちだった本だそうで。値段は…むむ、3,990円…。しかし給料日直後で懐のまだ温かかった私に迷いなんてなかったので。一目ぼれしちゃった本は覆ってあるビニールを剥ぐ作業もドキドキします。中は、というと、表紙同様奇妙奇天烈な毛皮や面を身に纏った異形のものたちの姿、姿、姿。…強烈です。日本で言うところのナマハゲのようなかんじで、主に冬に人々の前に現れ、春の来訪を告げる存在らしいのですが、その姿を目にすると何というか普段絶対に感じることのない不思議な感覚に陥るのです。“畏怖”という言葉がしっくりくるでしょうか。とにかくしろやぎ先輩もまたページをめくってみて下さい。
 最近読み始めている本は作家・川上未映子さんの出産と育児を綴った『きみは赤ちゃん』(文藝春秋)です。最近くろやぎの周りは出産ラッシュでして、手に取ってみました。一人の人間を育てながらその親となった人も成長はしてゆくけれど、とにかく、たいへんなんやなぁ…と川上さんの口調が感染りつつ読んでいます。
 今回、なんだかくろやぎはヤギと毛むくじゃらの話しかしてなかったような気もしますが、まぁ、いいか…。さて、来月は冬の一大イベント・手帳カレンダー出し&一斉大移動がやって参ります。腹まきをして乗り切りたい。しろやぎ先輩もこれから寒くなってきますが、R-1ヨーグルトを飲んで、風邪などひかぬよう。あったかくしてくださいね。
次のお手紙で、すてきな書店員さんが登場するという北村薫さんの作品のお話も楽しみにしています。
 ではまた。
倉敷のくろやぎ

追伸:こんどしろやぎ先輩が岡山に遊びに来られた際には行きましょう、ヤギ天国。

5通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2014. 8

shiro.png残暑お見舞い申し上げます。過日ののろのろ台風、くろやぎさんに困りごとは起こりませんでしたか。わたしが倉敷店にいたときは、店の建つ地盤が低かったのか、大雨が降ると建物の裏の自転車置き場が足首あたりまで水に浸かることがありました。今よりも若かったわたしは、大雨対策にと長靴で通勤したものです。あれから数年、今や長靴は足元の悪い日の女性のおしゃれアイテムになりました。わたしが流行らせたのよ、と密かにほくそえんでいるしろやぎです。と言っても、愛用の長靴は野良仕事向けの、あまり垢ぬけしないものですけれどね。倉敷時代の懐かしい思い出の一つです。
 前置きが長くなりました。前のお手紙で触れた「あしたからのフェア」についてです。夏葉社の社主島田潤一郎さんが直面した、作家を諦めて就職活動をするときに、この世の終わりのように感じた生きづらさや、その渦中に事故で亡くした最愛の従兄の死。悲しみの底にあった従兄の両親を励ますために、生きる力をくれた「さよならのあとで」という詩を一冊の本にして出版しようと、夏葉社を興したこと。今生きるのがしんどいと思っている人に小さな勇気をくれる本が『あしたから出版社』(晶文社)です。フェアを行った経緯は8月下旬発売予定の『ほんまにvol.16』にも書かせていただいたので、このお手紙ではフェアで並べた本をたくさん紹介して、くろやぎさんの脳内を仮想フェア台にしたいと思います。
 夏葉社の本、島田さん、永遠のライバル書店員Kさん、わたしの選書で合計50冊の本を並べました。その売上ベスト上位10冊が、
 『あしたから出版社』(晶文社)、『忘れられる過去』(朝日文庫)、『おとなになる本』(径書房)、『100の思考実験』(紀伊国屋書店)、『やこうれっしゃ』(福音館書店)、『偶然の装丁家』(晶文社)、『自分を信じるレッスン』(春秋社)、『ダメをみがく』(紀伊国屋書店)、『minimalism』(フィルムアート社)、『あわいの力』(ミシマ社)です。売上は正直言って、上位10冊でも8~2冊までです。またもや、えこひいき警報発令中です。そして、書名だけ聞いても、またこれらの本を同時に並べても、統一感がないと思われるかもしれません。全ての本に入魂のポップをつけることも自己満足と思われているかも知れません。それでも、並べて半日で買っていただいたり、フェア台の前でお客さまが群がっている情景を見ると、それはもう嬉しくて、少し恥ずかしくて、そして本屋としての心意気を芽生えさせるカンフル剤を注入してもらったような気持ちになるのです。
Unknown.jpeg 島田さんのポップのコメントがまたすばらしく、例えば『忘れられる過去』には「もっとも尊敬する作家の本。とにかく読んでほしいです。ぼくにとって、いい文章とは荒川先生の文章」、『やこうれっしゃ』には「どういう本をつくりたいって、こういう本をつくりたいんです。本にしかできないことをやりたい」などなど。そして、今回は阿倍野店のスタッフにも助けられました。フェア本をお買い上げの特典として、島田さんのボツになった原稿「夏葉社ボツ日記」を、スタンダードブックストアあべので前編、喜久屋書店で後編をお渡ししたのです。フェアの主旨をスタッフには説明していましたが、レジでお客さまに「スタンダードブックさんでも前編を配っているので、行ってみてください」と一言添えてくれているのを見たときは、本当に感動しました。転勤してもうすぐ一年、なじめていないと落ち込んでいたのはわたしの小さなひがみ根性だったと猛省しました。雑念を取り払って、目の前の本とお客さまに対して真っすぐに対応するスタッフから、仕事の姿勢を学びました。
 ここでひとつ、自画自賛です。売上ベストテンに入った本は、しろやぎ選書がいちばん多かったのです、えっへん! えっ?こういうところが小さい人間(やぎ)ですか。はい、その通りですね。小さい器のついでに、しろやぎ偏愛の三浦しをん本は一冊も売れませんでした。好きと仕事のバランス感覚も磨いておきたいですね。
 冗談はさておき、本屋の仕事の喜びをもう一度正しく味わわせていただいたごほうびのようなフェアでした。島田さんは共著の『じぶんの学びの見つけ方』(フィルムアート社)で、学びの姿勢について、「アマチュアであること」を意識していると書かれています。経験がある、なにかを知っている、という姿勢は予定調和を生むような危険をはらんでいて、むしろ経験ゼロでも自分自身の考えで迷いながら学んで作っていったものの方が、良い結果が出ると言われているのです。この考えは、ちくさ正文館の古田氏のことばにあった「自分で自分の客に本を渡すラインをどれだけ作れるか」(石橋毅史『本屋な日々 13』)にも通じるように思い、毎年同じことを繰り返す本屋の仕事にも肝に銘じておかなければならないと感じています。
 くろやぎさんは、今夏は終戦フェアをしましたか。毎年同じ、しかも劇的に売上をあげることもできないフェアなのですが、終戦フェアだけは、担当ジャンルが変わってもわたしはやり続けたいと思っています。このときばかりは、霜山訳版の『夜と霧』も平積みです。わたしも教えてもらったことなのですが、スリップの分類表記が、霜山訳は「精神医学・現代史」、池田香代子訳の新版は「現代史・精神医学」になっています。出版社の意図、本屋の並べ方、棚での隣同士の関係、本屋としての思いはあふれても、ニュートラルな気持ちで、公正に判断する良心も忘れずにいたいです。
次回こそは、読んだ本のことを書きます。北村薫『八月の六日間』(KADOKAWA)に、くろやぎさんを思い出させてくれるとてもすてきな書店員さんが登場するのですよ。その名も「麝香鹿さん」です。
それではまた。
阿倍野のしろやぎ

4通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙  2014. 7

kikuya_kuro.png暑い日が続きますね。しろやぎ先輩はいかがお過ごしでしょうか。近頃では開店前、雑誌と補充品を台車から降ろしただけでアスリートのごとく汗まみれのくろやぎです。こんなことでバテバテではいかん!ブレない体を作りたい!と『長友佑都体幹トレーニング20』(ベストセラーズ)に挑戦し始めたもののすでにくじけそうです。
 先月、倉敷店では夏の一大イベント、夏文庫100冊商品総入れ替え祭りを無事終えることが出来ました。中央通路にならぶフェア台のアイテムを閉店前と翌日の早朝で夏商品に一気に変えるという大掛かりな作業です。私の役割は配置図と作業工程を考え、各担当さんが売りたいものを売れるように、そして当日スムーズに作業にあたれるようにすること。いわば気分はボランチの遠藤選手。(※ワールドカップ真っ最中の時期だったためかなり影響されていたくろやぎ)などと偉そうなことを言っていますが、実際にはベテランスタッフのみなさんの超高速作業のおかげでくろやぎの出る幕などなかったです。普段各々の担当部署作業が主な私たちなので、大掛かりな共同作業を終えた時は新鮮な達成感があり、すごく刺激になります。
 そうそう、前回のお手紙でしろやぎ先輩は思い入れのある本や出版社さんを「えこひいきする」と宣言されていましたね。私もです!私も「えこひいき」宣言に大いに賛同します。総入れ替え祭りの商品はもちろん売れ筋アイテムの本たちです。週間の売れが10冊以上の「売れる」本たち。それでも私は人文棚に1冊差した本がひっそりと1冊売れてゆくのを売上スリップで確認できた瞬間が何よりも幸福と感じます。考えに考えて棚に差した本ならばなおさら。その時は本棚を通じて顔も知らないお客さまと心が通い合い、秘密の同志にでもなれた気持ちになるのです。
03970.jpg 先日「えこひいき」する版元さんたちの合同フェア、「四六判宣言フェア」を陳列しました。このフェアのテーマは“文庫では読めない本たち”。名作中の名作『夜と霧』(みすず書房)をはじめ文字通り「四六判」サイズの本たちだけで構成された、人文会の版元さんたちの熱い思いを感じるフェアとなっています。人文担当として力を入れて「えこひいき」したいし、やりがいのあるフェアである一方、フェアとしてより一層人文書を販売していかねば、というプレッシャーを毎年感じています。このフェアをきっかけにして今まで人文書に触れることのなかった方たちが運命の一冊に出会えたらいいなぁ、といつも願っています。
 しろやぎ先輩は『明日からの本』フェアというものを開催されているそうですね。著者の方や他書店さんとの合同フェアだと聞いて、阿倍野に今すぐ飛んで行きたくなりました。フェアというとどうしても自店開催のみで完結してしまう印象なのに、そんな垣根を飛び越えたフェア、素敵です。胸が躍ります。書店と書店、人と人、たくさんのものが広がり、つながっていく、そんな予感に満ちていますね。フェアの様子を聞けるのを楽しみにしています。
それから、前回のお手紙を受けてずっと考え続けていることがあります。それはしろやぎ先輩が言っていた「海文堂のスタッフの方の本を愛する遺伝子を、現役の本屋として絶やさないようにしたい」という想いについてです。
 昨年夏、しろやぎ先輩が私のことを海文堂のHさんに話して下さっていたこともあり、Hさんを初めて訪ねた帰り道。英国館近くの小さな雑貨屋さんに立ち寄った時のことです。私は海文堂さんの深い青色の袋を一つ持っていたのですが、それを見た若い店主さんが突然「海文堂さん、9月になくなってしまいますね…。大好きな本屋さんなのに…!」と話しかけてきたのです。それを聞いた時海文堂さんがいかに地元の人々に愛されている本屋さんなのかを肌で感じました。しろやぎ先輩の言葉を聞いた時、このエピソードを思い出していたのです。私には、海文堂さんと全く同じ本屋を作ることは出来ません。けれども一人の書店員として地元の人々に愛してもらえる本屋にする努力をし続けることは出来ると思いました。
 以前版元営業さんからこんなお話を聞きました。店頭で年配の方が新聞記事を持って若い書店スタッフに本の問い合わせをしていた時のこと。その時店員さんは店内に設置してある検索機を指さし、あの機械で検索できますと伝えていたそうです。今では多くの書店に検索機が設置され、書店員に声をかけなくてもお客さまご自身で本がどこにあるか容易に分かってしまいますよね。我々書店員も便利なこのシステムに頼っています。けれど私は出来うる限り新聞記事を持ってきて下さったら検索せずに売り場へ向かいたい。タイトルを聞いただけで即座にその本をお客さまの手元に届ける努力をしたい。こんな時代に何をアナログなことをと言われるかもしれません。ですが店頭でお客さまと会話を交わしながら一緒に本を探すという作業は書店現場での大切な光景だと思うのです。それにこうした密接なコミュニケーションが人々に愛してもらえる書店を作っていくのだと私は信じています。アナログついでに言うと、私はネット発注より電話注文、FAX注文の方が好きです。作業効率を考慮するとネットでは?とまたもやご指摘を受けるかもしれませんが、ここでもやはり版元の方々との密な交流が出来ているように感じ、あえてFAX、です。有難いことですが、注文書の脇に書いたメッセージにも目を通して下さる担当さん達もいて、つながっているなぁ、と嬉しくなります。思えばこのFAX注文もしろやぎ先輩に伝授してもらった秘技ですね!
 しろやぎ先輩がお手紙で書店員であり続けることをやめない、と誓いを立てていた姿。私もそれに続いてゆけるように、この夏はあきらめずに長友本で体幹を鍛えたいと思います。
倉敷のくろやぎ

3通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2014. 6

shiro.png「くろやぎさん、『私の宗教』(未来社)が宗教一般の棚でまた1冊売れたよ!」。倉敷に向かって阿倍野の中心で愛を叫ぶしろやぎです。
 商いのことを考えると、発売後約6か月間で3冊売れる『私の宗教』よりも、例えば今週の売り上げ第一位の、百田尚樹著『プリズム』(幻冬舎文庫)に重きを置かなければならないのでしょう。売れる本は数を確保するのも大変です。会社をあげて特約店制度や販売賞入賞、本部一括の機能などを総動員して仕入れ、売れることが確約されている大切な商品として一等地に置きます。膨らんだスリップを数える幸福感、これも確かに書店員の醍醐味です。それでも、私は「えこひいきする」ことを宣言します。思い入れのある本や出版社には、人間の本能の部分で愛着が湧くのです。
 『私の宗教』を出す未来社もそんな出版社の一つです。当初、人文担当者として出版物も販売の条件も、とても高い山だと感じていました。倉敷店から異動して数か月後、2009年6月に、PR誌『未来』内の「書店のABC」というページの原稿依頼を受けました。環境が変わり、人間関係に行き詰まりを感じ、心が折れそうな時でした。『未来』の寄稿が最終目標とも思え、希望としての本屋を綴り、これを書店員の締めくくりにしようと考えていました。
 その文章を元海文堂のHさんが読んでくださっていました。縁が縁を呼び、倉敷店在勤時に一度営業に来店されたNR出版会のお取り計らいで、海文堂さんを紹介していただけることになりました。ここでの出会いで、私の今までの閉塞的な気持ちが打ち砕かれました。書店員でいることを踏みとどまらせてくれた人生の転機だったのです。
 本屋で働いて一番想像と違っていたことは、本当に色々な人と関わる機会が多いということです。働く前は、お客さまや店のスタッフどうしと会話するくらいで、あとは黙々と棚に本を並べて本を注文するのだろうから、社交的ではない自分には合っているのではないかと思い、本屋の門を叩きました。ところが、版元営業の方に、日頃のごほうびのように訪れる作家さんや編集の方、出版社の説明会や懇親会で知り合った書店員さん、毎日お世話になるテナント運営や警備の方、多くの人に見守られて本屋は存在するのだなと思わずにはいられません。
 一番間近で本と本屋をつなげる出版社の営業の方との出会いや別れは度々経験します。中には店の担当から離れてもお便りを交わすこともあり、遠方の方でもいつかまたお会いできるかもと夢想します。
 先日、ある「えこひいき」する出版社の担当者が替わると来店されました。「阿倍野には競合店が多くありますが、しろやぎさんの店で売ってください」と激励されました。新しい担当の方のメールのご返信で「歴代の担当者を含めた小社にとって大事なお店であり、お方です」ということばをいただきました。私はラブレターは残念ながら今までもらったことはありません。けれども恐らくそれ以上に胸がいっぱいになりました。商いとしての儲けを超えるような交流ができる場に立ち会わせていただいて、心から幸せだと思いました。
 今回のお手紙は感傷的ですみません。昨日、「海文堂生誕まつり『99+1』」に伺ったことが影響しているのかも知れません。ギャラリーは盛況で展示もとても楽しいものでした。何より海文堂のお客さまがひっきりなしにお越しになり、スタッフの方と本屋にいるように会話され、海文堂の空間が蘇っていたのです。帰宅後、昨年9月末の閉店時より寂しくなりました。違う本屋でも気持ちの届く人がいると、私を救ってくれた海文堂はもうありません。単店で100年も続く本屋なんてどこにも存在しなかったのに。海文堂のスタッフの方の本を愛する遺伝子を、現役の本屋として絶やさないようにしたいのはもちろん、自分から本屋を去ることはもう決して考えません。昔恩師に「いっちゃんは根性あるから何でもできる」と言われました。6月9日恩師の命日に、この誓いを立てたいと思います。くろやぎいっちゃんも、これからもずっとその気持ちでいてほしいなと思います。
ahitakara.jpgそんな自分自身にもエールとやりがいを与えてくれるフェアを計画中です。晶文社より6月下旬発売予定の『明日から出版社』に合わせ、著者であり夏葉社の代表、島田潤一郎さん、そしてブックスタンダードあべのさんと、わが喜久屋書店阿倍野店の合同フェアです。「明日からの本」というキーワードでの選書を、売り場の棚と頭の中の棚を行ったり来たりしながら進めています。フェアの様子はまた、次のお便りでお知らせしますね。
阿倍野のしろやぎ

2通目「倉敷のくろやぎさん」からの手紙  2014. 5

kikuya_kuro.png往復書簡第2回目を担当させて頂くことになりました、倉敷のくろやぎです。どうぞよろしくお願いいたします。
 およそ6年と少し前、新人として倉敷店に配属となった私に人文書担当として指導に当たって下さったのが、今は阿倍野店にいるしろやぎ先輩なのです。しろやぎ先輩には人文書を扱うことだけではなく、書店員として前を向いて働く上での、心の大きな支柱とでも言うべきものを間近で教えて頂きました。(そして今もなお触発され続けています)
 そんなわけで、しろやぎ先輩からこの往復書簡のお話を頂いたとき、毎月交流ができるんだ!と「やりましょう、是非!」即答しました。しかし詳しく聞けば、元海文堂のカリスマHさんも同Web上で記事を書かれるというではありませんか。(私事ですがHさんにガールフレンド登録して頂き舞い上がったくろやぎです)しかも交流って喜んではみたものの、私に何が語れるだろうか…。ぐるぐる、ぐるぐる悩みました。結果、私は同船者として、今できることをやろう、腹を括りました。死ぬ気でオールを漕ぐので先輩、どうぞよろしく…!
 しろやぎ先輩が前回のお手紙で取り上げていた『九月、東京の路上で』(ころから)。この本を私は会社の情報共有メールで知りました。掲示板でしろやぎ先輩はこの本のことを〝内容は重いけれど売れるけはいをもつ本″と表現していました。すぐに版元さんに電話注文し、文芸新刊台と人文棚に面出ししたところ、続けざまに人文棚から2冊、売れました。しろやぎ先輩はこの本をお客様のご予約で知ったとのことですが、お客様からのお問合わせだったり、新刊案内などの情報からいかに我々は〝売れるけはい″に気付くことができるか?そこに書店員としての力量が問われているように感じます。今回この本のことで、自分はけはいに気が付けるようアンテナを鈍らせてはいないか、改めて考えさせられました。
 また一方で、いつも考えることは〝売れる可能性ゼロの本はない″ということです。勉強不足な私の欠点ですが、棚に入れながら「この本、売れるのだろうか…」と時折半信半疑になるわけです。けれどもその本が棚に置いて1週間も経たないうちに売れることがあります。こうした出来事に遭遇する度に己の未熟さを実感すると共に、1冊1冊の本に秘められた無限の可能性を感じずにはいられません。人文書は特に、どこの棚に置いたら正解と言えるのかが他のジャンルと比べて曖昧な部分があります。ですから担当としてはありとあらゆる可能性を考え、できうる限り併売を心掛けています。意外な棚から動いた時の驚きと勉強になった感たるや…!
watashinoshiyukiyo.jpg 昨年末に刊行された『私の宗教』(未來社)という本があります。著者のヘレン・ケラーが影響を受けたという神秘思想家スウェーデンボルグについて語ったものです。私にとっては幼い頃から伝記などで慣れ親しんだH・ケラーの全く知らなかった一面でした。棚に配置するのに初めは伝記の棚だろうか…と思案しました。試しに精神世界棚にある『スウェーデンボルグの霊界日記』(たま出版)と隣り合わせに並べたところ2日後に動きました。次の月もまた同じ棚で1冊。実際に置いてみるまで分からないものです。そこが楽しくもあります。
 棚の1冊1冊と同様に、ジャンルを超えて行うフェア棚づくりもまた違った喜びがあります。先日は近々放送される海外ドラマ「SHERLOCK」にあわせてシャーロック・ホームズと英国フェア棚を作成しました。好きすぎるあまり趣味に走ったものにならないよう、冷静に、しかし楽しみながら、ドイルの作品群に加えてヴィクトリア朝時代の文化史本、イギリスのお菓子、インテリア本、ロンドンガイドブックなどを幅広く選定していきました。倉敷店の良いところの一つは、担当ジャンルを超えた発注、フェア展開をさせてくれるところです。良いと思うもの、売れるものは担当外であっても遠慮なく発注しますし、並べます。他の担当さんと集まって、あれもいい、このアイテムも組み込もう、と一丸となってフェア棚を考えることは自分の視野も広げてくれます。フェア棚が並んだところを眺めてうっとりする。こんなところに潜む愉悦を味わえるのも書店員だから、ですね。

倉敷のくろやぎ

1通目倍野のしろやぎさん」からの手紙  2014. 4

shiro.png倉敷店で働き、今現在阿倍野店で四店目の着任となりました。実は店の数では三店目、入社時に阿倍野店にいたので、正確には十年ぶりに元の場所に戻ってきたのです。出戻った阿倍野店は、店も人も、周囲の環境もまるで別の店のようでした。競合店のJ堂の書店員さんからは、「うちの対策のために戻ってきた人でしょう?」と言っていただきましたが、そうなのか、どうなのだろうかと未だ答えが見つからないでいます。
 そのような中で、古巣に縁を感じたことは、また同じ場所で文庫担当になったこと。平台の展開方法も時代とともに変化していて、私自身のディスプレイのバランス感覚も随分失われています。阿倍野店は反応が良い店で、書評掲載情報などもお客さまから教えてもらうことが多いです。歴代の担当が積み上げた実績のありがたさと、お客さまより受けるひらめきを大切にしながら、商いの楽しさを味わっています。           
 かつて新人時代に阿倍野店で文庫を担当していた時、当時の取次店と上司の計らいで、文庫の新刊の希望数を出して入荷数を決めていました。ランク配本が主流である文庫で、今から思えば考えられないようなチャンスを新人に与えていただき、ここで数字に対する意識を育てていただいたと感謝しています。あのころの真剣な気持ちが蘇ってきたことは、阿倍野店へ帰ってきた大きな収穫でした。
 お客さまの反応の良さに助けられていることは専門書でも同じです。地方小流通出版センター扱いの書籍の注9gatutokyo.jpg加藤直樹 『九月、東京の路上で』 ころから 2014年3月発刊文や直扱い書籍のご予約が多く入ります。加藤直樹『九月、東京の路上で』(ころから)も、お客さまのご予約で知った一冊です。関東大震災発生時に起きた朝鮮人虐殺を多くの資料から追った内容ですが、ヘイトスピーチという言葉が私たちの生活レベルにまで浸透してきた今、過ちを繰り返すなと訴えかけられているようです。人が偏った思想により豹変するさまは、本当に恐ろしいことだと思います。
 専門書の直取引を活性化する提案を、岩波ブックセンター代表取締役の柴田信氏が、人文会ニュース117号でされています。
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取引条件は各社さまざまですが、売れた分だけ支払う直仕入れの利点は、仕入数の意識を高め、本屋にも出版社にも、そして実際に本を手に取りたいというお客さまにとっても有益なことではないでしょうか。直取引が今より主流になれば、大手チェーンが有利な取引を出版社との間で個々に結ぶようになり、現状と似通ったスパイラルに陥ることも考えなければなりませんが、これからの専門書の販売についてとても考えさせられる講演記録でした。忘れちゃいけない、『ほんまに』も直取引誌です。わが喜久屋書店でも、品揃えの充実をもっと考えていかなければなりません。
 谷川俊太郎著、松本大洋絵『かないくん』(東京糸井重里事務所)を、倉敷店は多く売っていますね。いつも販売実績を参考にしています。阿倍野店は条件(買い切り)故に、客注分しか仕入れていないという後手後手ぶりで、思わず店長に抗議してしまいました。佐野洋子『100万回生きたねこ』(講談社)を初見した時のような、一冊の絵本で表現できることの限りない可能性を感じました。その感動もあり、大人げなく物申してしまったのです。店長は冷静に、直取引における掛け率の優遇性に着目することを教えてくれました。恥ずかしながら、私はそういった金額や経営面に無関心で気付けないところがあります。本屋であり続けるためには、そういった多くの有為なことがらについて、もっと目を向けていかなければならないですね。

阿倍野のしろやぎ